高校時代にタイムリープした僕は、絶縁した幼馴染にただ幸せになって欲しいだけだった。

ミソネタ・ドザえもん

文化祭をやり直す。

プロローグ

 初恋の人は、小さい頃から一緒に育ってきた所謂幼馴染の女の子だった。彼女は笑顔の多い女の子だった。誰相手でも分け隔てなく微笑みかけて、話しかけて、学校一の人気者と言って差支えはなかった。

 僕は、そんな彼女に恋をした。いつからの恋だったかは覚えない。運命だなんてそんな言葉が陳腐に思えるくらい、いつの間にか……さも当然のように、僕は彼女に恋をした。


 でも、僕のそんな恋は実ることはなかった。


 今でも思い出す。

 高校二年の夏、夏も終わりかけの夕暮れ。河川敷。下校途中の僕は目にした。


 幼馴染が……紗枝が、男子と仲睦まじげに歩いている光景を。


 その時紗枝が見せた微笑みは、これまで僕に見せたどんな微笑みよりもお淑やかで、大人で、楽しそうで、僕がそれで全てを悟ったことは、最早言うまでもない話であった。

 紗枝と男子の交際が学校で話題になるのに、そう時間はかからなかった。学校一の人気者な彼女のスキャンダル。意外にも、それはあっさりと迎え入れられることとなった。


 それは、紗枝の隣にいた男子もまた、学校では知らない人がいない有名人だったからだ。

 紗枝の恋人の板野辰雄君は、一年時からサッカー部のエースで活躍するそんな人だった。

 人気者同士の色恋沙汰を、我が物顔で咎めるような奴は、ただの一人もいなかった。


 僕一人を除いて。


 ただの嫉妬だった。僕が、紗枝の恋人を裏で中傷したのは。

 浅はかで、言い逃れも出来ないくらい愚かで……救えない行動で、僕は他人様に後ろ指を指したのだ。


 そんな男の行く末など、最早語る必要なんてない。


『あんたの顔なんて、もう二度と見たくないっ』


 涙を流し、僕を睨みつけた紗枝の顔を忘れた日は、一度もなかった。

 あの日、河川敷で男子へ向けた微笑みを僕が一度も見たことがなかったように。


 恋した人を中傷され、激怒した紗枝の顔もまた……僕は一度も、見たことはなかった。


 あの日を最後に、僕達は一度も会話をした試しがない。

 僕達の関係は、所詮ただの幼馴染だったのだと、この時僕は初めて身に染みた。


 いや本当は、紗枝に恋人が出来た時、認めたくなかっただけでそんなことはわかっていたのだろう。

 言い訳し、愚かな行動に出て、救えない結果を招いた。


 あの日以来、僕の人生はまるでホワイトアウトの吹雪の中を歩いているように、前後不全に陥っていた。

 でも僕は、救いを求めることも命乞いをすることもない。


 いいや、出来るはずがなかったのだ。


 自業自得。

 それ以外の言葉で、僕の愚かな行動はどう片づけることが出来ようか。


 自分で招いたそんな結果に、誰かの助けを求めようだなんて、なんておこがましいんだ。


 ただ、そんなことはわかっているが……僕はただ一つ、願っていた。


 今更、紗枝に対する好意を告げようだなんて、そんなことは考えていない。




 ただ、謝りたかった。




 あの日、嫉妬から中傷した男子に。

 そして、紗枝に。


 謝ってどうにかなる問題ではない。

 謝って受け入れてくれるかはわかったもんじゃない。


 それでも、ただ……謝りたかった。


 贖罪の機会が欲しかった。


 ……あれから八年。

 空虚な人生を送ってきた。


 罪悪感と自暴自棄の狭間で揺れて、本当に無駄な時間を過ごしてきた。せめて親に迷惑をかけないように、就職はした。

 でも、胸にはぽっかりと穴が開いたようだった。


 謝罪の機会は得られず、時間ばかりが過ぎていく。


 そして僕はまた、哀れで苦痛な独りの時間に邁進する。


『招待状』

 

 そんなある日、我が家のポストに一通の封筒が届いた。

 赤いバラのプリントされた封筒には、そう書かれていた。


 訝し気に封筒を開いて、僕は……。


 僕は、涙した。


 それは、結婚式の招待状だった。


 謝罪したいと思い悔やんできた紗枝の……結婚式の招待状だった。

 そして封筒の中にはもう一通。どこかのタイミングで彼女が仕込んだだろう、一枚のメモ書きが挟まれていた。


『もう、怒ってないよ』

 

 彼女の文字は……。

 小さい頃散々見た彼女の文字は、忘れるはずもなかった。


 ずっと。

 ずっと、謝罪したいと思っていた。


 あの日の僕の愚かな行動を。

 あの日の僕の哀れな行動を。


 嫉妬した。

 どうして僕を選んでくれなかったのだと憤慨した。


 その結果失態を犯して、僕は沼に沈んだ。


 そうして、そんな僕を底なし沼から浮かばせてくれたのは……。


「……結局、君だったんだ」


 嗚咽を漏らしながら、僕は涙を拭った。

 彼女からもらった走り書きのメモを濡らさないように。鉛筆で書かれた文字を滲ませないように。


 僕は、Tシャツで涙を必死に拭った。

 許してもらえたことが嬉しくて、涙を拭うことしか出来なかった。


 でも僕は、まもなく気付いた。


 結婚していく彼女に。

 別の人と結ばれた彼女に。


 これ以上の迷惑は、かけるわけにはいかないんだって。


 僕は、底なし沼から浮かび上がった。彼女のおかげで浮かび上がった。


 この結婚式が、恐らく最後になるのだろう。


 彼女に……紗枝に、謝罪し、過去を清算する機会は、これっきりになるのだろう。


 僕は家を飛び出した。ボサボサな髪を切りに行くためだった。

 これが最後の機会になる。


 清算するのだ。


 僕のためではない。

 彼女のために。


 僕は救われた。

 彼女の慈悲深さのおかげで、救われた。


 でも、彼女はどうだ。


 八年経った今でも、僕なんかにこんなメモ書きを宛てて。僕のせいで彼女は、かつての悲痛な出来事をまだ清算出来ていないではないか。


 彼女がそれを清算するには……。


 僕が謝罪する他、ないじゃないか。

 僕が、頭を下げる他、ないではないか。


 あの時は、ただ嫉妬することしか出来なかった。

 好意を抱いた彼女の色恋沙汰に、嫉妬し、愚かな行動におよぶことしか出来なかった。


 でも今は違う。

 あれから八年経ち、僕はようやく大人になれた。


 僕は……責任を取れるようになったのだ。

 自分の犯した罪に。

 自分の犯した失態に。


 ……責任を取らなければならないのだ。




 そう、思っていたのに。




 僕の体は、まるで綿にでもなったかのように軽々と宙を舞った。

 地面に叩きつけられた時、痛みはなかった。


 ただ、朧気な視界から鮮血が溢れているのが見えた。


 僕と言う男は、どこまでも空回りする奴だ。

 自嘲気味に笑うが、全身の筋肉に力は入らなかった。


 遠くから、誰かが救急車と叫ぶ声がする。


 これから助けが来る状況にも関わらず、僕は今自分の死期を悟っていた。


 死期を悟った時、朧気だった意識が覚醒した気がした。


 それは、やり残したことがあったことを思い出したから。


 僕はまだ、紗枝に謝罪の一つも出来てない。


 そう思って、奮い立ったからだった。


 しかし、意識がいくら覚醒しても、体が動かないことにはどうにもならなかった。


 こんな時、最後に僕が出来ることは……諦めること。




 そんなはず、ないではないか。




 ……神様。

 もしいるのなら、お願いがあります。


 無宗教で二十五年間生きてきた僕ですが、現金にも今からあなたの敬虔な信者となります。


 どうか。


 どうか、僕にチャンスをください。


 高望みはしません。

 どんな代償だって払います。


 だからどうか……どうか、紗枝に謝罪するチャンスをください。


 ……どうか。


 こと切れていく意識の中、僕は雷に打たれたような衝撃を体で浴びた気がした。


 目を覚ますと、随分前に出て行った実家に僕はいた。ベッドから体を起こすと、今はまだ朝だった。


「修也、朝よ」


 遠くから僕を呼ぶ母の声がする。


「高校、遅刻するわよ」


 ……僕はこの時まだ、自分がタイムリープしたことを現実として受け止められていなかった。

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