11-1

「……ヴィヴィアンさま、煮えていますよ」


 侍女の高い声で、ヴィヴィアンははっとした。

 慌てて手元に意識を引き戻す。鍋の中でスープが煮え、食欲をそそる匂いを漂わせていた。香辛料のおかげで肉のくさみが消えている。


 持っていきます、と言うアンナを押さえ、ヴィヴィアンは特製スープを器に一人分を盛って、二階に持っていった。


「……タウィーザ。入るわ」


 ノックして扉を開けると、タウィーザの姿は寝台になかった。

 部屋の真ん中に立ち、伸びをしている。よく引き締まった体であることが改めてわかる。ヴィヴィアンはちょっと目を瞠った。

 タウィーザはヴィヴィアンとその手の中にあるものを見て、苦い顔をした。


「またか」

「失った血を回復するには臓物がいいのよ」

「ずいぶんと詳しいことだな」

「……私、《血塗れの聖女》って言われてるらしいのよ。知ってた?」


 タウィーザの皮肉にも多少は慣れてきて、ヴィヴィアンはさらりと言い返した。

 実際、ヴィヴィアンは血液に関して何度か試した。――人血を口にしないですむ方法はないかを探していたためだ。血を大量に失った人間にどういう食事がいいのかというのも、そのなかで知った。


 この特製スープは、ヴィヴィアンが材料の調達――つまり狩り――から調理まで一人で行ったものだった。生臭みを消す、味を調えるなどの努力もむろん怠ってはいない。


 テーブルに器を置く。

 タウィーザは顔をしかめていかにもうんざりした様子を見せた。


「もう少しまともな食事はないのか」

「あいにく、ここは酒場でも宮廷でもなくてね」

「へえ? あんたがずいぶん長居してるから、よほどいい料理でも出るのかと思ってた」


 じろり、とヴィヴィアンは皮肉のやまない青年を睨む。

 さめないうちに、と言おうとすると、ふいにタウィーザの唇に薄い笑いが浮かんだ。淡く青みがかった目が、冷ややかさをもって見つめてくる。


「で、あんたの待ち望んでる王子様からの返事は届いたか?」


 先ほどまでの皮肉とは違う、もっと突き放した響き。

 それがヴィヴィアンの胸をふいに貫き、ぎゅっと唇を引き結んだ。


「――答えを聞くまでもないか」


 当然だとでもいうように、タウィーザは言う。

 ヴィヴィアンは黙っていた。

 焦れるような思いで、ジュリアスの返事を待った。

 満月が過ぎた以上、輸送船は次の満月間際まではやってこない。本土との連絡は、鳥の運ぶ手紙しかなかった。


 なのに、その返事が来ない。

 単なる私信ではない。なぜ贄などという青年を送り込んできたのかという、重要な問いであるのに。


(ジュリアス……どうして?)


 彼が、無視するはずがない。ならば、彼に何かがあったのかもしれない。もともと多忙の身だ。何か、きっと理由があるのだ――。


 頭で言い聞かせながらも暗い感情に片足をとられる。

 突然、視界の端で長身が傾ぐのが見えた。

 ヴィヴィアンは反射的に軽く跳躍した。

 青年の懐に飛び込み、傾いだ体を受け止める。答えの出ない思考はいったん脇に置いた。


「やっぱりまだ安静にしていないとだめじゃない……!」


 見上げながらそう怒ると、少し見開かれた目と合った。

 光の下で見ると、わずかに青みがかった氷のように美しい色をした目だった。左目を囲む茨の刺青も、瞳を彩る装飾のようで艶めかしさが漂う。


 ヴィヴィアンは一瞬飲まれる。が、すぐに顔を逸らした。

 ――妙に鼓動が速くなり、いたたまれない気持ちになる。


 口を開けば冷笑か皮肉ばかり言うこの青年は、口さえ開かなければ非常に整った顔立ちをしていた。

 それに、布越しでも触れる体の熱さがわかる。

 ヴィヴィアンはその感覚をつとめて頭から追い出すことにして、青年の体を支えながら寝台まで押していった。


「回復しきるまではとにかく安静に――」


 手を放し、青年の体を寝台に戻そうとしたとき、ふいに熱さに包まれた。

 

「は、怪力のわりに華奢だな」


 タウィーザの笑いまじりのささやきが、耳元でする。

 ヴィヴィアンは固まった。

 大きな体にしがみつかれて――まるで抱きすくめられているような形になって――あまりに予想外の事態に頭がついていかなかった。


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