第40話 鏡

 どうして気づかなかったのだろう。

 今まで作っていたものが、人の形に似ているって。

 いくらバラバラのパーツで作っていたとしても、毎日見慣れているはずなのに。


 ひと針縫うごとに、それは確かに生き始めていた。

 どこからが生きていると死んでいるの境であるのかは不明だが。

 針を入れ引き抜くたびに、脈打っていた。

 そもそも、わたしたちが普段考えている生と死というのが正しい認識なのかも怪しい。

 人間であるわたしたちが、目やほかの感覚で認識している生と死はあくまでそれしか認識できない存在が作った定義だ。

 もしかしたら、わたしたちが死ととらえている現象も認識できていないだけで、別な形の生であるのかもしれない。


 もしかしたら、とりもどせるかもしれない。


 わたしは周りの女に習い、針に自分の髪を通した。

 わたしの髪は他の女たちの者と比べると、細く少しだけ色が薄かった。

 目の前にある塊に、針を刺す。

 垂直に指すのではなく、ちょうど採血をするときのように、そっと針が自然に入る様に斜めに角度をつける。


 わたしはおかしくなんかない。

 みんな私をおかしいと思っているけれど。

 ここでは違う。

 みんなわたしと同じことをしている。


 針を刺すと、確かにそれが強く脈打つのが分かった。

 痛いのかもしれない。

 ごめんねと謝る。

 強く脈打ち、血がどくどくとその塊のなかを流れ、さっき針で刺した穴からあふれだそうとする。

 できるだけ手早く縫ってしまわなければいけない。

 生をもって脈打てば脈打つほど死に近づいているから。

 もう二度とそんな目にあわせたくなかったし、再び向き合うこともできない。


 わたしは一心不乱に針を動かす。

 頭皮が引きつり痛みが伴うをかまうことなんてできなかった。


 よく見て……よく見なくてはいけない。

 わたしは、時々分からなくなると、部屋の鏡に映るものを見つめる。

 他の女たちの手つき、ひどくやつれた自分の顔、わたしを鏡越しに見守る夫の顔。

 それらが、重なり混ざりあい、わたしが形づくらなければいけないものが示される。

 鏡に映り、いくつもに複製されたそれらがぼんやりと輪郭を描き始める。


 わたしはそれを見失わないように、目を見開き手を動かす。

 体は汗ばみ、呼吸は浅く、目は瞬きを惜しんだせいでただ開いていることにも限界を感じていた。

 だけれど、見失ってはいけない。

 わたしは、先ほど見えた輪郭を頼りに手を動かす。

 静かな銀色の針でそっと空と欠片と自らの一部でつなぎ合わせる。

 この世界にそれをとどめておきたかったのだ。


 やがて、再び痛みを感じたとき、そこにはわたしとユキトさんどちらにも似ていて、どちらでもない存在がいた。


 ずっと出会いたかわが子だ。


 そっと手を伸ばして、その頬に触れる。

 髪を撫で、耳たぶをやさしくつまむ。その耳たぶの形はユキトさんのにそっくりだった。


 鏡越しにわたしたちの姿をみる。

 わたしとユキトさんと私たちの分身。

 鏡に映るわたしはひどく疲れ、年を取っていた。

 ずいぶんと髪の毛が失われたせいかもしれない。

 涙もでないくらいくぼんだ目に、少し縮れた肌、二十代のものとは思えない。

 なにかあきらめと絶望が骨の中にまでしみ込んでいるみたいだった。


 鏡にはほかの女たちも、いや男たちも、そして子供たちも映り込んでいた。

 みんな恐ろしく疲労を浮かべ、でも満足げに微笑んでいる。

 ああ、そうか。

 みんな同じだったんだ。


 そっとほほ笑むと、それが鏡の中の誰かにもさざ波のようにして広がっていく。

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