第17話 コミュニティーセンター
料理教室が開かれるコミュニティーセンターは村のはずれにあった。
周りに家はない。
ただ、この村に不似合いな近代的な四角くて真新しい建物があった。
ザ・箱物、税金、豆腐建築。
ぴかぴかの白い建物はある日突然、田舎に突然あらわれたような見た目をしていた。
「新しくてきれいだから、お料理もしやすいのよ」
キヨさんは嬉しそうに言った。
キヨさんの家のキッチンもとても素敵なのに、そんなキヨさんがほめるなんてどんな素晴らしい設備が入っているのだろうか。
最新式のキッチンがあったとして、こんな田舎にあってこの村のおばあさんたちは使いこなせるのだろうか。だって、うちだって特別に今風な台所を増築してくれていなければわたしはきっと毎日食事の支度をするのに途方にくれていただろうと思うくらい、もともとの家のキッチンは古く今とは仕様が全くことなっているのだ。
わたしは、税金の無駄遣いなんだろうなあと苦笑いして適当に相槌をうつことしかできなかった。余計なことを言ってだけかに聞かれ、それがこの建物を建てた人間に伝われば大変だから。
キヨさんについて建物に入っていく。
冷たくて静かなその空間はとても心地がよかった。
無機質で誰の家でもない空間の空気は、工場で真空パックにされた食べ物と同じ安心感があった。
絶対清潔であるという安心感。
わたしは大きく息を吸った。
キヨさんは不思議そうな顔をする。
そりゃあ、そうだろう。
こんな田舎に住んでいれば外の空気が一番きれいでおいしいはずだ。わざわざこんな建物のなかで大きく息を吸う意味なんて分からないだろう。
「あの、わたし図書館とか好きだからこういう施設って懐かしいなって」
言い訳をするようにわたしは言った。
「本を読むのが好きなの?」
キヨさんはちょっと驚いたように聞く。
「子供のころから図書館が大好きなんです。小学校のとなりに図書館があって……あっ」
「どうしたの?」
そう、わたしが通っていた小学校のとなりには図書館と教育委員会の建物があって、本好きなわたしにとってはとても良い環境だった。
本をよく読んでいたおかげで勉強についていけないほど苦労するということはなかった。
なんで忘れていたのだろう。
わたしはキヨさんにあいまいに微笑む。
自分のことなのになぜこんなに他人のことのように感じるのか不思議で慌てていた。
キヨさんもわたしの様子が変なのに気づいて、別な方向に話題の舵を切ってくれる。
「最近はどんな本がおすすめ?」
「そうですね、キヨさんなら……」
あれっ? 最近読んだ本のタイトルがでてこない。
わたしは本が好きでたくさん読んでいるはずなのに。
好きな本を聞かれたわけじゃないのに。好きな本の話ならば、好きな本がありすぎて決められないとか、好きすぎて言葉では言い表しきれないとかあるかもしれない。だけれど、今聞かれているのは、最近読んだ本だ。
おすすめがなかったとしても、最近読んだ本のタイトルが全く出てこないなんて。面白くなかったとしても、何かしらの本を読んでいるはずなのに。
最近読んだ本の記憶がない。
小さなころ好きだった本、大学時代に読んだ本などは表紙の手触りまではっきりと思い出せるのに。
最近読んだ本は、単行本か新書か文庫なのかさえも思い出せない。
そういえば、わたしが好きだった作家の新刊を最後に読んだのはいつだろう?
それどころか、最後にその作家の作品を買ったのがいつだったかもはっきりしない。
めまいがする。
わたしがこめかみを抑えていると、
「大丈夫?」
とキヨさんがこちらを覗き込む。
「大丈夫」
と返事をするけれど、目の前がちかちかと点滅して、耳のなかで血液がサーッと音を立てて流れるのが響く、吐き気がする。
片頭痛だろうか。
寝不足とか天気とか、体の調子をすこし崩すと昔から頭痛がすることがあったのだ。
わたしは思わず、トイレに駆け込む。
なんでトイレに簡単にたどりつけるかというと、こういう建物って大抵同じ構造をしているから。
病院みたいに清潔なトイレのなか、わたしは倒れこむようにしながら嘔吐すると、見覚えのない紫色の蝶の蛹が水の中に浮かんでいた。
水の中、その蝶の蛹は紫色の色素をゆらゆらと燻らしていた。
こめかみがずきずきと脈打つ。
気持ちわるい。
見ているだけで、気持ち割るさが込み上げてくる。
蝶の蛹なんて口にした覚えはないのに。
きっと何かの見間違いだ。
嘔吐したものをまじまじと観察すればするほど、気持ち悪くなるので、わたしは慌てて水を流すボタンを押した。
渦にのみこまれるようにして、最後はゴポッと音をたてて蝶の蛹は奥の管へと流されていった。
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