第8話 おねだり

「キヨさんの家におよばれしちゃった。いってもいい?」


 わたしはキヨさんが帰ったあと、夫であるユキトさんに聞く。

 ユキトさんはちょっとびっくりした顔をする。わたしはひとみしりなところがあるから。初対面の人と話せないというより、人と深く仲良くなるのが怖いのだ。

 初対面では人並には話せる。というか、どちらかというと円滑にコミュニケーションをとれるほうだと思う。


 だけれど、何度もあっていると怖いのだ。

 相手の話とか何回か聞いたことのあるものだと指摘するか迷うし、自分が何度も同じ話をしてしまっていないかも気になる。

 会う回数が増えるほど、会話に気をつけなければいけないポイントが増えていく。

 もし相手の踏み込んではいけない領域に土足で踏み込んでしまったらどうしよう。

 何気ない会話で相手は笑っていたけれど、内心傷ついていたらどうしよう。

 そんな不安が家に帰ってから付きまとってくる。

 家に帰ってから会話を思い出して、失敗したと悶えたり悩んだりするのはダメージになる。


 キヨさんとなら仲良くなれるかもしれない。

 なぜだか、そんな風に思えた。


 きっと、キヨさんなら分かってくれるような気がした。

 だから、こちらの負担になりすぎないように、でも積極的に誘ってくれている。

 キヨさんとなら仲良くしたいと思った。


「無理しなくていいんだよ。ご近所づきあいだからって頑張りすぎてない?」


 ユキトさんはわたしを気遣って言ってくれた。


「大丈夫」


 わたしは彼を安心させるようににっこりとほほ笑んだ。

 心配してくれるのはありがたいけれど、もう子供でも学生でもないのだ。

 それにご近所づきあいは田舎での生活では欠かせないものだと聞いている。

 キヨさんとも仲良くなりたいし、ユキトさんの妻としてちゃんとこの村のコミュニティーに認められたいとも思っている。

 そのためにはユキトさんの後ろに隠れるようにするのではなく、ちゃんと一人の女性として自立していることを示すべきだろう。

 わたしが、任せなさいというように胸を張るとユキトさんは「あまり無理しないようにね」と苦笑いした。


「大丈夫。任せておいて。今までだってちゃ~んとやってきたんだから」


 どーんと任せなさいというように胸をたたいて言う。

 きちんと口にだして自分に自信をつけさせる作戦だ。

 心の中で自分にしっかり言い聞かせる。


 大丈夫。

 きっと、できる。

 わたしは、大丈夫。

 今までだって何とかしてきた。


                        今までって何?

 ぞわりと不快な感覚がした。

 今までは今までだ。

 生まれてからこれまでの話。

 でも、学生時代にそんな難しい局面にあうことはなかったはずだ。

 どこにそんな根拠になるような経験があるというのだろう。

 ……分からない。


 わたしはそんな正体の分からない不安を振り払うように首を振った。

 自分の髪の毛の毛先が頬や首の横をくすぐる。

 ちょっとだけチクチクとするが、得体しれない不安と違って私を現実に引き戻してくれる。

 正体の分からない不安になんかとらわれずに、わたしは目の前のユキトさんとの時間にもっと集中すべきだ。

 だって、わたしは彼の妻なのだから。

 優しいユキトさんとの幸せな時間だけをまっすぐみていればいい。

 よそ見なんてしないで、ただ彼のために尽くすべきだ。


 さあ、考えよう。

 余計なことは考えずに、今のわたしにとって本当に必要なことだけを考えよう。


「ねえ、キヨさんの好きなものってわかる?」

「キヨさんの好きなもの?」

「そう、せっかくお茶に及ばれしたのだから手ぶらで行くわけにはいかないもの」


 ユキトさんの妻としての役割をちゃんと果たせる妻だから。


「キヨさんなら紅茶にあうお菓子なら何でも好きだと思うよ。あの人すごく紅茶に凝っているから」


 ユキトさんはそう言ってにっこりとほほ笑んだ。

 紅茶と言えばスコーンを合わせたい。

 だけれど、スコーンを焼いてもクロテッドクリームやジャムなんかはさすがに冷蔵庫にはない。

 キッチンの電子レンジにはオーブン昨日もついていたが、使ったことないオーブンで人様に出すお菓子を焼けるほどのお菓子作りの腕ももちろんない。

 どうしたものか。

 わたしが悩んでいると、ユキトさんはのんびりした口調で、


「食糧庫にお菓子が入っているから適当なものをもっていくといいよ」


 と言ってくれた。

 昨日はお米を炊くだけで何が入っていたかよく見ることができなかったがたしかに食糧庫にはそれなりの備蓄があった。

 きっと、なにかふさわしいものもあるはずだ。


「ありがとう、ユキトさん」


 わたしは急いでキッチンに向かう。

 都会ならこういう時でも手土産は駅前にさっと買いにいけるのに。

 運転できないとここでの暮らしは不便かもしれない。


 料理に運転、やってみたいことがどんどん増えていく。


 全部、ユキトさんのため。


 好きな人に相応しい人間になるために何かを学ぶのはいいことだ。

 ただ漠然とやってみたいことよりも、目標がはっきりとあるのだから。

 色んなことに挑戦しよう。

 心配させすぎない程度に。


 ユキトさんを頼りにしてばかりじゃなくて、ちゃんとユキトさんの役にたてるわたしになりたい。

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