第71話 新しい部屋

 契約時にも入った管理人室の中は、以前と全く変わっていなかった。優しげな笑みを浮かべているご夫婦も変わらずだ。

 私はその様子を見て少し安心し、無意識に入っていた体の力が抜けた。住む場所って安心できる要素はかなり大事だと思うから、ここにして本当に良かったな。


「いらっしゃい。あらあら、とても仲が良さそうなご家族ね」

「お久しぶりです。父と母、兄です」


 ご夫婦にもコームさんに対してと同じような挨拶をすると、お二人は優しく微笑んでくれた。そしてさっそくと棚から鍵を取り出すと、私に手渡してくれる。


「これが部屋の鍵だよ。四人家族だと聞いていたから四つ渡すけれど、無くさないように気をつけなさい。退去の時に鍵が一つでもなかった場合は、鍵を交換する費用を貰うことになるからね」

「分かりました。気をつけます」


 四つ用意してくれるなんてめちゃくちゃ親切……! 鍵が複数必要だったら、鍵の複製にお金がかかるなって心配してたのだ。


「じゃあ部屋に案内しようか。部屋の掃除はちゃんと終わっているから、問題ないとは思うけど確認してくれるかい?」

「はい。確認させていただきます。問題がなければ、すぐに住み始められますか?」

「もちろんだよ」


 そんな話をしながら階段を登り、私たちの部屋の前までやってきた。長い階段を登るのも初めてな皆は興味深そうに廊下を見回していて、部屋に入る前から楽しそうだ。


「父さん、鍵を開けてみる?」

「お、おうっ。やってみるか」


 スラムには鍵がないので、父さんは人生で初めて持つ鍵を恐る恐る受け取ると、困惑顔で私に視線を向けた。


「これを、どうするんだ?」

「それを鍵穴に差し込んで左に回すと鍵が開くと思う。回してみて」


 父さんがカチカチと音を立てながら不器用に鍵穴へ鍵を差し込み、ぐるっと左に回すと……ガチャっと鍵が開く音がした。この辺は日本とほとんど変わらない仕様なのだ。


「開いたみたいだね。鍵を抜いてドアを引いたら開くよ」

「じゃあいくぞ。――おおっ!」


 開いたドアから中を覗いた皆は、三人で揃えて感嘆の声を上げた。私はそんな皆の背中を押して部屋の中に促す。


「早く入ろう。廊下で騒いでたら他の住民に迷惑だから」

「そ、そうね」

「……うわぁ、なんかめちゃくちゃ綺麗じゃないか? 本当にこんなところに住むのか?」

「い、色々あるな。何がこんなにあるんだ?」


 ほとんど何もないスラムのボロ小屋との落差に、皆はかなり困惑している様子だ。そんな皆のことを迷惑がらずに待ってくれている管理人ご夫婦とコームさん、マジでめちゃくちゃ良い人たちだよね。


「時間がかかってすみません。すぐに中を確認しますね」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」


 それから私は困惑して感動してと忙しい皆は置いておいて、部屋の中に問題がないかをざっと確認した。そして特に問題はなさそうなので、その旨を管理人さんに伝える。


「問題なさそうです。綺麗に掃除してくださってありがとうございます」

「それならば良かったです。ではこちらの入居確認書類に署名をしていただけますか?」

「私の方でも、ご紹介完了書類への記入をお願いいたします」


 管理人の男性とコームさんに書類を手渡され、私はカウンターの上で素早く署名をした。これで引っ越し手続きは全て完了だ。


「ありがとうございます。では私たちはこれで失礼いたします。何かありましたら、管理人室まで来てくださいね」

「分かりました。これからよろしくお願いいたします」

「私も失礼させていただきます。またご相談等ありましたら、お声がけいただけたら嬉しく存じます」

「はい。また何かありましたら相談させていただきます」


 管理人のご夫婦とコームさんを送り出した私は、皆がいる部屋の中を振り返って、どこか落ち着かない様子の皆に声をかけた。


「これで引っ越しの手続きは全部終わったよ。今この瞬間から、この部屋が私たちの家になりましたー!」


 テンション高く告げたその言葉に、皆もやっと実感できたのか頬を緩めて部屋の中をもう一度見回す。


「本当にこんな部屋に住めるなんて、凄いわね。レーナは凄いわ」

「レーナ、部屋の使い方を教えてくれるか?」

「もちろん良いよ。じゃあ入り口近くから説明していくね。まずはここなんだけど――」


 それから私は皆に部屋の使い方を一通り説明して、持ってきた荷物をとりあえず床にまとめて置いた。


「じゃあ皆、これからやることなんだけど……まずは何よりも買い物かな。この部屋には何もないから、色々と買い揃えないといけないんだ。テーブルと椅子、後はベッドに入れる布団。それから調理器具各種。水場で使う桶やタオルも必要だね。後は皆の服と鞄もないと不便だから買わないと」


 私が指折り必要なものを挙げていくと、皆は楽しそうな笑みを浮かべた。しかしお兄ちゃんがハッと何かに気づいたような表情を浮かべ、心配そうな様子で口を開く。


「そんなに買って大丈夫なのか? 金がかなり必要じゃないか?」

「……確かにそうだったわね」

「もし足りないなら、父さんの服はこのままでも良いぞ」

「そうよね。布団だってなくても大丈夫よ」


 皆が心配そうな表情で慌てだしたので、私は安心してもらえるように笑みを浮かべた。


「気にしなくて大丈夫だよ。お金はまだあるから」


 市民権はダスティンさんがアイデア料としてくれたお金で買えたので、私が働いて得た給料は丸々残っているのだ。これからの生活を考えたら無駄遣いはできないけど、生活必需品を買うぐらいなら問題はない。


「良かったわ。……でも私たちも早く仕事を見つけないといけないわね」

「そうだな。いつまでもレーナに頼りきりじゃダメだ」

「俺も頑張って働くぞ!」

「落ち着いたらすぐに仕事を見つけようか。そのためにも今日中に必要なものを買っちゃおう」

「確かにそうね。じゃあ行きましょう」


 私たちは買ったものを入れるための籠や袋、そしてお金を持って部屋を出た。ここからは楽しい買い物の時間だ。

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