4-1

 その声は、歪なまでに優しく響き、ヴィヴィアンの背を凍りつかせた。

 視界が揺れる。

 足元がふらつき、後退する。


 目の前の、見るからに丸腰で手枷すらつけられた青年が、急に暗く膨張して見えた。


「……あなたは、復讐のためにここへやってきたの」


 ヴィヴィアンの声はかすれた。

 だがヴィヴィアンの衝撃とは対照的に、タウィーザは噴き出して笑い、気軽な口調で言った。


「おいおい、俺たちは負けた。あんたがよく知ってるだろ。いまじゃ奴隷の身で、あんたの贄としてここへやってきたってわけだ。復讐なんてのんきなことができるように見えるか? 第一、俺もそんな面倒なことをするつもりはない」


 その言葉は皮肉まじりで、だが奇妙に乾いた明るさがあった。遺恨の闇や、憎悪の激しさといったものが感じられない。


 ヴィヴィアンは返す言葉がなかった。

 ――奴隷。そのような身に堕とされたのは無理もないことだった。だが自分のためのなどとして送りこまれたというのが信じられない。


 復讐を望んでいるわけではないというのは――情勢を鑑みて諦めた、ということなのか。

 タウィーザの青白い目がヴィヴィアンを見ていた。無遠慮でどことなく挑発的な、笑みを含んだ眼差しだった。

 ヴィヴィアンはそれを受け止めかね、目を背けた。


「……ヴィヴィアンさま……」


 か細い声が聞こえ、はっとヴィヴィアンは振り向いた。

 扉がかすかに開かれ、アンナがおずおずと顔をのぞかせていた。


「あの、物音が……、どうなさったのですか?」


 ヴィヴィアンはかすかに息を呑んで感情を押し込めると、なんとかアンナに微笑みかけた。


「なんでもないわ」


 それだけ言って、タウィーザに目を戻した。


「……とにかく、あなたにはなんとか本土に戻ってもらうわ。それまではここにいればいい。おとなしくしていて。アンナ、この人を空き部屋に案内してちょうだい」


 タウィーザが何かを言う前にヴィヴィアンは一息に言い切って、部屋を出て行くよう促した。

 タウィーザは億劫そうに立ち上がると、


「じゃあ、のときには呼んでくれよ」


 と、またも意味ありげな声色で言った。

 ヴィヴィアンは一瞬だけ青年を睨みつけると、顔を背けた。


 はじめての客人にアンナは目を丸くしていたが、少女らしい無垢な好奇心を露わにして、どうぞこちらへ、と言った。


 青年と侍女の姿が消えると、ヴィヴィアンはしゃがんで床の破片を広い集めようとした。

 しかしとたんに体がふらつき、そのまま倒れそうになってとっさに両手をついた。

 堰き止めていたものがどっと溢れ出すように目眩がした。喉が渇く。息があがる。


 しばらくその体勢から立ち上がることもできなかった。

 ――ほんの一部とはいえ、力を使った反動が出たのだ。

 ずるずると床に座り込む。


『あんたはだいぶって聞いて』


 タウィーザの挑発的な声が耳に蘇り、ヴィヴィアンは奥歯を噛んだ。

 最後の戦いのあと――自分は人間に戻ったのだ。

 これからも、人間で居続ける。そう決意していた。


(なぜ、贄などと……どういうつもりなの?)


 ジュリアス、とヴィヴィアンはかつての婚約者であり、いまは王太子となったその人に呼びかけた。




 ――王国はかつて、滅亡の淵に立たされたことがあった。

 癒やしの力を持つ異能者“聖女”を数多く生み出し、神聖なる王国と称され隆盛をきわめていた地に、強力な敵対者が生まれた。


 彼らは《タハシュの民》と名乗った。

 山の奥深くに、他人といっさいまじわらずに連綿と血を繋いできた異民族であり、古くから王国とは異なる信仰を持っている者たちだった。


《タハシュの民》は長く王国人に発見されなかったが、ある冒険家が山に入ったとき、偶然に彼らを発見した。

 帰還した冒険家が伝えたことによって、王国の人間は《タハシュの民》の存在を知った。


 以来、王族の命により、《タハシュの民》との接触が図られた。――冒険家の話の中にあった、山の民が持っているという黄金に目が眩んだのだ、という者もいた。


 やがて彼らの習慣や文化の全貌が見えてきた。

 彼らが崇めるのは生命のタハシュ――生き物の血を糧とし、絶大なる力を振るう絶対者である。


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