第4話 鬼頭と悟君
「食べろ」
鬼頭はステーキの最初の一切れを口に入れながら、僕のほうを見ずに言った。テーブルの上には、現実とは思えない豪華なごちそうが並べられていて、最初は紙に書かれた絵を見ているような気持ちだった。目の前の光景が現実だと受け入れるために必要な時間が、静かに流れてから、徐々に一致していく頭と体と心に映る光景を愉しんだ後、初めて食べるステーキにナイフを入れた。テレビでしか見たことがない、厚い肉をフォークで刺してナイフで切るという行為。刃物が肉にめり込み、軽い抵抗を試みる瞬間を指に感じた瞬間に、それを押し殺す力で刃物を押し込むのが快感だった。
「明日は学校まで送っていく」
「行ってない」
鬼頭は、しばらく宙を見つめていた。
立ち上がると、一台の最新式のパソコンと横に立っているロボットを指さして言った。
「これに勉強を教わるといい」
それが、コスモを認識した最初だった。
その後、無言のまま食事を続け、食べ終わると無言でどこかへ行ってしまった。食事の後に書斎で読書をするのが習慣だと知ったのは、この一週間後だった。
なんだか、宙に浮いているような気分のまま食事を終えると、中年の女性が食器を片づけにやってきた。通いで来ている家政婦らしい。彼女は無言で食器を下げ、その後、姿を見せることはなかった。次の日、作ったのもこの人だと知った。彼女は作った料理をテーブルに並べた後、キッチンに待機し、終わった頃に食器を下げに来る。片付けが終わると挨拶もなく帰っていく。これが毎晩の夕食の光景だった。僕が来たことで作る量と片づける量が二倍になって負担ではないか一度聞いてみたら、
「仕事ですから」
と端的に答えた。これが、彼女と交わした唯一の会話だった。
店のドアを出る時、鬼頭と行くことがずっと前から決まっていたことだと感じていた。
「名前は?」
「悟」
三日目の夜、鬼頭に聞かれて僕は答えた。彼の名前が
鬼頭に名前を教えた夜、コスモと初めて話した。
「私はコスモ。何か話しかけて」
そばに行くと、コスモがしゃべった。ロボットらしくない、かといって人の声とも違う、とても優しい声だった。
「勉強を教えて」
「オーケー。何からやる?」
「算数」
顔の部分が教科書に変わり、ページが開かれると、教科書の文字の上に解説が浮かび上がり、コスモが先生になって授業を始めた。コスモの教え方はとっても分かりやすくて、僕は勉強が楽しかった。昼間はだいたいコスモの授業を受けて過ごした。
鬼頭は留守なことが多かったので、夜は、食事が終わると、ひとりでゲームをしたり漫画を読んだりしてやり過ごした。鬼頭の家には最新式のゲームや漫画、DVDがたくさんあって、映画館のような大画面で映画が見れた。
そんな生活をして三カ月が経ち、行っていなかった学校の勉強の遅れも取り戻せた頃、
「手続きしてきた」
と、鬼頭が有名な私立小学校の資料や教科書、制服を床に並べて言った。不思議な顔で鬼頭を見つめている僕に、明日の予定を機械的に告げ、早く寝るように言うと、鬼頭は寝室に戻って行った。僕が転校できるような学校ではないはずなのに転校できたのは、除霊したことがある有名な企業の社長のコネと多額の寄付のおかげだったらしい。
次の日、鬼頭と二人で学校へ行った。その日一日、僕の周りで起こっている出来事を、まるでモノクロ映画を見ているような感覚でやり過ごした。まず校長先生の部屋へ行き、挨拶をした。多分多額の寄付をしたためだろう。校長は鬼頭に対して終始低姿勢だったし、校長以下、先生たちは僕を必要以上に丁重に扱った。
教室に入り、先生がクラスメートに僕を紹介する時は、僕に注がれる好機の目に体の体温が徐々に下がっていくような感覚を覚えた。
僕が学校に行くようになってから、鬼頭は毎晩帰ってくるようになった。帰ってくると、何かを確認するように僕をじっと見つめていた。その目は僕を見ているというより、僕の奥のほうを確認しているように感じた。
確認の後、ほっとしているような空気を残し、おやすみの挨拶だけして書斎か寝室に戻るという日々が続いていたけど、ある日、いつもの確認作業の後、ちょっと怪訝な顔をして書斎に籠ってしまった。次の朝、挨拶をしようとして探すと、書斎で古い書物を読んでいる彼の後ろ姿が見えた。その様子から、昨夜からずうっとそこでその本を読んでいたとわかった。
そんな事があった次の日、普通に学校にいると、首のあたりに痛みが走った。学校にいる間、なんだか分からないけど痛いと感じることがあったけど、いつもより強い痛みだった。そしてこの日、僕はその痛みの原因を知った。
校庭の掃除当番だった僕は、掃除をしていると、とても強い風が肩にあたり、地面に重いものが落ちた音がした。その直前僕は誰かに突き飛ばされて、地面に落ちた物のすぐ隣に倒れていて、その上で鬼頭が僕に覆いかぶさるようにしていた。屋上に人影が見え、その後ろに大きな黒い影が見えた。僕も鬼頭もその人影が誰だか分っていたが、誰にも言わなかった。
落ちてきたのは跳び箱の一番上の段だった。周りに誰もいなかったので、二人で体育館倉庫にしまった。二人とも何も言わなかったけれど、二人の心はそうするべきだと自然にシンクロしていた。
屋上にいた人物はその日から学校に来なくなり、その後転校していき、痛い感覚もなくなっていた。
彼が転校した後、その子の親の会社が倒産して両親は離婚し、母親は心の病気で入院、彼は祖父母の家に引き取られたらしいという噂が学校に広まっていた。
会社が順調な時は学校に多額の寄付をしていて、特別待遇されていたが、会社が傾いてから先生たちの態度が変わったということも、同級生たちの噂や先生の態度で察することが出来た。そしてそれが僕への嫉妬となって、あの行動を起こしたのだと察した。
先生たちは引越の日も、転校のことも生徒たちに何も言わなかったし、生徒たちにも聞いちゃいけない、という空気が流れていた。
そんな噂が流れる前に、どうやって調べたのか、鬼頭は引越の日僕を連れて彼の家に行った。鬼頭は荷造りしている人と形式的な挨拶を交わした。僕は、二人の会話で彼が引っ越すことと、荷造りしている人が叔父さんであることを知った。彼は最初、文句を言いに来たのか、仕返しをしに来たと思ったようで、恐怖で震えていたが、鬼頭の様子を見てそうじゃないと安心したと同時に不思議そうだった。
叔父さんと形式的な会話を交わした後、僕を彼の前に連れて行った。僕はどうしていいかわからず、
「元気で」
とだけ言った。
「あ、ありがとう。あ・・・あの」
ありがとうの後、ごめんねと言おうとしたけど、言葉が出てこないようだった。彼の後ろにいた大きな黒い影は、すごく小さくなって、少し遠くに控えるように胡坐をかいて座っているのが見えた。
その時はまだ、彼がどんな状況か知らなかった僕は、彼を助手席に乗せたトラックを見えなくなるまでただ見つめていた。僕の隣で、鬼頭が九字切りのようなことをしながら、何かぶつぶつ唱えていた。
あの事件の後、僕が霊感が強く、サイキックアタックを受けやすい体質で、それをコントロールする術を身に着ける必要があると、鬼頭から説明された。霊感が強いというのは分かっていたけど、サイキックアタックというのは初めて聞く言葉で、霊からの攻撃らしいということだけなんとなくわかった。
その日から、休みの日にはよく神社やお寺、木がたくさんある森みたいなところに鬼頭と二人で出かけた。そのおかげなのかどうか、ときどき理由もなく体のどこかが痛くなったり、わけもなく気分が落ち込んだりすることがあったけど、自分で治すことが出来るようになった。どうやっているのかはわからないけど、とにかく治ると思うと治る。
しばらく何もないまま時が過ぎ、その夜僕は家でのんびり映画を見ていた。この家には彼が作った強力な結界が張られていて、並の霊は入って来られないらしい。だから家にいる間は安心して過ごすことが出来た。
が、ある日、夜中に帰ってきた鬼頭が、突然倒れ込んだ。
その日は、僕の誕生日だった。
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