監獄から始まる魔王討伐譚

梶倉テイク

第1話

 その瞬間、ぼくは何よりも、誰よりも、自由だった。

 縦に高く、横に広い、どこまでも見渡せるひらけた視界。

 吹き付ける風に服がばたばたとはためいて、邪魔ではあれども解放感ゆえに気にならない。


 喧騒は下に。

 葛藤は背後に。

 いらないものはすべて置いてきた。


 ぼくは、今、何よりも自由だった。

 最高の瞬間だ。

 その自由をかみしめながら、ぼくは目を閉じた。


 ●


 端的に言おう。

 ぼくは自由を求めて自殺した。

 特にいじめを苦にしたというわけでもなく、失敗をしたわけでもなく、致命傷を負ったわけでもなく、余命いくばくというわけでもなく。

 ぼくは自由が欲しかったから自殺した。

 

 高いビルの屋上からダイブした。

 飛び出したあの一瞬は、人生最高の瞬間だった。

 そこまでは記憶がある。


 おそらくはもう二度と感じることのない幸せな記憶だ。

 けれど、気が付くとぼくは見知らぬ場所に立っていた。


 手には枷が付いている。

 服も高校のブレザーではなく、オレンジ色の、テレビの中やゲームの中でしか見たことがないような囚人服のような服に変わっていた。


 これではまるで囚人だ。

 いや、まるでではないか。

 まるきり囚人そのものだ。


 どうやらぼくは囚人になってしまったらしい。

 ならここは監獄なのか。


「何もしてないのに、囚人になってしまうとは、なんだこれハハハハ……」


 そんな冷静ぶってみるが、何が起きたのか理解できない。

 幸いなことに取り乱すような無様はさらさなくて済んだ。


 なぜならばこの場には、ぼく以外にも五人の人間がいたからだ。

 僕を含めて六人。

 同じくオレンジ色の囚人服に手枷。

 いや一人だけ半裸の男がいるけれど、それはまあ同じと含めても問題ないだろう。


 ともかく六人。

 ぼくを含めて男三人。女三人。

 ここが合コン会場ならすぐにでも始められるだろう。

 そして、ぼくの圧倒的敗北で幕を閉じそうだ。


「まあ、合コンする気はないけれど……」


 他人がいるおかげで、ぼくはかろうじて取り乱さずに済んでいることだけわかってもらえればいい。

 無様を誰かに見られるだなんて、それは相手に弱点のカードを明け渡していることに他ならないわけだから。


 かといって冷静でもないから、こんなことをつらつらと考えてしまう。


「ふぅ……落ち着こう」


 声に出せば、少しは落ち着くかもしれない。

 落ち着かなかったけれど。


「あ、あの……ここっていったい、どこなんですか?」


 ぼく以外の五人の中で一人が声を上げる。

 少女。いや幼女と呼ぶ方が適切な外見を持つ、小柄に過ぎる女だった。

 囚人服は当然だぼだぼであったが、手枷だけはしっかりとくっきりとはっきりと彼女の自由を奪っている。


 そんな少女が、不安げに問いの声をあげた。


「あー、オレ様も知らねえな」


 答えたのは半裸の男だ。

 褐色で細身の筋肉質。鋭すぎる眼光が特徴。その肉体には無数の傷が走っていた。

 そんなどう見てもカタギには思えない男が、答えた。


「おい、オマエ知ってるか? そこの眼鏡野郎だ」


 男は、眼鏡の少年に声をかけた。


「知りませんね。あと眼鏡野郎ではなく、ボクの名前は日日無敵たちごりむてきです」

「おー、良い名前だな、無敵ってのがいい。強そうなのが良い。オレ様はスリロスってんだ。よろしくな、無敵!」


 ニカっと笑って手を挙げてタッチを求める半裸男改めスリロスであるが、眼鏡の少年改め日日無敵の興味はこの空間ひいては建物に向いているようで完全にスルーであった。


「大和にはこのような建物存在していませんでした。実に興味深い」


 日日無敵は、ぶつぶつと自分の世界に入ってしまってこれ以上会話する気がなくなったらしい。


「ちぇ、変な奴だな。じゃあ、オマエはどうだ?」


 次に半裸男がやってきたのはぼくのところだ。

 もちろんぼくも知らない。


「知りませんね」

「そうかー。知らねえか」

「それより一つ聞いていいですか?」

「なんだ?」


 こんな時に聞くことではないかもしれないが、好奇心と何か言わないとと思った心が無意識の反射で聞いてしまった。


「なぜ半裸?」

「良いだろ、半裸。オレ様の素敵で最強でかっこいい肉体を見せつけられるんだぜ? だったらオレ様がとるべき姿は半裸か全裸だけだろ?」

「じゃあ、何故全裸じゃないんです?」

「馬鹿野郎! 股間丸出しとか、恥ずかしいじゃねえか!」


 半裸は恥ずかしくないのかとは言わないでおいた。

 とりあえず変な奴ということはわかった。


「じゃあ、アンタはどうだ?」


 スリロスが次に行ったのは、髪を二つおさげにした女の子だ。

 普通にぼくと同い年に見えるから女子高生かもしれない。


「え、あ、ええっとええっと。大野ヶ原こみみです。ごめんなさいごめんなさい、わかりませんわかりません!」


 半裸の男に近づかれてびっくりしたのかどもりながら、女の子――大野ヶ原こみみは二回頭を下げながら答えた。

 そりゃ半裸に近づかれればそうもなろう。

 スリロスは気にした様子もなく次へ。


「うーん、じゃあ、アンタ。どうだ?」


 半裸男は金髪に糸目の女に水を向けた。


「わたしですかぁ? わたしはぁシスター・ソレラといいますよ~」


 ふわふわとした雲や綿を思わさせる声にこの場自体が緩んだのかと錯覚した。

 錯覚した次の瞬間にはぴりりと引き締まったが。


「この場のことをきっと誰よりも知ってますよ」

「おっ、知ってんのか。教えてくれよ」

「はぁい、いいですよぉ」


 ふわふわお姉さん――シスター・ソレラは、こほんと咳ばらいをしてもったいぶらずに話し始めた。


「ここは名前のない監獄ですね」


 名前がない理由は単純に神が作ったものに人が名前を付けるのは傲慢に過ぎるかららしい。

 だから名前のない監獄という標識そのままに呼ばれている。


「名前を付けるのはダメで、呼び名をつけるのはありなのか」

「だって、呼び名がないと不便でしょう?」


 ぼくのつぶやきを聞きつけたシスター・ソレラが、そんなことを言う。


「それなら名前を付けるのと変わらないのでは」


 思わずそう返してしまったぼくである。

 浅はかであった。


「ふふふふ」


 そう聞いたシスター・ソレラは何をするでもなく笑った。

 怖い。

 もうこの件を言うのはやめようと思う程度にはすごみがあった。


 ともあれ、ここが名前のない監獄であるということはわかった。

 わかっただけではどうしようもないが、そもそもぼくらはどうしてこのような場所に集められたのか。


 そんな疑問を口にしようとしたら、ぶつんと音がして、この空間――五角形の無機質な部屋――の中央に人が浮かびあがった。


 より正確に言えば、ホログラム映像のようなものが浮かぶ。

 全身病的なまでの白づくめで、どこか修道服のような宗教的な印象を受ける。

 フードの下には仮面があり、顔が完全に隠されてしまっていて、どのような人物なのかはうかがい知れない。

 もしかしたら人間でないのかもしれない。


『君たちにやってもらいたいことがある』


 その何者かは、ぼくらの状況を説明するでもなく、釈明するでもなく、命令した。

 やってもらいたいことと枕詞をつけておきながら、その内容はただの命令であり、強制であり、強要であり、強迫だった。


『この監獄に収監されている魔王を殺せ。それまでこの監獄から出ることはできない。魔王を倒した者だけがこの監獄を出ることができる』


 ただの業務連絡だ。

 しかも最悪の。


「最悪だ……」


 ぼくはそう呟かざるを得なかった。


 最悪だった。

 魔王とかいうものはどうでもいい。昨今のエンタメ事情に多少明るければというか、エンタメに触れていればそこそこの確率で魔王について知っている。

 正確でなくても、正鵠を射ていなくても、相対的または近似するくらいには知っている。


 こういう場合、何かしら不思議パワーでも与えられている可能性が高いし、監獄にいる魔王を倒せならば封印に準じることができているのだからパワーなんて必要ないかもしれない。

 だから、最悪なのはそれではない。


 最悪なのは、すべてにおいてこの状況だ。

 強制された。強要された。強迫された。

 最悪だろう?


 ぼくは自由というものを愛している。

 ついさっきまで、意識を失うまでぼくは自由の絶頂にいたのだ。

 それだというのに、気が付けばぼくは監獄に入れられて、魔王討伐を強制されている。

 これを最悪と言わずなんというのだろう。


 討伐しなければ、外に出られない?

 最悪だ。

 外に出る自由をはく奪された状態だ。

 断固として抗議したいところだが、抗議する前にホログラム映像らしき何かは消えてしまった。


 同時に、手枷が外れ扉が現れる。

 そこから出ていけということのようだ。


「魔王ね、強いならなんでもいいか」


 やはりというか最初に出て行ったのはスリロスだった。

 楽しそうに笑いながら部屋を出て行った。


「ふふふ、魔王を倒せ。神よ、それが我が使命なのですね」


 次はシスター・ソレラ。

 神とか言っている怖い。


「魔王。魔の王。ボクの実験に役立てばよいのですが」


 次は日日無敵。


 残ったのはぼくと大野ヶ原と幼女の三人だ。


「えーっと……」


 大野ヶ原がどうしようという視線をぼくに向けてくる。


「とりあえず、行く……?」

「う、うん、うん。あ、あのあなたも」

「うん、いくー」

「そういえば、君の名前聞いてないね」

「あたしちゃんはねー、リリス・夢咲っていうんだよ、お兄ちゃん」


 親が何を思ってこの子にそんな名前を付けたのか聞いてみたくなってしまった。

 だってリリスである。

 思春期男子が想像するのはそういうことだから、そう思っても仕方ないだろう。


 ともあれ、そんなことを初対面の男に聞かれたいわけもないだろうから、ぼくは黙っているしかない。


「え、え? すごいすごいエッチそうな名前だね、ご両親はどうしてその名前を付けたの?」


 大野ヶ原が真っ向から聞いていた。

 もうちょっとオブラートに包んだらいいのではないだろうか。先ほどまでおどおどしていたのはどうしたのだと思った。

 でも、ぼくも聞きたかったので何も言わずに聞き耳を立てる。


「えー? かわいい名前だからって! あたしちゃんかわいいでしょ?」


 うむ、何も情報がなかった。

 まあ、幼女相手だから仕方ないのだろう。


 ともあれ、いつまでもここでこんな話をしているわけにもいかない。

 ぼくらも三人で部屋を出た。


 最後に言っておきたい。

 ライトノベルによくある展開ならばもっといい展開を用意してもらいたい。

 魔王を討伐する勇者なら、監獄スタートではなく王城スタートとかにしてくれよと。



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