第87話 市場見学と帰宅時間
屋台はちょうどいたお客さんが帰るところだったようで、お母さんがお客さんからお金を受け取ってお父さんが火種を渡して、二人一緒に笑顔でお客さんを送り届けてからこっちに視線を向けてくれた。
「皆、久しぶりね」
「元気だったか?」
「おうっ、ちゃんとやってるぜ!」
「おじさんが木を切り倒してた場所は俺が引き継いだんだ」
「ちょっと寂しいけど元気だよ!」
皆の今まで通りの様子にお母さんは優しい笑みを浮かべ、お父さんは満足げに頷く。
「これからも頑張れよ」
「それにしても服装が変わると見違えるわね。エミリーはとても可愛いわ」
「へへっ、本当?」
エミリーはお母さんに褒められてニコニコと満面の笑みだ。
「レーナがやってくれたの。お母さんにも見せたいなぁ」
「それなら今度はサビーヌも連れてくると良いわ。私も会いたいもの」
「良いの!? じゃあお母さんに伝えておくね!」
そこで話が一段落ついたところで、お母さんは焼きポーツの肉巻きをじっと見つめるフィルに視線を向けた。
「一つ食べるかしら」
「いいのか?」
「もちろんよ。皆ならお金もいらないわ」
お母さんは串に刺さっている焼きポーツの肉巻きを、温めるためなのか火に当ててからフィルに手渡す。そしてフィルの次はエミリー、ハイノだ。
皆は嬉しそうに串を一本受け取ると、少し匂いを嗅いでから口に運び……一口食べた瞬間に、瞳を見開いて固まった。
そして十秒近く焼きポーツの肉巻きをマジマジと見つめてから、輝く瞳をお母さんに向ける。
「おばさん、これマジで美味いな!」
「本当? 良かったわ」
「すっごく美味しいよ! 焼きポーツがこんなに美味しいなんて!」
「これ、スラムでも食べたいな」
食べ慣れている焼きポーツがより美味しくなっているものだから、皆には美味しさが分かりやすいみたいだ。
「ルビナの料理は美味いだろう?」
「何でおじさんが自慢してんだよ。でも本当に美味いな」
隣でドヤ顔のお父さんには皆が苦笑いだ。本当にお父さんってお母さんが好きだよね。
「この味付けがとにかく美味いよな」
「もっとたくさん食べたくなるね」
「それならもう一本食べても良いわよ。あっ、でも同じものよりも色々と食べた方が良いかしら。これと似た味付けの屋台飯が向こうに売ってるわ」
お母さんが示した先に見えるのは……ああ、あの屋台か。タレの味が絶品な串焼き屋だ。ハルーツのヒレを串焼きにして売っていて、食べ応えがあってかなり美味しい。なのに安いからうちでもよく買うのだ。
「食べに行く?」
「もちろんだ! ……って言いたいんだけど、もうかなり腹いっぱいなんだよな」
「俺もだ」
「確かにそうなんだよね……」
「じゃあ一本だけ買って皆で一つずつ分ければ? あれって三つで一本だから」
私のその提案に皆がすぐに頷いたので、私たちは場所を移動することにした。
そしてそれからも市場を楽しく見て回り、高価なものはスラムに持ち帰れないけど安いものならということで、布で作られたブレスレットをお揃いで購入し、最後にロペス商会の本店にやってきた。
本店を見てみたいというのはエミリーのリクエストだ。ジャックさんの働いてる姿を見たいってことだったんだけど……あっ、いた。
「皆、左側で接客をしてるのがジャックさんだよ」
本店の表側からお店を覗き込む形でジャックさんのことを示すと、三人は三者三様の反応を示した。
エミリーはとにかく私と同じようにかっこよさに悶えていて、ハイノはカッコ良さやこのお店で働けていることを羨ましがっている。フィルは羨ましいというよりも、お店の立派さとジャックさんのレベルの高さに気後れしてる感じだ。
「本当にカッコいいんだね……!」
「そうなんだよ。推しになるでしょ?」
「なる!」
私の影響でエミリーは推しという概念を理解しているので、私の言葉にすぐさま頷いた。そして瞳を輝かせて頬を赤く染め、恋する乙女のような表情でジャックさんを見つめる。
「凄いな……こんな大きな店で働けるなんて、羨ましいよ」
「確かに凄いけど、俺はこんな店で働ける気がしねぇ。レーナってここで働いてるんだよな?」
「そうだよ」
「……凄いんだな」
フィルの純粋な尊敬の眼差しに、どう反応すれば良いのか分からなくなる。確かに凄い……のかもしれないけど、もう慣れちゃったからあまり実感がない。
「フィルとハイノだって、勉強すれば働けるよ。大事なのは敬語と読み書き、計算かな」
「レーナはスラムで覚えたんだよな?」
「うん、ジャックさんが教えてくれたんだ。皆も勉強したいなら市場に行くと良いよ。全員ではないと思うけど、あそこには敬語が使えて読み書き計算ができる人が一定数いると思うから。少しは文字が読めるようになれば、私が教材を送ることもできるし」
私のその提案に三人は真剣な表情になり、まず頷いたのはフィルだった。そしてエミリー、ハイノと続く。
「頑張ってみる」
「教材を頼めるように、まずは読みを頑張らないとだな」
「でもスラムには文字がほとんどないよね……」
エミリーのその呟きを聞いて、私は突然閃くものがあって口を開いた。
「あのさ、スラムに伝わる物語が何個かあるよね? 精霊たちのお話とか」
「子供の頃に何度も聞いたやつか?」
「そう。それを私が文字にしようか? それなら皆も内容を分かってるから、勉強しやすいんじゃないかな」
私のその言葉に皆が顔を明るくして頷いたのをみて、良い方法を思い付いて良かったと頬が緩む。皆はかなりやる気になってるみたいだし、将来が良い方向に進んで欲しいな。
「今日はそろそろ帰るか。時間も遅くなってきたしな」
話が途切れたところで空を見上げながらハイノが発したその言葉に、エミリーとフィルも名残惜しそうに日が傾き始めた空を見上げた。
寂しいけど……引き止めるわけにはいかないよね。
「服も着替えないとだし、一度うちに戻ろうか」
それから三人が街中の風景を目に焼き付けるようにしながらゆっくりと家に戻り、服を着替えてもらったら皆で外門に向かって歩みを進めた。
朝とは打って変わって寂しげな皆の様子に、私まで寂しい気持ちになってしまう。でもこれでもう会えないわけじゃないんだからと無理矢理にでも寂しい気持ちを振り払い、皆にさっき用意した紙を手渡した。
「これ、さっき言ってた精霊のお話。一番短いやつを書いたから勉強に使ってね」
折り畳んであった紙を恐る恐る開いた皆は、そこに書かれている文字を見て瞳に力を宿す。
「ありがとう。レーナ、私頑張るね」
「うん。応援してる」
「レーナ、これってあの歌にもなってる話か?」
「そう。それなら内容は誰でも分かると思って。もし疑問点とかあったらいつでも連絡してね」
三人は私のその言葉に頷いて、紙を大事そうに服の中に仕舞って抱えた。
そうこうしている間にもう外門だ。私とお兄ちゃんも皆と一緒に外に出て、三人が脱いだ上着を受け取る。これで皆は完全にスラムの子供たちに元通りだ。
「気をつけて帰ってね」
「おう、俺がいるから大丈夫だぜ」
「二人も気をつけてな」
「もちろん。エミリー、また会おうね」
「うん! 今日はすっごく楽しかったよ!」
「三人ともまたな」
私たちは今日の楽しかった思い出を胸に、寂しさは端に押しやって笑顔で手を振り合った。そして三人がスラム街の中に消えていくのを見送ってから、お兄ちゃんと一緒に街中へ戻った。
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