第5話 「兄と弟」
「兄ちゃん兄ちゃん、遊ぼ!」
土曜日の昼下がり、俺が自室のベッドで寝転がってスマホでソシャゲをしていると、三つ下の弟の拓真が寄ってきた。
「うっさい、俺は忙しいんだ」
「でも、ゲームしてる」
「だから、ゲームで忙しいんだよ。あっち行ってろ」
「……うっ、うぇえぇぇん! お母さーん! 兄ちゃんが意地悪するぅ!」
拓真はそう言って母さんに泣きついていた。
「こら、寛人! また拓真を泣かせて!」
「別に何もしてねーよ。何で俺が遊んでやらないといけないんだ」
「お兄ちゃんなんだから、優しくしてあげなさいよ」
「そんなことして俺に何の得があるんだよ」
「得って、あんたねぇ……」
母さんは呆れた様子で言葉を失くしていた。
でもそうじゃないか。拓真は小二だけど、俺が同じ年の頃は良く友達と遊びに行ってたし、こんなに泣き虫じゃなかったぞ。
それからしばらくして、父さんが部屋にやって来た。
「なぁ、寛人。こういうのがあるみたいなんだが、行ってみないか?」
「『ナックルキックボクシングジム』?」
スマホで紹介ページを見せられた。同じ兵庫県三田市内にあるらしい。
「そうそう。毎週日曜日にやってるみたいだから、どうだ? 別に辞めたくなったらいつでも辞めて良いし」
興味がない、と言えば嘘になる。週一程度ならやってみても良いかもしれない。
けれど、さっきの拓真の件を思えば単純な話じゃない。
「どうせ拓真も一緒に、だろ?」
図星だったようで父さんは言葉を詰まらせる。
「あいつの世話をするのは嫌だ」
「まあ、それは父さんが先生に言っとくよ。寛人と拓真は別で練習させてくれって。拓真も年が近い子と仲良くなれるかもしれないしな」
「ならいいけど……」
翌日、早速父さんに連れられて『ナックルキックボクシングジム』にやって来た。
三角屋根の建物の中にはサンドバッグなんかが設置されている。
父さんは約束通り先生に頼んでくれたようで、俺と拓真は離れた位置で練習することになる。
拓真は寂しそうにこっちを見ていたが、俺は無視し続けた。
しばらくして、先生が俺に話しかけてきた。
「寛人君は拓真君と仲が良くないのかい?」
いきなりそう言われて俺は驚いた。今日出会ったばかりなのに。
「そりゃあ君達を見てたら思うよ。お父さんにも別々にいさせるように頼まれたし」
「……あいつは甘ったれなんだ。すぐ泣くし。俺はそんな奴の面倒なんて見てられない。はっきし言って迷惑だ。先生が厳しく鍛えて欲しい」
先生は納得したように頷いた。
「なるほど。でも、寛人君だって一人で生きているわけじゃないだろう? ご飯は? 洗濯は?」
「それは……」
「僕だって色々な人に力を借りてこのジムを運営してるし、誰かを頼りにするのは別に悪いことじゃないよ。一人で生きている人なんて一人もいない。みんな色々な人の力を借りてるし、貸して生きてるんだ。君も拓真君に力を貸してあげてもいいんじゃないかな?」
「…………」
俺は黙り込んだ。先生は続けて言う。
「情けは人の為ならず、という言葉がある。それは人に優しくすることは必ず自分に返ってくるという意味なんだ。君は損得で考えてしまってはいないかい?」
図星だった。拓真に関わっていると何となく自分が損している気分になる。
けれど、先生はそんなことはないと言う。本当だろうか。今の俺には良く分からない。
「僕はこのジムでみんなに強くなって欲しいと思ってるよ。身体だけじゃなく、心もね。いくら身体が強くなっても人に暴力を振るっちゃ駄目だ。力を振り回すのは弱い人だよ。君には誰かの為に戦える人であって欲しいな。その方がずっとかっこいい男だ」
「……考えとく」
「よし、それじゃ次の練習を始めよう」
先生に教わりながら身体を動かして汗を流していく。
拓真のことでもやもやしていた気持ちはいつしか晴れていた。
「兄ちゃん兄ちゃん、遊ぼ!」
数日後、俺が自室でソシャゲをしていたらまた拓真がそう言ってきた。
前と同じように追い払おうかと思うが、先生の言葉が脳裏をよぎった。
溜息を吐くと、スマホを置いた。
「……仕方ねぇなぁ。何やるかは俺が決めるぞ」
「うんっ!」
拓真は嬉しそうに笑った。
一緒に遊べるなら何だって良いという様子だ。
まったく、どうしてこんなに懐かれているんだか。
俺は不思議に思うが、今は悪い気はしなかった。
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