スイーツアイドル成長中! 〜タルトタタンの魔法〜

怪人X

1・タルトタタンとマネージャー①

 滋賀県岡市はのどかなところだ。

 琵琶湖の湖東に位置する岡市は、特に観光客がよく訪れるような施設や名所はない。琵琶湖の側はいくつか観光客向けの商店が並んでいる場所もあるが、休日の日中でも人はそこまで多くない。

 市ではあるものの、近隣の彦根市に比べて賑わいは少なく、よく言えば住みやすい穏やかな市だ。彦根市へのアクセスが良いことや、琵琶湖が近いというのは利点だが。岡市に在住していて、彦根市に通っている、という人は結構多いらしい。

 あとは少し懐かしい雰囲気の商店街があったり、緑豊かな広い公園があったり、近年だと大きな商業施設が駅近くに出来て、地元民は喜んだ。住みやすい市だ。

 僕は地元である岡市が、結構好きだ。都会というほど栄えてはなく、かといって生活や娯楽関連はそれなりに充実していて自然もある。

 あまり有名ではなくても、観光向けのものは少なくても、住むにはとても良いのだから。


 けれどそんな穏やかな岡市は今、一躍、話題になっている。

 一年ほど前、突如彗星のように現れた、アイドルの影響で。




 家までの帰り道、商店街にある電器屋のガラスの前で立ち止まる。

 黒髪黒目に、ごく普通の顔立ち。どこにでもいる、大勢の中ですぐに埋没してしまう個性のない姿がガラスに映る。辛気くさい顔だな、と思う。自分のことなのだけれど。今日は着ている服も黒いから、余計に。ぼんやりと、ひどい曇天のようだ。

 今足を止めたのは、僕だけではない。

 ガラスの向こう側で垂れ流されている大型テレビに一人の女の子の姿が映った途端、通りかかった多くの人が、同じように足を止めてテレビの方を向いたのだ。


「あっ!ショートケーキちゃんだ!」


 近くにいた小さな子供が、テレビの画面を指差して満面の笑顔になる。

 昨日滋賀県内で行われた彼女、ショートケーキのライブが、満員の上大成功だったという内容の夕方のニュースだった。

 ガラス越しでは音は聞こえないため、画面に映る彼女がどんな風に話しているのかはわからない。簡潔に内容をまとめた字幕が流れている。それからインタビューの様子と、歌う様子も。

 真っ白な髪と、肌。髪や服にイチゴの飾りをつけた愛らしい少女。

 彼女の名前は先ほど子供が呼んだそのまま、『ショートケーキ』だ。お菓子の名前そのもの。

 彼女こそ一年ほど前に彗星のように現れたアイドルだ。瞬く間に人気を集め、今や拠点である滋賀県岡市だけではなく、全国を飛び回る存在。

 信じがたいことだが、人間の少女の姿をしている彼女は、人間ではない。お菓子である、ショートケーキそのもの、らしい。


(……謎すぎる)


 じわじわと人が集まってきたから、ガラス前から離れる。

 ショートケーキの出現を皮切りに次々と現れたお菓子そのものの名前と存在である彼ら彼女らは、いつしかスイーツアイドルと呼ばれるようになっていた。

 人間ではないスイーツアイドルたちは、何故か誰もが皆この滋賀県岡市に現れる。

 僕は実際に会ったことはない。テレビや動画等で姿や名前を聞いたことがある程度のものだ。だから本当かどうかはわからないが、どうやら普通の体ではないらしい。というのも、お菓子そのものと同じ存在だから、保存方法には気を付けないといけない、ということだ。

 ショートケーキは冷蔵保存。だから常温にずっといると、味が落ちる……歌やダンスのパフォーマンスの質が落ち、更に段々体が溶けてくる、という話を聞いた。

 その話を聞いた時には、ホラーじゃん、と思ったけど。事実どうなのかはわからない。

 ショートケーキがデビューして間もない頃の手が溶けている写真が一時期話題になって出回ったりしたけれど、写真の加工なんていくらでも出来るだろうし。

 何にせよ、そのスイーツアイドル出現のおかげで、今岡市はちょっと盛り上がっている。





 考えながら歩いているうちに、自宅へと到着した。

 僕の自宅は今、最寄駅からは歩いて十五分ほどの場所にある築三十年のマンションだ。防犯が結構しっかりしたところで、トイレと浴室もきちんとある1LDK。他の階には間取りが違う部屋もあるようだが、僕の住んでいるニ階はすべての部屋が同じ間取りだと聞いている。

 実家は市内にあり両親はそこに住んでいるけれど、今は僕はこのマンションで一人で暮らしている。もっと家賃の安いアパートで良かったのだが、両親が心配して選んだのがこのマンションだった。

 地元の大学に入学しておよそ一年。随分生活にも慣れてきたと思う。

 一階のエントランスで部屋番号と暗証番号を入力して中へ入る。そこからエレベーターに乗り、二階へ行く。各部屋の鍵はエントランスと違いオートロックではなく、手動だ。何でもここのオーナーさんがすごく心配性で、マンションに入る人が一階のオートロックで制限されても、何かの拍子に住人ではない人がするっと入ってくる可能性もあるから、と、各部屋の鍵は手動にしたそうだ。


 がちゃり。ドアの鍵を回すと、そんな音がする。

 僕以外が住んでいない部屋は、夕陽が差し込んでいるものの少し暗い。こうして暗い部屋に帰ってくることにも随分慣れた。

 まずは手を洗おう、と思い靴を脱いで部屋に入ってすぐキッチンの方を向く。瞬間、びくり、と自分の体が反射的に強張った。


 ——……人が、いる。


 僕は一人暮らしだ。鍵は掛かっていた。泥棒?いや、それにしては……小さい。女の子だ。小柄な少女、という方が正しいだろうか。

 ただ一つはっきりしていることは、僕は彼女を知らない。知り合いではないはずだ。

「おかえりなさい!」

 その子は薄暗い部屋の中僕に気付くと、ぱあっと明るい笑顔を見せた。とても親しい間柄のように。

 けれどいくら記憶をほじくり返してみても、僕の知り合いにこの子はいない、という結論しか出てこない。


 十四歳前後くらいに見える、細身の女の子。挨拶をする時に立ち上がってこちらに近付いてきたけれど、背丈は大体百四十センチくらいだろうか。

 小麦色の腰ほどまである長い髪を二つに結っていて、本物のリンゴのような丸々とした髪飾りをつけている。大きくてとても目立つな、と思う。

 目は綺麗な飴色をしているから、日本人ではないように見える。先ほどはおかえりなさい、と流暢な日本語で話していたけれど。

 顔立ちは可愛い感じで、くりっとした丸い目以外のパーツは全体的に小さく見えて、それもあって素朴な印象を受ける。

 服装も顔立ちと同じく可愛らしい感じだ。ふんわりとした白いブラウスに、白い花の飾りのついたリボン。膝下までのスカートはしっかりとした生地のようで、暗い、落ち着いた感じの赤色に見える。こういった色は確か、ボルドー色、というのだっけか。裾からは白いレースが見えて上品な印象を受ける。着ている服は全体的にシンプルだが質が良い、という感じだ。

 と、そんな風によく観察したところで、この子が誰かはわからない。


「……ええと、不法侵入者?」


 少なくとも泥棒ではなさそうに見えるけれど。とはいえ知らない子だということに変わりはない。どの言葉が適切かと考えれば、真っ先に出てきたのが不法侵入者だったのだが、少女はそれを聞いた途端ものすごくショックを受けた様子で、小さな眉が漢数字の八の字になった。

 それから両手を前に出して、慌てたようにぶんぶんと振る。

「ち、違います!えっ違います、違いますよね!?」

「いや、僕に聞かれても」

 わたわたと忙しなく手を動かす姿は小動物のようだ。リスかな?

 どうしたものだろうかとそのまま見守っていると、少女ははっとしたようにキッチンを指差した。

「あの、わたし、タルトタタンです!」

「……ん?」

「だから、タルトタタンなんです!」

 もう一度同じ内容を言われたものの、わけがわからない。

 少女の指差した先は、間違いなくキッチンだ。リビングの一角にあるが、そこそこ設備の整ったキッチン。そこに、確かに今日の午前中、出掛ける前に作ったものはある。切り分けて持って行った、余ったもの。今夜と明日にでも食べようかと思っていた、タルトタタンが。

「わたし、あなたの作ったタルトタタンなんです」

「ええ……」

「あの、スイーツアイドルって知ってますか?わたし、まだ半人前ですけど、一人前のアイドルになりたくてここに来たんです!」

「スイーツアイドル……」

 それは知っている。すごく詳しいというわけではないけれど。

 今日帰り道で見掛けた、テレビに映るショートケーキの姿が頭に蘇る。キラキラとした笑顔で歌って踊り、ライブに来ていた人たちも、通りかかっただけの人たちも笑顔にしていた。そのショートケーキと同類だと言いたいのだろうか。

 にわかには信じがたい。

 と僕が思っていることを、タルトタタンと名乗った少女も感じ取っているのだろう。頭を抱えている。

「どうしたら信じてもらえるんでしょう……」

「ううん、どうって言われても」

 そもそも僕はスイーツアイドルたち本人に会ったこともないし、判断基準がわからない。

 まあ目の前にいるこの子が、悪い子ではなさそう、というのはひしひしと感じるのだけれど。

「わたしは常温保存オッケーなので、ショートケーキさんのように溶けてみせたりとかは出来ないんですよね……あっ!あの、体からタルトタタンの匂いはするのですが!」

 名案だと言わんばかりに目をキラキラと輝かせ、ばっと両腕をこちらへ差し出してきた。だが、どこからどう見ても年下の女の子の姿の子の匂いを嗅ぐとか、色々アウトだろう。

「えーと、……タルトタタンさん?」

「はい!タルトタタン、と呼んでください!」

「じゃあ、タルトタタン」

「はいっ!」

 この子、返事がめちゃくちゃ良いな。

 名前を呼ばれ、認識されたことが嬉しくてたまらない、といった様子だ。感情のすべてが表情や行動、仕草から丸々染み出している。隠す気もないのか、根が素直で純朴なのか。かえって心配になるほどだ。一応、不法侵入されているのは僕の方だというのに。

「タルトタタンがスイーツアイドル、……の半人前の子だったとして、どうしてここに?僕はアイドルにそんなに詳しくはないし、伝手とかがあるわけでもない。普通の、どこにでもいるようなただの学生だよ」

 僕はひとまず、理由を確認することにした。顔見知りというわけでもないし、もしかしたら隣の部屋の人と間違えている可能性だってある。

 するとタルトタタンは僕の問い掛けに対して一切動じることはなく、飴色の目は真っ直ぐにこちらを見つめてきた。

「わたしたちは、自分をもっとも愛してくれて、おいしく作ってくれる人のところに行きます。このまちで、わたしはあなたのタルトタタンに、一番強く惹かれました」

 わたしたち、というのは、他のスイーツアイドルのことだろうか。まち、というのも呼び方は異なるが岡市のことだろう。タルトタタンならタルトタタンを、ショートケーキならショートケーキを、もっとも愛しておいしく作る人……が、とてもではないが僕とは思えない。

「洋菓子店の人たちが作る方が、おいしいと思う」

「プロはダメです。あの方たちは、平等な立場なので」

 秒の否定である。しかも結構強めの。

「それにしたって、どうして僕に」

 確かに今日、お菓子のタルトタタンは作った。けれど普段からそう頻繁に作るわけでもないし、すごく好きなお菓子、というわけでもない。

 けれどタルトタタンは純粋で真っ直ぐな目で僕を見ている。少し、後ろめたく感じる。

「わたしは、あなたのタルトタタンが好きです。だからあなたの作ったタルトタタンを体にして、ここにいます。……あの、お名前は、何でいうのですか?」

 先ほどから思ってはいた。彼女、タルトタタンが動くことでほんのりと香るその匂いは、この数年間で何度も作り、何度も食べた、よく知ったタルトタタンのものだと。

 同じタルトタタンだとしても、レシピも違えば作り方も違う。作る人によって味も匂いもある程度変わるものだ。

「……佐藤小麦」

 僕がぽつりと呟いた名前をしっかり聞き取ったタルトタタンは、嬉しそうに微笑む。その後、小さくほっそりとした手を僕の前に差し出した。

「佐藤小麦さん。わたしの、タルトタタンの、マネージャーになってください。わたしを、一人前のスイーツアイドルにしてください!」

 キラキラと光る、飴色の瞳。強い眼差し。確固たる意志がそこにはあると感じる。

 けれど同時に不安も拭えないままのようで、差し出された手は震えている。


(タルトタタン、か……)


 思い入れは、ある。恐らく人並み以上には。

 彼女の話すことが本当のことなのかどうかはわからない。もしかしたら騙されているのでは、とも思う。とはいえ、目の前で不安げに震えている少女の姿を見て毒気を抜かれたのも事実で。

 もしも本当に、それがこの子をここに呼んだというのなら、……それはやっぱり縁なのかもしれない。


 差し出された手をそっと握る。

 了承の握手であり、約束の握手でもある。

 握った手は小さいと感じた見た目通りのそれで、体温はほどよく冷めたタルトタタンくらいだった。

「僕に出来ることは多くないと思う。それでも良ければ、一緒に頑張ろう」

 僕のその言葉に、タルトタタンの目にはじわりと涙が滲んでくる。涙、……涙でいいのだろうか。成分は謎だが、目から滲んでいるのだから、とにかく涙でいいだろう。

「あ……ありがとうございます!マネージャーさん!これから、よろしくお願いしますね!」

 よほど嬉しいのか、タルトタタンは握手をしたままぶんぶんと腕を上下に振る。小柄なわりに結構力が強いな。

 力強い握手がようやく終わると、タルトタタンは今度はじっと猫のようなまんまるの目でこちらを見つめてくる。何やらお願いか訴えたいことがあるようだ。目からも表情からも、溢れんばかりの感情が出ていて、何というか、わかりやすい。

 けれどタルトタタンがアイドルを目指しているというのなら、その素直さや純粋さは間違いなく美点だろう。

「あの、あの、マネージャーさんって、これから呼んでもいいですか?」

「いいよ」

「やったー!!わあっありがとうございます!憧れだったんです。わたしだけのマネージャーさんに出会うことが」

「何の知識も実績もない、現状へっぽこマネージャーだけど」

 ふ、と息を吐くように笑いがこぼれ落ちた。そのことに少し驚く。


 ——特に強く意識していたわけではない。そうしなければならないと思っていたわけでもない。ただあれから何年経ったとしてもこの日は、こういった日は、心から笑うことなどないのだろうなと。ただ、そうぼんやりと思っていただけだ。


「マネージャーさん?」

 何かを感じ取ったのか、タルトタタンが不思議そうに首を傾げる。

「いや。何でも。……とりあえず、タルトタタンでも食べながら今後の話でもしようか?」

 僕がお菓子のタルトタタンが置いてあるキッチンの方を指差すと、彼女は笑って大きく何度も頷く。

「はい!是非!」

 窓から差し込んでいた夕陽はいつの間にかなくなり、外はもう暗くなっていた。

 少しずつ静寂に包まれていく窓の外とは異なり、部屋の中の少し甘やかで香ばしい香りに、まるで冬が明けた春のようなやわらかさを感じていた。

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