第2話 もしかして、ファンタジー?
ふと気が付くと、古風な木造の天井が目に飛び込んできた。
ここはどこだろうと考えてトラックにはねられたことを思い出し、病室にしてはやけに古めかしい建物だといぶかしんだ。
とりあえず目を覚ましたことを医師か看護師に伝えようと、喉に力を込めるが上手く言葉が出てこずに、
「おぎゃあ、おぎゃあ」
おかしな泣き声になってしまった。すると、
「テオ、%&$#+@*+#%?」
どこからか現れた女性が、よくわからない言葉で話しかけてきた。
二十代後半ぐらいだろうか、長い金髪に緑色の瞳で目鼻立ちのはっきりした顔立ちをしており、なかなかの美人だ。
西洋画に出てくる農婦ような服装から看護師でないことは、すぐにわかった。
一体、何者だろうと思っていると、彼女は服に手をかけ胸元をはだけだし、微笑をたたえながらこちらに向かってきた。
俺は驚いて逃げようとするが、どこか怪我でもしているのか身体が思うように動かない。
そうしている間にも、彼女は近づいてくる。
さては、この女。運転手の奥さんで、色仕掛けを使って示談に持ち込むつもりだな。
くそ、こちらが動けないのをいいことに。なんて、卑怯なんだ。
おのれ、そんな姑息な手には、ちょっとだけしか屈しないぞ!
そう義憤に駆られていると、彼女は俺の身体をひょいと抱き上げて――
ひょいと抱き上げて? なんて怪力だ、この女!
別に太ってるわけじゃないけど、それでも一般的な男子中学生ぐらいの体重はあるはずだぞ。
そう呆然としている間に、彼女は俺の顔を胸に押し付けた。
お日様のいい匂いがして、自然とその先端に吸いついてしまう。
牛乳を薄めたような味が口の中に広がり、喉を通り過ぎていった。
満足して口を放すと、彼女は俺の背中を軽く叩いた。盛大なげっぷが漏れる。
え、ひょっとして母乳を飲まされたの俺? それ、なんてプレイ?
激しく混乱していると突如として猛烈な睡魔が襲い、俺は再び意識を失った。
それから寝て、起きて、泣いて、飲んで、また寝て、また起きて、漏らして、また泣いて、オムツを替えさせられて、また寝て、
それを繰り返しているうちに、ようやく自分の置かれた状況を理解できた。
これ、赤ん坊に生まれ変わったんだ。
昔、テレビで生まれ変わりの特集をしていたことがある。
その番組に出演していた少女は幼い頃、前世での名前や住んでいた場所の様子、亡くなったときの状況などを詳しく覚えていて、母親は、その証言を細かく記録していた。
スタッフは、その記録を元に少女の前世での故郷と思われる地を訪れて、少女の証言通りの建物を見つけたり、地元の人から、そこに長く住んでいないと知らないような文化や風習を聞き出し、それが記録と合致することを確認した。
これは、もしかすると本物かもしれないと思い、わくわくしながら番組の続きを観たのだが、そこの役所の鬼籍を調べても、少女の前世での名前は見つからず、また、少女が話していた通りの実家も捜し出せずに期待外れで終わった。
その話を従兄弟の中島にすると、
「あれは、まだ現実と空想の区別がつかない年頃の子どもが無意識に周囲の大人たちの期待に応えようとして作り出してしまう疑似記憶に過ぎないよ。
テレビや雑誌で見たり聞いたりしたことを、自分の体験だと思い込んで語ってるんだ」
と、したり顔で説明するので、そんなものかなと思っていたのだが。
あったよ、生まれ変わり。
よし、大きくなったら中島に会いに行って、あいつを驚かせてやろう。
ん? でも、待てよ。前世の記憶って、いつまで保つんだろう?
番組に出演していた少女も、成長するにつれて前世の話をしなくなっていったそうだ。
自分も、大きくなったら生まれる前のことなんて忘れてしまうかもしれない。
それにしても、ここはどこだろう?
母乳を飲ませたり、オシメを替えてくれる母親らしき女性は、容姿や服装、言葉などから日本人でないことは確かなようだ。
母親だけでなく時々、顔を覗きこんだり抱き上げてくる父親らしき男も、金髪碧眼で彫りの深い顔立ちから東洋人でないことはすぐにわかった。
やはり、西洋画に出てくる農夫のような服装をしており、二人の話している言葉は、なんとなくドイツ語っぽい気がする。
他に家族はいないようで、俺は一人っ子らしい。
それに、古い部屋の造りや明かりに蝋燭を使っていることから、ここが日本でないことは間違いないと思う。
生まれた場所や家庭環境に関しては、今はそれ以上のことはわからなかった。
次に気になったのは、今の俺はどんな容姿をしているのかだ。あの父親と母親の容姿なら美形に違いないと思うのだが。
瞳の色はわからないが、たまに落ちてくる抜け毛を見ると、やはり金髪なようだ。
顔の造形はどうだろうと、ぷにぷにとした手で鼻や頬を撫で回す。
すると、冷たくて硬い金属の感触が左手の薬指あたりにあった。
なんだろうと思って左手を目元に近付けると、おかしな模様のついた指輪がはまっていた。
非常識な親だな、赤ん坊に装飾品を身に付けさせるなんて。誤って飲み込んだら、どうするんだい。
そう思い、指輪を外そうとしたのだが、赤子の力では弱すぎるのか、きつくて指から抜けなかった。
指の成長を阻害するのではと心配したが、それ以上はなにもできないので、あきらめることにした。
それから体感時間で、およそ一年が過ぎた。
その頃には家族が何を言っているのか、おおよそは理解できるようになり、行動範囲も広がった。
相変わらず指輪は、はめたままだったが、心なしか前より大きくなってる気がする。
ひょっとしたら、俺が寝ている間に別の物と付け替えているのかもしれない。
それにしても奇妙なことは、この家では電化製品の類が一切、見当たらないのだ。
しかも、ガラスのはまっていない窓から見える外の風景では、車は一台も通っておらず、時々、馬車を見かけるぐらいだ。
ひょっとしたら、ここは宗教上の理由で、現・近代文明を拒絶して生きている集落なのかもしれない。
それなら、前世の記憶なんて話さない方がいいだろう。
こっちじゃ死後の復活なんて、東京の立川を観光しているロン毛のお兄さんの特権だろうし、悪魔に憑かれたなんて騒がれでもしたら面倒だ。
そんな的外れな考えをしていた矢先のことだった。
いつものように家のなかをうろうろしていると、母親が台所で竈に薪をくべていた。どうやら、夕食の調理をするらしい。
じっと見ていると母は竈の上に鍋を置き、懐から金属の筒を取り出した。
その蓋を開け、まっすぐ空中へ掲げると、呪文のようなものを唱える。
「出でよ、ウンディーネ」
すると、母の頭上に水滴が少しずつ集まり、やがて美しい少女の姿を象った水の彫像が現れた。
「ウンディーネ、鍋に水を張って」
母が命令すると、ウンディーネと呼ばれた水の彫像は、こくりと頷き、
"ウォーターボール"
頭の中に直接、響くような声がしたかと思うと、空中に人の頭程の水球が現れ、鍋の中へと落ちていった。
「戻って、ウンディーネ」
母が呼びかけると、水の彫像はかき消え、その場に残った煙のようなものが筒へと吸い込まれていった。
「あなた、お願い」
筒に蓋をして、懐にしまうと母は隣の部屋で読書をしていた父を呼んだ。
「よし、任せろ」
父はそう返事をして竈の前に立つと、母が先程していたのと同じように懐から金属の筒を取り出し、蓋を開けて空中へと掲げ、呪文を唱えた。
「出でよ、サラマンダー」
今度は、火の輪が空中でくるくると回り、やがて一つに収束して炎を纏った蜥蜴の姿が現れた。
「火を起こせ、サラマンダー」
父が命令すると、
"ファイア”
またしても頭の中に直接、響くような声がして、炎の塊が父の頭上に現れ、竈のなかへ飛び込んで薪を燃え上がらせた。
「戻れ、サラマンダー」
父が炎の蜥蜴を呼び戻し懐にしまうと、そのまま何事もなかったかのように母は野菜を切り始め、父は読書を再開した。
俺だけが激しく混乱するなかでふと、こんな考えが頭をよぎった。
……もしかして、ここはファンタジーの世界ですか?
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