第19話 料理教室
キヨさんに連れられて調理室に入るころには頭痛はずいぶんよくなっていた。
普段ならもっとひどくなってもおかしくないのに、キヨさんから差し出された水を飲んですこし休むとこめかみが脈打ち頭の中で打楽器をたたかれているような感覚は薄れていった。
丁寧にあいさつして、とにかく村のお年寄りに気に入られるようにぶなんに過ごせると心構えしてその部屋に入った。だけれど、驚くことにそこにいたのはみんな想像していたより若い人ばかりだった。
それどころか、老人が一人もいない。
一番年がいっていても、三十代後半というところだろう。
女性ばかりが、楽しそうに談笑している。
わたしが一歩足を踏み入れた瞬間、部屋の空気が止まった。
見られている。
その場にいるすべての人がわたしのことを観察していた。
空気はゼリーのように重く、呼吸の仕方を忘れる。
動こうにもねばつく空気を振り払うことができずに、その抵抗だらけの空間をゆっくりとしか進むことができない。
ああ、溺れそう。
水と違って十分にもがくこともできずに、吐き出す空気がごぽごぽと音を立てながら逃げていく様子が頭をよぎった。
「こんにちは~」
横でキヨさんの声がした。いつもと変わらない、楽し気だけれどうるさくない人を安心させる声。
キヨさんは軽やかに人の間をスイスイと泳いでいく。
まるで金魚みたいだ。
上手に水の流れを読んで、岩の間をすり抜けていく。
わたしはそれに必死についていく。
すると、時が止まっているのではないかとい錯覚するくらい冷たかった空気は解けていく。
「こんにちは」
「あ、お久しぶりですね」
なんてキヨさんに挨拶をして、あとは元通り。
女子高の教室みたいなきゃぴきゃぴとした空気にもどる。
田舎の公民館というより、まるで女子高の昼休みとか大学近くのお洒落カフェとかそんな雰囲気の場所だった。
そしてみんな華やかだ。
みんな綺麗な色のエプロンをみにつけていて、それがまるでドレスみたいだ。
ピンクに花柄に水玉。
どれもポップでキュートなデザインだった。
服を汚さない目的というより、エプロンという衣装を身に着けるみたいな。
ああ、分かった。ここはこの村の社交場なのだ。
この村の女性たち全員が集まる場所。
この社会の一員なら毎週顔を出す場所。
ここで情報交換する。
ここで自分はちゃんとした人間であることを示す。
ここで村の一員だと認めてもらう。
逆にいうとここに顔を出さない人間は村から外れた人間ということだ。
キヨさんは「来てみない?」みたいな誘い方をしてたけど、ユキトさんは「行ってみるといいよ!」という感じだったけれど、ここを避けることはできないのだ。
ここを避けてしまっていたら、きっとわたしはこの村の一員として認めてもらうことはできない。
もちろん、家の中にこもってユキトさんと暮らす分にはそんなに問題はないのかもしれないけれど……。
ユキトさんの良き妻としては、変人とレッテルを貼られることなく、ちゃんと村の一員として認められたかった。
わたしは気を引き締める。
背中をまるめてちゃだめだ。
ここでのわたしの評判がユキトさんの評判にもつながるのだから。
キヨさんの後ろに隠れるようにして、何事もなく過ごしても及第点かもしれない。
だけれど、それだけじゃ嫌だ。
ユキトさんの妻に相応しい人間として認めてほしい。
ちらりと周りを確認する。
もうわたしを観察しているとはっきりわかる目はなかった。
多分みんな視界の端ではこちらの様子をうかがっているけれど。
誰もはっきりとは見えてないはず。
大丈夫。
背筋はまっすぐ、ピンと伸ばす。顎を引く。そして、表情は堂々。おびえたところなんてみせてはいけない。でも、「生意気」とあとで悪口を言われないようにほほ笑みは絶やさない。
はじめましての集団にはいっていくときの工夫だ。
普通はみんな悪口を言われないようにおどおどとしながら存在感を消そうとするけれど。それではだめ。こちらを必要以上に弱い存在に見せてしまうから。
それより、いかにも自然体で機嫌のよい女性としてふるまったほうがあとが楽なのだ。
弱いと思われてはいけない。
弱いと思われた瞬間に周囲は攻撃してくるから。
動物と一緒、弱肉強食。
相手より弱い存在だと思われた瞬間に食べられてしまう。
子供のころ、転校を何度かしているから新しい環境になじんだふりをするのは得意だった。
普通の子供は入学から、いやそれ以前の幼稚園から続けた人間関係を大切に維持してそこから人脈を広げていく戦略をとるなかで、一人で知らないところにぽつんと放り込まれたところでどうやって生き延びるか考えてきた。
とくに、子供は残酷だ。
動物により近いせいだろうか。
だから、群れをみる視点は人より自身がある。
立ち位置も仕組みもずっと中にいる人間より、外から来た人間のほうが客観的に観察することができるのだ。
自分はどこの立ち位置にたつのが一番よいのだろうか。
できることなら、人とべたべたしすぎずに自由に動きたい。
集団の中にどっぷりつかってがんじがらめになるのではなく、一目置かれて見守ってもらえるのが一番おいしい立場だろう。
わたしは静かに周囲の観察をはじめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます