坊っちゃん
夏目漱石/カクヨム近代文学館
一
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校にいる時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かしたことがある。なぜそんなむやみをしたと聞く人があるかもしれぬ。べつだん深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の
親類のものから西洋製のナイフをもらってきれいな刃を日にかざして、友だちに見せていたら、一人が光ることは光るが切れそうもないと言った。切れぬことがあるか、なんでも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、なんだ指ぐらいこのとおりだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。さいわいナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、いまだに親指は手についている。しかし
庭を東へ二十歩に行きつくすと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、まん中に
このほかいたずらはだいぶやった。
おやじはちっともおれをかわいがってくれなかった。母は兄ばかりひいきにしていた。この兄はやに色が白くって、
母が病気で死ぬ
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らしていた。おやじはなんにもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様はだめだだめだと口癖のように言っていた。何がだめなんだかいまにわからない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとかいってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一ぺんぐらいの割で
その時はもうしかたがないと観念して、先方の言うとおり勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている
母が死んでから清はいよいよおれをかわいがった。時々は子供心になぜあんなにかわいがるのかと不審に思った。つまらない、よせばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清はかわいがる。おりおりは自分の
清が物をくれる時には必ずおやじも兄もいない時に限る。おれは何がきらいだといって人に隠れて自分だけ得をするほどきらいなことはない。兄とはむろん仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆をもらいたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、
それから清はおれがうちでも持って独立したら、いっしょになる気でいた。どうか置いてくださいと何べんもくり返して頼んだ。おれもなんだかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、
母が死んでから五、六年のあいだはこの状態で暮らしていた。おやじにはしかられる。兄とは喧嘩をする。清には菓子をもらう、時々ほめられる。べつに望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの子供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはおかわいそうだ、ふしあわせだとむやみに言うものだから、それじゃかわいそうでふしあわせなんだろうと思った。そのほかに苦になることは少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中でなくなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄はなんとか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれはまだ東京で学問をしなければならない。兄は家を売って財産をかたづけて任地へ出立すると言いだした。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄のやっかいになる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向こうでもなんとか言いだすにきまっている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んできて、先祖代々のがらくたを二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。このほうはだいぶ金になったようだが、詳しいことはいっこう知らぬ。おれは一か月以前から、しばらく前途の方向のつくまで
兄とおれはかように分かれたが、困ったのは清の行く先である。兄はむろん連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっついて九州くんだりまで出かける気はもうとうなし、といってこの時のおれは四畳半の安下宿にこもって、それすらもいざとなればただちに引き払わねばならぬしまつだ。どうすることもできん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと言ったらあなたがおうちを持って、奥さまをおもらいになるまでは、しかたがないから、
九州へ立つ二日まえ、兄が下宿へ来て金を六百円出して、これを資本にして商売をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代わりあとはかまわないと言った。兄にしては感心なやり方だ。なんの六百円ぐらいもらわんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を言ってもらっておいた。兄はそれから、五十円出して、これをついでに清に渡してくれと言ったから、異義なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分かれたぎり兄にはその後一ぺんも会わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商売をしたってめんどうくさくってうまくできるものじゃなし、ことに六百円の金で商売らしい商売がやれるわけでもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたといばれないから、つまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強ができる。三年間一生懸命にやれば何かできる。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は
三年間まあ人並みに勉強はしたが、べつだんたちのいいほうでもないから、席順はいつでも下から勘定するほうが便利であった。しかし不思議なもので、三年たったらとうとう卒業してしまった。自分でもおかしいと思ったが苦情をいうわけもないからおとなしく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出かけていったら、四国辺のある中学校で数学の教師がいる。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実をいうと教師になる気も、
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に
家を畳んでからも清の所へはおりおり行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、おりさえすれば、なにくれともてなしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麴町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと
いよいよ約束がきまって、もうたつという三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買ってきた
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