第11話 発芽

「ほら、見てごらん芽がでたよ」


 ユキトさんの示すのを見るとそこには小さな緑色の芽があった。

 まだ若々しい緑の双葉は一生懸命太陽の光を受けようと両手を広げている。

 頼りないけれど頑張っている姿がいじらしい。

「かわいいね」わたしがくすっと笑いながらいうと、ユキトさんも嬉しそうに頷く。

 小さな命が自分たちの手によって、生まれたようでうれしかった。


 淡く弱々しいのに元気いっぱいなそれをわたしは一日中だって眺めていられそうだった。

 鳥やもぐら、虫などの外的から守るために実際そばにいる必要があるのではないだろうか。

 そんなことをわたしが真面目にいうと、ユキトさんは笑った。


「大丈夫。まだそんな時期じゃないから」


 確かに、ここに来てから私はまだ虫一匹みていない。

 農業っていうともっと虫や天気との闘いかと思っていたが、天気も穏やかだし、気持ちの悪い虫など触れるどころか見てもいない。

 だから、作業に集中できているとも言えるのだが……。


 はたと思う、「植物って、種を蒔いてから一日で芽がでるものなの?」わたしが疑問を口にすると、ユキトさんは肩をぴくりと震わせた。

 そして深呼吸して、

「そろそろ、いろいろと話していかないとね……」

 とちょっと悲しそうな表情をした。

 二人の間にしばらく沈黙が続いた。

 まるで時間が止まってるんじゃないかってくらい、静かだった。

 その静けさが私を不安にさせる。

 昨日と同じくなにか様子が変だ。

 ああ、こんなどうでもいいこと聞かなければよかった。

 こんな気まずいというか、得体のしれない空気がユキトさんとの間に流れるならば。軽々しく疑問なんて口にしなければよかった。

 空気はゼリーのように粘っこく重い呼吸をしているはずなのに苦しい。

 心臓がどきどきして、喉がからからになる。

 なのに、わたしの掌は凍ったように冷たい。

 ジワリと汗が染みだして首筋にちりちりとした不快な痛みの線を引く。


「あの……やっぱりいい」

「えっ?」


 ユキトさんはわたしの瞳を覗き込む。まるでそこに答えでも書かれているのかと思うくらい、しっかりと凝視する。


「いいの。なんか難しそうだし。せっかく説明してもらっても分からないかもだし。ほら、はやく今日の畑しごとにとりかかろっ」


 わたしは必死に言葉を放つ、だけれどユキトさんは首を振った。

「いや、ちゃんと話さなきゃ。でも、確かに全部を説明するのは難しいね」

 ユキトさんとの間にあった空気の層がふと緩む。


「簡単にいうとね、この村は特別なんだ。特別な環境のおかげで豊かな実りを早く手に入れることができる」

「ふ、ふーん。そうなんだ。すごいね」


 わたしは必死に相槌をうつ。


「難しい話とかこの村の歴史は追々はなしていくよ」


 ユキトさんはそれだけいうと、畑しごとの説明をした。

 今日は水やりだけ。明日は肥料もあげるけれど。

 水やりが終わったら、今日の必要な仕事は終わりだからキヨさんの家に遊びにいける。

 わたしは急いでそばにあったじょうろに水をくんでやりはじめる。

 水をいれたじょうろは重くて運ぶのだけでも一苦労だった。

 両手はあっというまに痛くなるし、気が遠くなっていく。

 この調子じゃ、今日どころか今週中にキヨさんの家に行くのは不可能だ。

 ユキトさんのことは大好きだけれど、さっきの変な空気のあとだと少し怖い。気分を落ち着けるために、だれか別な人に会いたかった。

 だけれど、どんなに頑張っても作業は終わる気配がしない……そして、念のために確認する。

「一応きいておくけれど、自動水やりの機械とかって……?」

「あるよ」

 ユキトさんはこともなげに答える。

 畑をいくつかの区画に分けてありスプリンクラーのようなものを設置してあるらしい。まだ、自動でできるようにしていないので、それぞれの区画のスプリンクラーのスイッチをいれるのが今日のわたしのお仕事の水やりだったらしい。

 じょうろなんて必要ない。

「もっと、早く言ってよ~」

 わたしががっくりしながらいうと、

「だって、自分で水やりしたいのかなと思って。俺の話、聞く前にじょうろもってどこかにいっちゃうんだもん」

 ユキトさんはいたずらっぽく笑ってスプリンクラーの使い方を説明してくれた。

「それに、じょうろをもって歩く姿がかわいかったからね。まるで小さな女の子みたいだったよ。さっき見せた芽も『一生懸命お世話しなきゃ』っていってたから、本当に自分の手で水をあげたいのかと思ったんだ。ごめんね。手が痛いのに気づいてあげられなくて」

 そう言って、わたしの手をそっと撫でた。


 そして、畑の様子をみまわりながらスプリンクラーのスイッチをいれていく。


 あっという間に今日の仕事が片付いた。


 お風呂に入って、昼食を準備する。

 ユキトさんは午後から書斎にこもって会社の仕事をするらしい。


「キヨさんの家に行ってきます」


 そう言ったとき、やはりわたしは子供みたいだなあと苦笑いすると。

 ユキトさんは小さな子供を送り出すお母さんみたいに、


「いってらっしゃい。に帰ってくるんだよ」


 と言って、小さく手を振っていた。

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