第14話 「宇宙」という名前

「ねえ、橘君のお父さんってどんな人?」

 父ののほほんとした笑顔が頭に浮かぶ。

「まあ、どんな人かと言われれば、ロマンチストと言えるでしょうね。子どもの頃の夢は宇宙飛行士。当然なれなかったんですけど。今じゃ、普通にサラリーマンやってますよ」

「だから、宇宙飛行士の夢を橘君に託した訳かぁ」

「こっちはいい迷惑ですよ。宇宙飛行士なんて、なれる訳ないのに」

「それはまだ分からないよ」

「いや、そもそもなりたくないですし。まあ僕が文系に進んだ時点で、というか、もっと前から気付いているとは思いますけど」

「宇宙飛行士なんて難しいもんね。テレビで紹介されるくらいだし」

「そうですよ。そんな最難関の職業になんか就ける訳ないのに」

「英語もペラペラでないとダメだし、身体能力も高くないとダメって聞いたことある」

「きっと宇宙飛行士になるような人は、通知表が毎回オール5で、何事もパーフェクトにこなせてて、周りからの信頼も厚くて、本当に非の打ち所がないんでしょうね」

 成績表を見せると、父は一応褒めてはくれるけれど、どこか物足りなさを感じているような表情を見せるのだ。


「そんなんじゃ宇宙飛行士にはなれないぞ。もう少し頑張らないと」


 冗談めかして言ったであろう言葉が、僕の胸に小さな針となって刺さっている。


「一々、自分の理想を押し付けて……。それに、名前の由来の様に立派な人間になんて、少しもなれてはいない僕を非難するように、顔を合わせれば、いつも嫌味ばかりだし。……愛なんて、全然感じられないですよ」

 気付けば、父の愚痴が出ていた。浅羽さんだって、こんなことを聞きたくはないだろう。

 ……最低だな、僕。

 一瞬、水を打ったように、その場が静かになる。

「お父さんの言ってることって、本当に嫌味なのかな?」

 浅羽さんが少し間を置いて、ゆっくりと口を開く。

「……嫌味に決まってるじゃないですか」

「それは、私たちがそう聞こえてるだけだよ。親の小言なんて鬱陶しいって、子どもは皆思うよね。でも、それは私たちのためを思って言ってくれているんだよ。……愛する我が子のためにね。それに、子どもなんてどうでもいいって思っているなら、一々、注意したり叱ったりしないよ」

 ゆっくりと諭すように優しい口調で語りかける浅羽さんの言葉は、僕の歪んだ心をきれいさっぱり洗い流してくれる力を持っているように感じられた。

 浄化作用。

 まさに、そんな言葉が当てはまる。

「それに、橘君って自分の名前の由来をスラスラ言えるんだね。今どきそんな人、なかなかいないよ」

「そっ、それは、父さんが口癖みたいに何回も言うから、覚えてしまっただけであって……」

 決して、好きで覚えた訳ではない。

「宇宙なんて、素敵な名前を考えたお父さんなら、きっと素敵な人なんだろうなあ」

 いや、実際はそんなに素敵ではない……ハズ。

 それよりも……。

「本当に、宇宙って素敵な名前だと思ってます?」

「勿論」

「馬鹿な漢字を当てたなぁーとは?」

「全く思わない」

「具体的に、どう素敵だと思いますか?」

「う~ん、そうだね。……お父さんの夢が詰まってて、素敵だなあ。自分の果たせなかった夢を息子に託そうなんて、ロマンチストで熱い情熱を持ってるよね。それに、宇宙での果てしない冒険を愛と正義と優しさで乗り越えて欲しいっていう願いも伝わってくる。そして……」

 何か、かなりずれてないか?

 浅羽さんの中で勝手な物語が作られ、父が何やら壮大なものに立ち向かっているストーリーが捏造されてしまった。浅羽さんの空想、恐るべし。

「参りました。宇宙は、素敵な名前でした!」

 僕は、何故か謝っていた。

というか、こんなこと言われたのは初めてで、少し感動しているくらいだ。


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