第16話 落ちぶれた英雄

 尊敬する村の英雄ハンザおじさんが、ヤクザたちから借金を取り立てられているという事実に打ちのめされそうになったものの、どうにか気を取り直した。


 このまま突っ立っていても仕方ないので、部屋のドアを叩きながら怒鳴り散らしている連中に、恐る恐る声を掛ける。


「あのー、すいません」


「ああ! なんじゃあ貴様は!」


 彼らに睨まれながらも、怯えているのを悟られないように努めて平静に返事をした。


「このへやに、すんでるおじさんと、おなじむらのしゅっしんで、てお、といいます」


「なんちゅう酷い訛りや、よっぽど辺鄙へんぴなド田舎から来たんやのう」


 あんた程じゃないよ、という言葉を飲み込んで、両親から渡された餞別の一部を財布から取り出し目の前の相手に握らせた。


「すくないですけど、これだけでも、おさめてください」


「ああん? たったこれっぽっちで足りると思うんか。今月の利子代にもなりゃせんわ」


「まあまあ、そういわずに」


 笑顔を崩さないようにしながら、相手をなだめすかす。


 やがて男は、ちらりとマノンを見て舌打ちした。


「明日も、また来んぞ」


 そう言い残して、他の男たちを連れて去って行った。


 屈強なヤクザたちでも、サキュバスを敵に回すのは嫌だったらしい。


「よかったの? テオくん」


「いいんだよ、ハンザおじさんには皆、お世話になってたし、俺も妹さんの結婚式で御馳走になったりしたから、さて……」


 ドアの隙間から、こちらを覗き込んでいる男に目を合わせ、声を掛ける。


「おじさん、もうでてきてもいいですよ」


 やがて、借金取りがいなくなったのを納得したのか、おじさんは姿を現した。


 間違いなくハンザおじさんだ。


 ただ、記憶にあるよりも、随分とやつれていた。


「おひさしぶりです、はんざおじさん」


「ああ、君は確かテオくんだったか」


 どうやら、俺の声を聞いて思い出したらしい。


「はて? 噂では、いい年してろくに話ができないとか聞いた気がするが……」


「はなせない、わけでは、ありません。ただ、かつぜつ、が、よくないだけです」


「ああ、そうだったかな……」


 さして興味なさそうな、生返事だった。


「ちょっと、失礼じゃないですか! テオくんは、おじさんの借金の一部を肩代わりしてまで、あの人たちを追い払ってくれたんですよ」


 ハンザおじさんの態度が腹に据えかねたのか、マノンは食ってかかった。


 というか、日本語で話してもおじさんには伝わらないんじゃないのか?


「ああ、そうだったね。すまない、確かに失礼だった。夜、不安で眠れない日が続いてろくに頭が回らないもんでね……」


 ハンザおじさんの返事を聞いて、思い出した。


 ああ、そうか。


 俺にはマノンの話す言葉が日本語に聞こえるけど、他の人にはイスラニア語に聞こえるんだった。


 マノンとは前世の言葉で会話していたから、すっかり忘れていた。


 これなら、マノンに代わりに話してもらう方が早い。


 イスラニア語の下手な俺より、事情を聞き出しやすいだろ。


「というか一体、何があったんですか? テオくんからは、ハンザおじさんは王都で活躍する冒険者の先輩だって聞きました。でも、とてもそうは見えないんですけど……?」


 俺の知りたかったことを、マノンは代わりに尋ねてくれた。


「ああ、村を襲った盗賊たちを追い払った後、皆に勧められて王都で冒険者になった。そこで現実を思い知ったよ」


 俺の知らないハンザおじさんの実情を語り出した。


「王都では国中から強い魔物をしもべに従えた者たちが集まって日々、熾烈な競争をしている。自分も、そのなかの一人に過ぎなかった。大した成果を挙げることもできず、同じような単調な日々が続いた。何度も村に帰ろうと思ったが、送り出した皆の期待に満ちた眼差しを思い出すと、裏切るのが恐くて逃げられなかったんだ」


 おじさんの言葉を聞いて思い出す、王都に着いて早々マノンより強い魔物に何度も会ったことを。


「そんなある日、妹から結婚が決まったという報せが届いた。そこで、つい余計な見栄を張ってしまったんだ。方々から借金をして回り、盛大な結婚式を開かせたよ。式場では村の子どもたちが王都での冒険を聞きたがるから、酒場でシルバー級やゴールド級の先輩たちがしていた自慢話を元にして、自分の活躍をでっちあげたんだ。ボロが出ないかヒヤヒヤしたよ」


 淡々とした態度で自分の活躍を話すおじさんのことをかっこいいと思っていたが、あれは嘘がばれないか怯えていただけだったのか。


「そうして式が終わり王都に戻った後、冒険者組合ギルドから無理して実入りのいい危険な任務を回してもらったりしたんだけど、そのせいで強い魔物に襲われて命からがら逃げ出したり、捕まえ損ねた賞金首から怪我を負わされて何日も休まなければいけなくなったりと失敗続きでね。そうこうしている間に借金は複利で膨らむばかりだった」


 おじさんの虚ろな目は、ここではないどこかへ向けられていた。


「毎日、借金の返済の催促に追われ、疲れ果てた。もう冒険者に戻ることもできないよ。頼みの綱だったオーガまで、借金のかたに売り払ってしまったからね」


「え! しもべって、うれるんですか?」


 マノンに任せようと思っていたのに、思わず口を挟んでしまった。


「ああ、滅多にないことだがね。上手くいけば他のあるじが再契約を結んでしもべにすることもある。とにかく、今更、故郷の村にも帰れない。かといって、ここにもいられない。だから今日、夜逃げするつもりなんだ。どこかで、ひっそりと生きていくつもりだよ」


 そこで、おじさんは俺たちに頭を下げた。


「このことは、どうか村の皆には黙っていてくれないだろうか?」


 マノンと二人で顔を見合わせた後、仕方なく頷くと、随分とほっとした様子だった。


「そうか、ありがとう。ところで……」


 おじさんは無遠慮にマノンの姿を眺め回した。


「きみは、テオくんのしもべかね?」


「ええ、そうです」


「サキュバスか……まあまあ強い魔物だけど、ここではその程度の魔物は、いくらでもいるよ。どうせ、テオくんも村の皆にそそのかされて、ここへ来たんだろう。でも、冒険者になっても、俺の二の舞になるだけだよ。悪いことは言わないから、諦めて帰った方がいい。あいつらを追い払ってくれた礼代わりの、せめてもの忠告だよ。それじゃあ……」


 話を終えると、おじさんはドアを閉めた。


 その場に取り残された俺は、しばらく呆然と突っ立っていた。

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