2 愚かな願い

 静かに甘い旋律が二人を包む。

 ドラマチックな恋でもロマンチックな愛でもなかったけれど、この出会いは宝物だと思った。


「なんなんだよ……襲うのが好きなのか?」

 ベッドに押し倒されて組み伏せられた奏斗は、眉を寄せ花穂を見つめる。

「うん。奏斗を襲うのがね」

 彼が大人しくしているのは、抵抗すれば花穂を怪我させてしまうと思っているから。


「いい眺めだわ」

 花穂は髪を耳にかけると、奏斗に覆いかぶさりその頬に手を伸ばす。

 彼は頬に触れた花穂の手に、自分の手を添えると握り込んだ。

「奏斗?」

 彼はそのまま自分の心臓のあたりに持っていく。

「ドキドキしてる。わかる?」

「ええ」

「俺は……」

 なあに? と言うように微笑んで見せれば彼は浅く息をした後、

「花穂にだったら、何されてもいいよ。でも、少し怖い」

 それは嘘のない言葉なのだろう。


「抵抗しないのはポリシー?」

「まあ、あれは」

 触れていた手から奏斗の心拍数があがるのが伝わってくる。

 もう解っている。あれがただの強がりなことくらい。

「自惚れてもいいかしら?」

 奏斗の気持ちが自分に向いていると知った今、彼の不可解だった言動に合点がいく。

「そんなにわたしのことが好き?」

 答えなくたってわかる。

 手の平から伝わる体温と鼓動が真実を教えてくれるから。


「バカよね、わたし。初めから奏斗は好きだと言ってくれてたのに、鈍感で」

 切なげに微笑めば、奏斗が驚いた顔をする。

 どうやらあれば無意識だったということだろうか。

「言ってたじゃない。『俺はフッたつもりはない』って」

 何故現在進行でいうのか、深く考えなかった自分。

「言ったね」

 思い当たることがあったのか、彼が笑みを浮かべる。

「これからも振るつもりなんかないよ。もっとも、俺がフラれる可能性は……」

 花穂は彼に唇を重ね、その先を言葉にさせはしなかった。


 彼から離れると、

「どうしてそんなに自虐的なの? わたしが心変わりするとでも?」

と問う。

「そんなことになったら、死んだほうがマシだな」

 どうしてそんな風に悲しいことばかり言うのか。

 今ならわかる。

 伏せた彼のまぶた。頬に伝う一筋の涙。


 奏斗はいつでも真剣に恋をしていた。

 相手にも自分自身の心にも真摯に向き合おうとしていたのに、それは叶わなかった。

 無力で弱い自分の責任だと思っている。

 ずっと。


「嫌になるだろ、こんなやつなんだよ俺は」

 投げやりになるのは、なによりも自分自身が一番嫌気がさしているから。

 だが花穂は、

「ならない」

と強くしっかりと否定した。


 彼は恐いのだ、突き放されるのが。

 だから『心変わりしないで欲しい』と言えない。

 縋ることができないでいる。

 

「心変わりもしないわ」

 奏斗は閉じていた瞼を開き、両腕をのばすと花穂の腕に触れる。

「奏斗のことは、わたしだけがわかっていればいい」

 ”そうよね?”と言うようにじっと見つめれば、胸に抱き寄せられた。

「愛してくれるの? 壊れるくらい」

 

 これ以上ないくらい壊れているのに、まだ壊せと言うのか。

 彼の生きる世界はどこまでも残酷だ。

 そしてどこまでも深い暗闇が広がっている。

 そうさせてしまったのは、自分。

 何も望まなければ、光の中にいたはず。


──本当にそうなのかしら?

 今は疑問を感じている。


 憎しみを何処へ向けたなら、迷子の彼を光の中に連れ戻せるのだろうか。


「あなたが望むままに愛してあげるわ」

 それで幸せになれるというのなら。

 耳を当てれば聞こえる鼓動。

 そんなことくらいじゃ彼は救えない。

 

「誰よりも先にわたしが奏斗に出会いたかった」

 それでもきっと、奏斗が初めて愛する人は『美月愛美』なのだろう。

「過去は変えられないよ」

 そんなことは解っている。現実的な言葉を求めているわけではない。

「変えられたとしても、きっとまた同じことを繰り返すんだ」


 わかっている。

 過去があったから今があることくらい。

 それでも、彼の全てが欲しいと望む。

 それは愚かな願いだろうか?

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