第14話 冷たいからだ

 気が付くとわたしは家の布団の中にいた。

 汗をびっしょりとかいていて、気持ちが悪かった。

 びっしょりと汗をかいたせいなのか布団は重く、寒気がした。


「ユキトさん……」


 そうだ、わたしはユキトさんを探さなければいけない。

 行かなくちゃっ、ユキトさんが一人で危ない目にあっていたら大変だ。

 焦って布団から出ようとすると、「……どうしたの?」とうユキトさんが横から寝ぼけた声をあげていた。


「えっ、ユキトさん?」


 わたしが困惑していると、ユキトさんは眠そうな様子でこちらを見つる。


「そうだよ。どうしたの……怖い夢でもみたの?」


 ユキトさんはそういって。わたしの頭を撫でようと手をのばす。わずかに、手が届かない。

 いつも優しくわたしに触れるその手が、なぜだか怖かった。


  「どこにいってたの?」

 思い切って声にだすけれど、自分が思っていたより小さな声だった。

 怖い。

 なにか変だ。

 ユキトさんは不思議そうな顔をする。


「ごめん、なんか変な夢をみたみたい」


 わたしは、無理やり笑顔を作った。

 自分の顔の筋肉が不自然な位置にあるような気がして仕方がない。

 わたしはちゃんとうまく笑えているのだろうか。

 さいわいなことに暗いせいもあってか、ユキトさんは特段何かを気にしている様子はなかった。


「そう……疲れているならあまり無理しなくていいからね。でも、夜はちゃんとねむろうね」

「わかった。羊の数でも数えてみる」


 しばらくすると、ユキトさんはすうすうと寝息を立てて眠っていた。


 わたしは頭まで布団をかぶって考える。

 真夜中にいなくなったユキトさんのこと。

 ――ユキトさんの布団は確かにあのとき冷たかった


 外に一人で出たのに何も起こらなかったこと。

 ――いや、まだ何も起きてないでもしかしたら繰り返していたら何か起こってしまうのかもしれないけれど。


 それに、キヨさんのこと。

 ――上品で優しくて素敵なキヨさんが、今は使われてない古い建物の中で二人の男に獣のように犯されている光景は信じがたい。それに……それに、あのときのキヨさんは確かに恍惚としていた。瞳はとろりと潤み、頬は紅く上気し、体全体は桃のような柔らかな色に染まっていた。まさに食べごろという表現がぴったりな魅惑的な大人の女性の色香につつまれていた。


 おかしい。

 全部ありえない。

 一生懸命、この村に来てからの日々のことを思い出す。


 優しいユキトさん。

 暮らしやすく土地に恵まれた村。

 素敵で理想の大人の女性のキヨさん。


 全部わたしにとって大切な宝物だ。

 なのに、それを疑うなんてできない。

 宝物を疑っていたら、それを大切にしている自分自身のことも疑わなければならなくなる。


 わたしは一体誰なのだろう。

 わたしは本当に存在するのだろうか。


 まるで、自分が立っている地面ごとまっくらやみに飲み込まれてしまったような気分になる。


 誰かに縋りつきたい。

 誰でもいいからわたしがここにいることを証明してほしい。

 自分の足元さえも不確かで上も下もわからない。

 世界にはわたしがひとりぼっち……いや、わたしなんて存在しないのかもしれない。

 誰かに触れてほしかった。

 ただ、手をつないで、わたしの名前を呼んでくれるだけでいい。

 そのためなら、今ならばなんだって差し出してしまう。

 誰かに証明してほしかった。

 わたしがおかしくなんかないことを。


「……お願い」


 声がでかかる。唇から勝手に零れ落ちる声は夜の闇と解けて消えてしまう。

 誰かのぬくもりが欲しかった。

 キヨさんの姿が思い浮かぶ。

 いつもの優しい笑顔が一瞬うかんだあとに、さっきの獣のように男とまぐわい、恍惚としていた表情がくっきりと。

 わたしは暗闇でそんなに目がきく方じゃないのに、あの男たちに犯されている瞬間の目じりのしわも、濡れた唇の色もはっきりと頭に焼き付いている。

 でも、もしキヨさんが今のわたしと同じような孤独を感じているのならば、あの二匹の雄の獣に犯されたのも納得だ。

 いま、となりにユキトさんがいると頭のどこかでわかっているから、わたしはその選択肢を取らないだけ。

 もし、ユキトさんがいなかったら……わたしはキヨさんの家の方に戻り、あの交わりに混ざってしまうかもしれない。

 暗闇に溶けて消えてしまうような孤独よりも、熱くべたべたした欲望の方がずっとましだと思えるから。

 孤独は寒い。

 冷たくて、体の芯がガラスでできているのではないかと錯覚する。

 きっと、ガラスでできた体はたやすく折れて砕け散ってしまう。

 砕け散らないように、熱く溶かしてほしかった。

 砕け散ってしまうより、溶けて全く別なものになってしまったほうがずっといい。


 あの獣としてまぐわうキヨさんにわたしは嫌悪感と同時にあこがれをいだいていた。

 だって、彼女はひとりじゃないから。

 きっと、どんなに乱暴にあつかわれても彼女なら壊れることなく、しなやかにその形に添うことができるだろう。

 キヨさんの顔はあんなにはっきりと見えたのに、二匹の雄の顔はおぼろげだ。


「ユキトさん……」


 もう一度となりにいるはずの愛しい夫の名前を呼ぶ。今度は返事がなく、代わりに規則正しい寝息が聞こえてきた。

 静かな寝息が重なるうちに、空はほんのり紫色に変わり、わたしの瞼は徐々に幕をおろしたのだった。

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