輪廻の月

@roukodama

雄三

「おい、こいつ勃起してんぞ」


 ひときわ身体の大きな坊主頭の男が言った。周囲の男たちが大笑いする。


 ここは地元の不良集団SCARS(スカーズ)がアジトとして使っている廃ガレージだ。バスケットコート半分ほどの広さで、コンクリ張りの床に、ソファやベッドやテーブルが無造作に置かれている。


 集まっているのは三十人ほどのメンバーで、その中央に、誰もが恐れるSCARSのボス、金井雄三かないゆうぞうがいる。


「雄三さん、見てくださいよ。こいつ、男にしゃぶられて感じてますよ」


 坊主の男、尾藤雅びとうみやびは嬉しそうに言い、羽交い締めにしている男の股間を顎で示す。


 雄三はため息をつきながらも、その中途半端に肥大している男性器が、もう一人の男の口の中に差し込まれるのを見る。


「ほら、もっと音立てて吸えよ、いやらしく」


 尾藤が性器を咥えている男の頭を掴み、前後に激しくピストンする。その様子を見て、SCARSの面々が悲鳴とも笑いとも言えぬ声をあげる。男たちはSCARSが囲む円の中央におり、同じ円の中に、雄三の座っているソファがある。


 雄三はぴったりした革ジャンに黒いワイドジーンズを身につけ、白っぽくなるまで脱色した髪を、グリースでオールバックに撫で付けている。先月二十歳になったばかりだが、その鋭い目つきと物怖じしない態度には、SCARSの頭に相応しい存在感がある。


「尾藤って、やっぱ頭おかしいよな」


 雄三と同じソファに座っているナンバーツーの石神誠いしがみまことが、顔をしかめて耳打ちする。男同士でフェラチオさせるという案は尾藤から出たものだ。確かにまともな発想ではないが、雄三はそういう刺激的な尾藤の思考を、どこかで好んでもいた。


「ああ、そうだな」


 雄三は同意しながらも、歪んだ笑みが浮かぶのを隠せなかった。ごまかすようにソファから立ち上がり、男たちの方に近づいていく。


「どうだ、総長のチンポはうまいか」


 尾藤に捕まっている男が、雄三を睨んだ。


「てめえら、こんな事して、どうなるか分かってんだろうな」


 男は隣町で活動する暴走族の総長だった。構成員十数名の、小さなチームだ。数時間前この五葉町で走り始め、三十分足らずでSCARSに襲撃された。尾藤を含むSCARSの武闘派たちが、総長と特攻隊長を拘束したのだ。


 他のメンバーはそれに怯えて逃げ帰ってしまった。今頃、地元に戻って戦々恐々としているのだろう。


「うるせえよ、馬鹿。お前こそ分かってんのかよ」


 雄三はそう言って、ポケットからジッポーライターを取り出した。火をつけ、総長の顔に近づける。


「うわっ、何すんだ」


 総長は身をくねって避けようとしたが、後ろ手に手錠がはめられている上に、尾藤に拘束されているので動きようがない。「天上天下唯我独尊」と威勢のいい刺繍が施された特攻服も、この状況では滑稽にしか見えない。


「何すんだじゃねえんだよ。この金井雄三に楯突いて、無事に済むとでも思ってんのか」


 淡々と言うと、総長は目を見開いて、みるみる青ざめた。


「金井……雄三? 金井建設の?」


「何だ、知らなかったのかよ」


 後ろで石神が言って、乾いた笑いを漏らした。


 男は態度を豹変させ、子どもじみた謝罪の言葉を繰り返した。許してくれるなら何でもすると言い、こうすればいいのか、と自ら仲間の顔に性器をこすりつけた。尾藤はその様子を見てさらに爆笑し、少し前にどこかのチンピラから取り上げたというデジタルカメラでその様子を撮影した。


 だが雄三は反対に、ひどく興ざめした。自分の名を知って突然態度を変えた男に、劣等感に似た感情を抱いた。長く火をつけていたせいで、ジッポーが熱を持っている。雄三はそこに親指を押し当てた。熱による痛みが、自分を慰めているような気がする。


「雄三さん?」


 石神がソファから立ち上がり、雄三の顔をのぞき込んだ。野球で焼けた黒い肌と適度に盛り上がった筋肉。一七五センチの雄三より背はだいぶ小さいが、独特の迫力がある。人望もあり、組織の運営がうまい優秀なナンバーツー。だが雄三は、男たちに感じたのと同じ気持ちを石神にも、いや、SCARSのメンバーたちにも感じるのだった。


「もういいや、あとは、適当にやってくれ」


 雄三はそう言って、仲間が作っていた円を割って、ガレージ出口へと向かっていった。


 一人ガレージを出ると、自分のバイクに跨って、エンジンをかけた。


 言いようのない不快感があった。外で見張りに立っていたSCARSの若いメンバーたちが、気まずそうにこちらを見ている。


「何だよ、文句でもあんのか?」


 雄三が言うと、彼らはビクッと震え、「い、いえ、そんな」と口ごもった。雄三は、恐縮する彼らを睨みつけると、一気にアクセルを開けて発進した。




 五葉町いつばちょうは、人口五千人に満たない小さな町である。


 土地は湾曲した台形をしていて、下辺は海に面しており、上辺から中心にかけては深い山に覆われ、その間のごく狭い平地に細々と住宅や施設が建てられている。隣接する町の集落とも分断されており、ある種の「陸の孤島」的な様相を呈している。


 その中で最も力を持つ企業が、株式会社金井建設だった。


 元々は社名の通り建設業を主体とした会社だったが、双名商店街の運営を任されるようになってからは、飲食店経営や観光業、宅地開発や経営コンサルティングなど幅広い事業に関わるようになった。


 その過程で、五葉観光開発、金井警備、玉島リネンサービス、ゴールド美装といった子会社を設立、金井グループを形成し、町内の全ての事業に金井グループが関わっていると言われるほどの存在になっていた。


 社長の金井丈三かないじょうぞうは、創業者である金井松宇の息子であり、まさにこの町の「王」と言っても過言ではない人間だ。住民はもとより、警察や役所も頭が上がらない。


 圧倒的な権力を持ち、大きな事業を次々と成功させ、莫大な資産を持つ男。


 その「王」の跡取り息子が、雄三だった。




 旧市街を抜け、海沿いを走る国道に出ると、アクセルをさらに開けた。


 やがて信号にさしかかる。左折して、いつもの林道へと続く上り坂へ入っていく。バイクは数秒で山中へと埋没する。左右から被さるように茂る葉が、太陽を遮る。途端に、肌寒さを感じる。体の輪郭が数ミリだけ縮こまったような、悪くない感覚。


 雄三はスピードを上げる。勾配が徐々にキツくなるが、パワーのあるバイクはものともしない。


 左へ右へと曲がりくねる林道では、そのパワーが恐ろしくもある。一瞬の操作ミスで、ガードレールに、落石止めのコンクリートに、突然現れる対向車線の車に衝突するかもしれない。


 だが雄三はアクセルを握る右手に、もっと開け、もっと開けと命じる。エンジンが唸り、ガードレールが迫ってくる。


 ぶつかってしまえばいい。


 そして、自分など壊れてしまえばいい。


 ……

 ……


 幼い頃から、求める求めないに関わらず、あらゆる物が与えられた。


 父・丈三は、金井建設の社員や使用人に対しても、雄三に大人同様の敬意を持って接する事を命じた。幼い雄三は、自宅内に作られた事務所に顔を出しては、社員たちが起立し深々と頭を下げる様子を楽しんだ。どんな振る舞いをしても、皆怯えた笑顔を見せるだけで、叱られる事はなかった。


 地元の小学校、そして中学校に通う中で、雄三はその影響力が外でも有効である事を知った。担任教諭も、いや、教頭や校長までもが、「金井建設の一人息子」に怯え、媚びた態度をとった。クラスには、金井建設や金井グループの会社に勤める親を持つ子も多く、すぐに雄三を中心としたグループができあがり、雄三は学校でも、自宅同様の待遇で過ごす事ができた。


 何不自由ない、誰もが羨む生活。だがコップの中に水滴が落ちるように、長い時間をかけて雄三の中にはある種の閉塞感が生まれていった。自分は他の人間とは違う、それを重荷に感じる時間が増えていった。


 中学二年の初秋、クラスメイトが誤って雄三に怪我をさせた事があった。偶然の事故だったし、傷も浅く、何より雄三はそのクラスメイトと仲が良かったから、問題にする事はなかった。


 だが次の日、そのクラスメイトは学校に来なかった。次の日も来なかった。その事を担任教諭に聞くと、急な転校が決まってもう引っ越したのだと告げられた。


 父親が手を回したのだ、とすぐに分かった。


 権力を使って、自分に断りもなく、友達を追い出した。それを機に、知らず溜まっていた閉塞感は、父親に対する嫌悪に変化した。学力は充分だったのに、勧められた進学高校ではなく不良の集まる工業高校に進み、そこで悪い人脈を得て非行を繰り返した。


 卒業後は進学も就職もしないまま、地元の悪ガキたちとSCARSというグループを結成し、旧市街にある廃ガレージをアジトにして、無為な日々を過ごした。


 ……

 ……


 バイクで十分ほど登ると、遠目にトンネルが見えてきた。焼坂トンネルだ。


 トンネルを抜ければ道は下りになるが、隣町の集落までは車でも三十分以上かかる。そもそも、その集落に行くのだとしても、この険しい山道を行くより海沿いの道をぐるりと回ったほうが早い。だから、ここを通る者はほとんどなかった。雄三自身、トンネルを抜けた事は数える程度しかない。


 トンネルは真っ直ぐで、向こう側の景色が見えている。距離は百メートルほどなのに、向こう側の景色はどこか異国のように感じられた。五葉町ではない、別の町。トンネルを抜けてしまえば、「金井建設の一人息子」という看板も、通用しなくなる。


 トンネルの前でUターンして、数分戻ったところにあるドライブインまで戻った。駐車場に入り、いつものように自動販売機の前にバイクを停める。


 広い敷地に車はほどんと停まっていない。隅の方に数台並んでいるのは、ドライブインの従業員の車だろう。開店当初は多少賑わった店も、林道を通る車が激減した今は閑古鳥が鳴いている。土産物屋や喫茶店など、一部はまだ細々と営業を続けてはいるが、利益が出ているようには見えない。


 小銭を取り出し、缶コーヒーを買った。ガードレールに腰掛け、大きく息を吸う。


 雄三にとっては、この人気のなさは好都合だった。仲間から離れ、父親から離れ、そして「金井建設の一人息子」という立場からも、離れられる。


 あの劣等感に似た感情に襲われると、雄三はいつもバイクを飛ばしここに来た。ぼんやりとコーヒーを飲み、タバコを吸う。危険な運転をして興奮した身体が、ゆっくりと弛緩していくのがわかる。


 その時、革ジャンのポケットの中で、携帯電話が震えた。


 舌打ちして電話を取り出し、二つ折りの本体をパカリと開けて、小さな液晶画面を見る。見慣れた番号が表示されていた。金井建設の事務所。番号を見ただけで、傳田でんだの顔が頭に浮かぶ。再度舌打ちをして、通話ボタンを押した。


「なんだよ」


「坊っちゃん、傳田です」


「わかってるよ、何の用だ」


 傳田は金井建設の営業部長を務める男だ。金井丈三の同級生で、もう二十年以上働いている。そして昔から雄三の世話係でもあった。


「今どこですか」


「どこだっていいだろ。ほっとけよ」


 雄三が言うと、傳田は黙った。重苦しい沈黙だった。SCARSのメンバーも恐れる、頬に大きな傷のある傳田の顔が思い浮かぶ。


「坊っちゃん、今すぐ戻ってください」


「はあ? 嫌に決まってんだろ」


 電話の向こうは騒がしかった。それは、いつもの事務所の雰囲気とは違っている気がした。もっと切迫した、どこか緊張感を強いてくる騒がしさだった。


「どうした、何かあったのか」


 好奇心が沸いて、思わず聞いた。傳田がゆっくりと息を吸うのが分かった。


「社で人が死にました。殺されたんです」

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