冬限定のアウトサイド・ストラテジー

サイド

冬限定のアウトサイド・ストラテジー

「苦っ……」


 上狛昴(かみこま こう)は雪のちらつく学校の屋上でぽつりと呟いた。

 日本海の冬風に晒された鉄柵は氷のように冷たく、長く触れていれば凍傷を負いそうですらある。

 生まれも育ちも北陸の昴にとって毎年の寒さではあるが、残念なことにいつまで経っても慣れる事も親しむ事もない。

 この認識は珍しいものではなく、ある一定数の人達は冬が来ると決まって不機嫌になるらしい。

 豪雪大嫌い、常夏大好きの昴としてはさもありなんと頷く他ない。


「あ、いたいたコウ。珍しいね、屋上にいるなんて。みんな中庭で雪かきしてるよ。手伝いに行かないの?」


 背後からの声に振り返る。

 立っていたのは藤森春菜(ふじもり はるな)。

 隣のクラスの女子生徒だが、昨年は同じクラスだったので面識がある。

 春菜は隣に並んで雪の降り積もった街を眺め、額に手をかざして遠くを見る仕草を取った。


「はっはっは~、しっかし今年も盛大に振りましたなぁ~! 何人の老若男女が腰をやられたのやら!」

「不謹慎だろ、藤森。怪我人を笑うな」

「……一人サボって屋上にいる人に言えた口かな?」

「そういう気分だったんだよ、今日は」

「はぁ、気分。寒がりのコウが冬の屋上へ上がる程の?」

「そうだな、流石にぞんざいにはできなかった」


 昴は言いながら首に巻いてあったマフラーを脱ぎ、春菜へ差し出した。

 昴達の通う高校の制服は男子は詰襟、女子はセーラー服だ。

 詰襟は保温性に優れているし身体にもフィットする為、着ていれば結構暖かい。

 が、女子のセーラー服となれば話は別だ。

 首元も足も露出しており、昴は見ていて肌寒さを覚えてしまう。


「うわっ、あざとい」

「いらないなら引っ込めるぞ」

「ゴメンゴメン、頂きます」


 春菜はいそいそとマフラーを巻く。

 その上に首元がふわりと緩むストールを重ね、なんだかんだで嬉しそうだ。


「で、どうして屋上へ行こうと思ったの?」

「ん」


 昴は右手を上げる。

 そこにあったのはちょうど制服のポケットに収まるサイズの小箱だった。

 赤いリボンで綺麗にラッピングされている。


「何これ」

「……今日は何月の何日だ?」


 春菜は、「ん?」と一瞬考えて、やがてぱあっ、と表情を輝かせた。


「二月十四日! え、もしかして、もしかしちゃうの!?」

「やかましい。俺だって驚いてるんだ」

「だって遂にコウにも春が来たってことじゃん! おめでと~。私は嬉しいよ~!」

「それはどうも」


 昴は答えながら箱を開いて中の様々な形の一つを取り出し、チョコレートを口へ運ぶ。

 そして渋い表情を浮かべた。


「やっぱり苦い……」


 昴は何とか咀嚼して飲み込む。

 その言葉から察するに味はいま一つのようだ。


「こら、女の子からの貰いものにケチ付けるんじゃありません」

「んー、まあそうなんだが」

「……ちなみにどんな味なのかな?」


 春菜が怖いもの見たさにゴシップまがいの質問をする。


「ビターと言うには味気無さ過ぎて、サクッとした口触りと言うにもモソモソし過ぎてる。ただ……」

「ただ?」


 昴は一つ一つをゆっくり口に運ぶ。


「一生懸命作ったのは分かる。だから最後まで食べる」

「うわっ、あざとい。アウトサイド・ストラテジー?」

「なんだそりゃ?」


 聞きなれない言葉に昴は首を傾げ、春菜は得意げに笑って答えた。


「場外乱闘」

「せめて盤外戦術と言って欲しかったな……」

「あはは、冗談冗談。……で、返事はどうするの?」

「いや、それが問題でな」

「問題?」


 昴はぺろり、とチョコレートの付いた指を舐める。


「誰からのものなのか分からない」

「は?」


 春菜は目を丸くした。


「手紙を添えてあったわけでもなく、直接渡された訳でもない。ただ下駄箱の中に入れてあった」

「……それは大変だ。その子、泣いちゃうかも。……ううん、もしかしたら見返りを求めない恋なのかも?」

「それは分からないけど……。でもだからこそ、一旦屋上で頭を冷やして考えようと思った。これからどうすべきなのかって」

「なるほど、なるほど。……で、どうするの?」


 昴は一度ゆっくりと曇天の空を見上げて息を吐き、小さな白い靄のように広がって消えた。


「自分の気持ちに正直に。ありのままの返事をするよ」


 春菜はその柔らかな言葉と表情に何を見たのか、一瞬虚を突かれたように言葉を失う。

 やがて、くるりと踵を返して錆び付いた扉へ向かい、振り返らずに昴へ告げた。


「うん、それがいいと思う。不味いのに最後まで食べてくれた気持ちはすごく嬉しいと思うから」

「……そうか」

「じゃあね、私はお邪魔だろうし先に帰るよ」

「あ、ああ」


 昴は小さく頷き、春菜の背中を見送る。

 そしてぼんやりと雪の降る街を眺めた。

 詰襟の隙間から滑り込んでくる雪が冷たい。

 身体が芯まで冷えきって、軽い頭痛がする。

 こんな時は暖かいコーヒーでも買ってゆっくりするのがいいのだろうが、そういう気分にもなれなかった。


「すごく嬉しい、か。こっちの気持ちも知らずに勝手なことを言うな……。一番見られたくない場面であいつと出くわしてしまった……」


 チョコレートが苦かったのは出来だけが問題ではなかったのだろう。

 味覚がこんなに気持ちに正直なものだとは思わなかった。


「俺の気持ち、どうすっかな。あんなに喜々として背中押されたんじゃ、見込みなしか……」


 雪は静かに積り行く。

 しかし昴の気持ちは熱を持ち、行き場を持たずに量を増していく。

 こんな感情を露骨に見い出させるこの季節はやっぱり嫌いだなあ、と昴は心の中で一人ごちた。

 そして、ひどく冷える理由に気付く。


「マフラー、借りパクされた……」








 同時刻、異なる場所にて。

 屋上から延びる階段の踊り場で春菜は壁に額を押し付けた。

 目尻には涙が滲んいる。


「はは、マジか……。手紙入れ忘れるとか何やってるんだ、私……」


 慣れない手つきでチョコレートを作ったのが昨日の夕方。

 何度やっても味が悪くて渡そうかどうか迷ったが、一度決めた気持ちを伝えずにいるのも精神衛生上よろしくなかった。

 そして考えに考え、手紙を書いて渡すことに決めた。

 文面を要約すると以下の通り。


『上狛昴君へ 今更かもしれないけど、バレンタインのチョコレートです。もし考えてくれる余地があるのなら、放課後屋上へ来て下さい。要らなければゴミ箱にでも捨てて構いません。 藤森春菜』


 思い出しながらずるずるとその場にへたり込む。

 最初屋上へ来た時、昴がいてくれて驚いた。

 呼び出しておきながら期待半分、不安半分だったのだ。

 頬を紅潮させドキドキしながら話しかけたが、何だか思い描いていた反応と違っていたので、探りを入れるような会話に切り替えた。

 その結果が、これである。


「あー、でもこれでよかったのかなあ。友達関係すらクラッシュされたら立ち直れなさそうだし……。それに、あの反応だと脈があるかどうかも微妙っぽいし……」


 嬉々としたものではなかったが、満更でもない様子で誠実な態度を見せていた。

 真っ直ぐな気持ちで答えるとも。

 その反応を、少しでも気持ちを寄せている相手に正面から見せるだろうか?

 ……ちょっと想像しづらい、と春菜は思う。


「でもなあ、ちょっとくらい揺らいでるところ見せてくれてもいいじゃん……。チャンスがあるかもって思わせてくれてもいいじゃん……」


 膝を落としてぐったりする。

 しかしやがて立ち上がって顔を振り、自分を奮い立たせるかのようにぱんぱんと両手で頬を叩いた。


「うん、でも、まだまだ! イベントに頼らなくても動けるようにならなくちゃ! 今回のことなんて交通事故、交通事故!」


 ふと、気が付いたように首のマフラーに手を当てる。


「ホワイトデーの代わりにもらってあげるか」


 そう呟き、マフラーに顔を埋めた。

 まだ暖かさが残っていて、くすりと小さく微笑む。


「冬限定のアウトサイド・ストラテジーってことで。……借りパクしただろとか言われても返さないんだから!」


 次のチャンスは春。

 彼の好きな季節になったら桜の下で今度こそ想いを伝えよう。

 マフラーの端を風に躍らせ、とんとんと軽快に階段を降りて宣言する。


「今度は逃がさないからね。ばーか!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冬限定のアウトサイド・ストラテジー サイド @saido

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ