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六重窓

第1話

 午前十時、事務所が開くのと同時に一人の女性が駆け込んで来た。遠慮のない足運びではあったが、初めて来る客のようだ。黒のワンピースには細かな刺繍が施され、身のこなしからもどことなく上品さが漂う女性だった。

 彼女はスミレが出した紅茶にも手を付けず、落ち着かなさ気にソファに浅く腰掛けている。

菫鈴きんれいです。本日はどういったご用件でしょうか」

 スミレがローテーブルに名刺を置けば、婦人は困ったような表情を浮かべた。ちらりと室内を眺めるも、他には呑気にクラゲ観察をしている僕しかいない。

「今日はコトノさんはいらっしゃらないの?」

「ええ」

「それでは……出直します」

「私に依頼するのも変わりませんよ」

 スミレは涼しい顔で女性を諭す。どこから評判を聞きつけてくるのかは知らないが、コトノに依頼したいという者は引きも切らない。

「でも、担当はあなたになるのでしょう?」

「そうですね。しかしコトノがいつ事務所に顔を出すかは、私達でも分かりませんよ。お困りごとがあるのではないですか?」

「それはそうですが……」

 渋々ではあったが、彼女はようやく依頼内容を話し始める。神経質そうな女は園蛇萌えんだもと名乗った。胸の前で組まれた手には、華奢なゴールドのリングが嵌められている。

「実は、一か月くらい前から悪夢を見るようになったんです。しかも徐々に酷くなっていって……。夫に相談したら、夫も同じ夢を見ているって言うんです。これはおかしいと思って、こちらで解決してもらえないかと思いまして」

「具体的にはどんな夢を?」

「山賊に殺される夢です」

 育ちの良さそうな婦人の口から飛び出したのは、意外な言葉だった。僕は少しばかり驚いて女性を見つめた。スミレも小さく息を呑んで、彼女の次の言葉を待った。

「山道で、刀とか槍を持った集団に襲われるんです。私は必死に逃げるんですけど追いつかれて……泣き叫びながら恐ろしい老婆に殺される、それで夢は終わりです」

 それがどれだけのリアリティで彼女を襲ったのかは分からないが、あまり眠れていないだろうことは彼女の疲れた様子から察せられた。

「ご主人もあなたと同じ夢を?」

「はい」

「それは……確かに気になりますね。一か月前に、何か原因となるような出来事はありませんでしたか?」

「いえ、特に思い当たる節はありません……調べていただけませんか?こちらでは他で断られた依頼でもお受けいただけるって聞きました。無理なお願いとは分かっているんですが、頼めるところがなくて」

 女性は懇願するようにスミレを見つめた。悪夢をみないようにしてくれ、なんて普通の探偵事務所ならまず断るだろう案件だ。とはいえ、こっそり異質物取扱所の看板を掲げる僕達としては、断る理由はない。

「問題を解決できるとお約束はできませんが、調査してみましょう」

 慎重に言葉を選んでいるスミレが可笑しくて、吹き出してしまいそうになる。表向きには小規模な探偵事務所の体を取っているので、オカルトめいた依頼を喜び勇んで受けるわけにはいかないのだ。女性は飛び上がらんばかりに喜んでいる。解決できるかは分からない、と念入りに釘を刺す必要がありそうだ。

 スミレは彼女の夢について、より詳細に聞きこんでいく。

「山賊に殺されるとのことですが、相手はいつも老婆なのですか?」

「はい。追われているときは屈強な男のような気がするのですが、殺されるときはいつもお婆さんです」

「時間は夜ですか?」

「ええ、真っ暗で明かりのない山道です」

 夢というのは現実の物理法則に支配される世界ではない。だから、暗闇で相手の顔を判別できることは不思議ではなかった。

「場所についての心当たりは?」

「……ありません」

「そうですか。夢の中であなたは一人ですか? ご主人も一緒ですか?」

「一人ではない気がします。ただ、それが夫かどうかはあまり自信がないのですが……」

「追ってくる山賊は複数人ですか?」

「はい、何人いたかは分からないですが。後ろから雄叫びを上げながら走ってくるので、逃げるのに精一杯で」

「山賊は刀や槍を持っていたんですよね。他に特徴はありませんか?」

「破れた着物を着ていたり、裸足だったり、……なんだか貧しそうな印象は受けました」

「全員、和装でしたか?」

「すみません、全員かはちょっと……」

 微かな違和感が、心の表面を引っ掻いていく。彼女の語る夢の内容は鮮明すぎる。夢というのは目覚めた瞬間に、忘却されるようなものではなかっただろうか。それとも、同じ夢を何度も見ていれば諳んじられるようになるのだろうか。

 スミレが他に訊きたいことはあるかと目で問うてくるが、今の段階で質問できることはない。僕は水槽のガラス越しに首を振って見せた。

「状況は分かりました。後日、ご自宅を見せていただくことはできますか? できればご主人にもお会いしてお話を聞きたいので、お二人ともいらっしゃる日が良いのですが」

「もちろんです」

 女性は名刺と前払い金を置くと、事務所に入ってきたときより随分と軽い足取りで帰っていった。

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