2-2

 ヴィヴィアンとアンナは、単調だが平穏な日々に戻った。

 退屈を紛らわす方法は散策か読書かというぐらいしかなかったが、侍女と二人で住むには大きすぎる館の手入れはやろうとすれば何日でも費やせたし、他に何にも煩わされることがないという利点はあった。


 ――けれどアンナも、いずれは去って行く。

 ヴィヴィアンのもとにやってくる侍女は交代制だった。誰も自分になど侍りたがらず、押しつけられた役目を、一定の期間のみということだけでかろうじて耐えている。

 それはそうだろう。主が王族や貴族ではなく、ましてやまともな人でないとなれば。

 アンナは例外だが、彼女も規定の期間を過ぎたら、また新たな侍女と入れ替わらねばならない。


(……アンナのためには、早く役目を終えたほうがいいんだわ)


 頭で、ヴィヴィアンは自分に言い聞かせた。

 アンナは前途ある若人だ。器量もよく、友人も多いだろう。同年代の人間がひとりもおらず、社会から隔絶されたこんなところに閉じ込めておくのは、よくないことなのだ。


 ヴィヴィアンはいま、こうして代償を払っているのは、アンナのような未来を守ることのためでもあったはずだ。――いまは、そう考えられるようになった。


 満月をすぎて次の新月までは、ヴィヴィアンの“飢え”はもっとも弱まり、束の間の安らぎを得る。この間、地下の倉に降りて行くこともほとんどない。


 新月はもっとも安らぎを覚えるときで、それを過ぎるとまた月が膨らみはじめるにつれ、ヴィヴィアンの憂鬱は増していく。

 なりをひそめていた飢餓感は一日ごとに増してゆき、次第に体を蝕むようになる。


 海辺に船が見えたのは、月が半円から腹を出したような形に膨らんでいる時期だった。

 窓から海を眺めていたヴィヴィアンは目を瞠った。


(難破船……? 違う)


 見覚えのある形だった。

 本土からの輸送船だ。

 胸騒ぎがして、ヴィヴィアンは部屋を出た。アンナの姿を見つけ、すぐに問うた。


「船ですか? 何も聞いていませんが……」


 侍女は大きな目を丸くした。

 輸送船が後から来るということは聞いていないらしかった。

 ――ならばなぜ。


 ヴィヴィアンは館を出た。足早に浜辺へ向かう。好奇心も露わにアンナがついてくる。

 本土から船が来るのは、満月の期間にアンナを退避させるとき、そしてその後帰すと同時に食糧を輸送するときだけだ。


 それ以外の船舶は難破船のたぐいと考えられるが、そういったものが実際にたどりついたことはない。

 まだ満月まで少し時間がある。アンナを迎えに来たわけではない。食糧はまだ十分にある。


 ならば――何か別の理由があるのだ。


 館と浜辺にある途中の小さな林を抜けると、陽光に白い砂浜が輝いた。

 桟橋がもうけられていて、その先に輸送船が停止している。

 船側の桟橋の先に、船から吐き出されたと思しき人間が立っていた。


 ヴィヴィアンは砂浜に立ち尽くす。

 船でやってきたと思われる人間は複数いた。ヴィヴィアンが見知っている、制服と武装に身を固めた輸送担当者が二人。

 その担当者二人の前に押し出されるようにして、一人の青年がゆっくりと桟橋をこちらに進んでくる。


 青年は、輸送担当の関係者には見えなかった。

 引き締まった長身を包むのは簡素な麻の上衣と下位で、ほつれた袖や裾からのぞく肌は日に焼けている。

 肩より少し長い、暗い色の髪は左肩に流してゆるく束ねられている。


 ヴィヴィアンは息を呑んだ。

 青年の腕は体の前にあった。――その両手首を、重い鎖が繋いでいる。


(罪人……!?)


 ヴィヴィアンはとっさに、すぐ後ろにいるアンナを自分の体で隠した。

 アンナもさすがに異様な雰囲気を感じてか、ヴィヴィアンの背に隠れるようにしながら、そっと顔だけ覗かせる。


 青年はヴィヴィアンの視線に気づいた。

 目と目が合う。

 瞬間、ヴィヴィアンは青白い雷光に目を射られたような錯覚を抱いた。


 冷たい薄青の目だ。

 かすかに細さを残した顎。高い頬骨と鼻梁。彫りの深い、端整といっていい顔立ちだった。

 その美しさに加え、左目の下の刺青がひどく目を引く。うねる茨が左目を囲い、頬まで伸びている。


 息を呑むヴィヴィアンに、青年は薄い唇を歪めた。


「――あんたが《血塗れの聖女》か。はじめまして、と言ったほうがいいか?」


 皮肉と嘲りのまじった口調。

《血塗れの聖女》。久しく聞かなかったその蔑称に、ヴィヴィアンは肩を揺らした。

 ――この青年は何者か。何をしにきたのか。


「俺はにえだ。あんたのためのな」


 まるでヴィヴィアンの心を読んで挑発するように、青年は言った。

 ヴィヴィアンは目を見開く。

 青年の後ろで、二人の男が顔を強ばらせていた。――冗談だと笑う気配も、咎める様子もなく。

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