3-2

 ヴィヴィアンは息を止めた。

 とっさにタウィーザから目を背けていた。膝上で両手を握る。その手がかすかに震え出した。全身から血の気がひいてゆく。


 椅子が軋む音がして、顔を上げる。タウィーザがこちらに身を乗り出し、青白い光を宿した目がヴィヴィアンを凝視していた。


「――だがこうして間近に見ると、たいそうな異名に負けてるな。禁忌の力っていうのは、案外簡単に制御できるもんなのか?」


 冷笑まじりの言葉が、ヴィヴィアンの横顔を無造作にはたいた。

 凍えた頭にかっと血がのぼり、軽率な青年を睨む。

 黒い怒りが胸に灯る。


「……口を慎みなさい」


 ヴィヴィアンは抑えた声で言った。タウィーザは肩をすくめるだけだった。


「勘違いするなよ、あんたを見くびってるわけじゃない。だが禁忌だなんてごたいそうなものに手を出したわりに、いまのあんたの隠居っぷりはどうだ。ずいぶん落ち着いたもんじゃないか。そんなに弊害がなさそうなら、他の奴らがやればよかっただろうに」


 やめて、とヴィヴィアンはうなるように言った。

 息苦しさに胸を押さえる。


 ――何がわかる。

 知り合ったばかりの、ただの他人でしかない青年に何がわかるのか。


 この力が――この苦しみが、簡単に制御できるなどと。弊害がないなどと。


 だが青年はやめなかった。さらに声を軽くして、他人の珍奇な所有物が羨ましいとでもいうような口調で続けた。


「ずいぶん便利な力なんだろ? でもあんたも哀れだな、英雄がいまとなっちゃこんなところに閉じ込められて落ちぶれて。なあ、教えてくれよ。その便利な力はもう衰え――」


 ざあっとヴィヴィアンの視界が激しい怒りで眩んだ。

 次の瞬間、激しい衝突音と破砕音が青年の言葉を覆った。


 タウィーザは目を瞠った。

 ヴィヴィアンは立ち上がったまま、怒りに青ざめた顔で青年を見下ろす。右手をゆっくりと下ろした。


 二人の間にあったテーブルは消えていた。であったものはいま、ひっくり返って壁側に転がっている。

 ――ヴィヴィアンが立ち上がると同時に片手で薙ぎ払い、壁に激突して大きな音を立てたのだった。

 テーブルの上にあったカップも皿も砕け散っている。


「……前言を、少し訂正するわ。私は人の血を吸わない、だから怯えなくてもいい。けれど」


 ヴィヴィアンは左手で軽く右手首に触れた。そうすることで、青年の目にこの手が見えるように。

 頑丈なつくりのテーブルを木の実でも片手で殴り飛ばし、それでいて傷一つつかない。


「……力はあるわ。飢えと同様に。消えるわけがない。あなたは自分のために、最低限の恐怖は私に対して持っておくべきよ」


 ことさら無感情に、ヴィヴィアンは言った。

 タウィーザの表情は読めない。先ほどまでの冷笑も消えている代わりに、明確な恐怖や怯えというものも見えなかった。


 青年の左目を覆う茨の刺青が、ヴィヴィアンをふいに鋭く刺す。

 タウィーザはふっと唇を歪めた。


「なんだ。魂まで干からびたのかと思ったら、《血塗れの聖女》はまだいるじゃないか。ははっ! そうできゃ面白くない」


 尖った声で青年は笑う。

 鋭い響きに、ヴィヴィアンは口を閉ざした。ただの怖い物知らずとは思えぬ物言いに、ふとある推測が胸をよぎった。


 ――若さに見合わぬ精悍な、戦士といって差し支えない体。騎士たちとも異なり、どこか荒っぽさがある。だが野卑さとも違う。

 王都の洗練とも田舎の素朴さも感じない。もっと違う、原始的だが力強い気配。

 もしかしたら、この青年は。


「……あなたは、《タハシュの民》……なの」


 喉に、鉛の塊をつめられたかのようだった。

 タウィーザは冷ややかに笑ったままだ。


「そうだよ、聖女様。あんたらが、が皆殺しにした部族の生き残りだ」

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