3 情熱と不安を抱いて
「ねえ、まだ拗ねてるの?」
「拗ねてない。子ども扱いは止めろって」
先ほどからこちらに背中を向けている本当の理由くらい花穂も気づいてはいる。それでもあえてそう聞くのは、構って欲しいから。
花穂が奏斗の背中に抱き着けば、
「当たってる」
と言われ笑ってしまう。
「良いじゃない。好きでしょ?」
「嫌いではない」
「素直でよろしい」
”そのまま感触を味わっているといいわ”と言って花穂が話を変えると彼が苦笑いをする。
「そのままじゃ風邪引く」
こんな時でも奏斗は紳士的だ。近くにあったシャツを掴むと振り向かずに花穂の方へ向ける。
「彼シャツ?」
「いや、俺のじゃないし」
何処までも噛み合わない。だがそんなことは今の二人にとって些細なことだった。一分でも多く一緒にいたい。ただそれだけ。
「俺のが着たいの?」
「奏斗、ワイシャツじゃないし」
「それは、ね」
奏斗はあまり襟付きのシャツを着ない。
「パーカーで良ければ」
彼は腕を伸ばすと傍らの椅子に掛けてあった自分のパーカーを掴む。
「良いの?」
「いいよ」
相変わらずこちらを見ずにパーカーを寄越す彼。
「素肌の上に着るのだけれど」
「いいって」
花穂は奏斗のパーカーに袖を通しながら、彼がまだ高校生だった時のことを思い出す。
あの頃も彼は性的なことに対しては慎重だった。そういう行為は特別で責任が伴うと考えていたから慎重だったのだろう。そんな彼を変えたのは自分。
とは言え、そんなに大きく変わったわけではない。花穂に対してだけそういうことをしてもかまわないと思っているに過ぎない。
つまり、花穂に関しては将来を見据えた関係であると言っているようなもの。それがとても嬉しかった。
この幸せは他人から奪ったもの。
そうとは思いたくはないが、結果的にはそう。
「そっち側、行ってもいい?」
「おいで」
パーカーを着たことを確認した彼が振り返る。
彼の胸の中に納まりながら花穂はクスリと笑った。
「何よ、初めてじゃないのに」
「目のやり場に困るだろ」
抱きったことは一度や二度じゃない。それでも彼はじろじろと花穂の身体を観察するようなことはしなかった。
「何よ、見たくないの?」
「見る時は見るよ」
何故か苦笑いをする奏斗にキスを強請る。
──奏斗の愁いを含んだ瞳が好き。
恐らく美月愛美とつき合っていた頃は今とは違ったのだろうと思う。
もっと年相応だったに違いない。花穂と出会った頃は何かを諦めてしまったように見えた。とても大人びていたから女性経験もさぞかし豊富だろうと思ったのに。
意外性にも惹かれたし、相手をありのまま受け入れる態度やその思想にもほれ込んだ。
『なんで別れたの』
二人が期間限定で付き合うことになったことを知っていた和馬の恋人にそう問われた時、とても不思議に思ったものだ。
『期限付きの恋人だったのはあなたも知っているじゃない』
彼は和馬と奏斗にとっては高等部時代の教師。花穂にとっては大学のOBだった。
『本当にそれでよかったわけ?』
あの時はどうしてそんなことを問うのかわからずにいた。
『そんな風に白石を突き放していいのか?』
あの時彼に連絡を取っていたなら、こんなややこしいことにはならなかったに違いない。あの後、奏斗は愛美に再会したのだ。
「どうかした?」
「ううん」
花穂は小さく首を横に振って彼を見上げる。目があって優しく微笑む彼。
二度とこの手を放さないと決めている。何があっても。
再びキスを強請ってその熱を煽る。
今夜は気の赴くままに互いを求める約束をしていた。
時に人は不安から逃れるために互いを求めるものだ。
それがただの現実逃避だったとしても。
──ひとりじゃないもの。
きっと乗り越えられるわ。
他人から奪ったものはいずれ奪われる。
しかしこの恋は奪ったものではないと信じたい。事実がどうであれ。
夜は更けていく。情熱と不安を抱いて。
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