第19話  再会

携帯電話は相変わらずよく鳴るが、それはいつもの音色ではなく、樋口さんからのものだった。もう3年にもなるのだろうか、今、羽田空港にいると言うので、全ての用事をキャンセルし、買ったばかりのメルセデス・ベンツで迎えに行った。彼女は相変わらず綺麗で、スタイルも以前とちっとも変っちゃいない、いつ見ても気品に溢れ、惚れ惚れする容姿だった。お腹が空いていると言うので、三ツ星レストランを予約してそこに向かった。パリのレストランよりも美味しいと言って喜んでくれた。この3年あった事を二人で話しているうちに、あの時、最後に別れた時の事を思い出していた。フランスでのアパレル事業は軌道に乗り、従業員も10人以上居るという。あの悪戯っぽく笑っていた心の奥底には強い決意があったのだろう。その信念と共にある彼女の才能にリスペクトを抱(いだ)き、こんな素晴らしい女性が自分を好きになってくれた事を、感謝せずにはいられなかった。その容姿だけでなく全ての行動、振る舞いがこの地球上で最も輝いている生き物のように思えた。

彼女は仕事、生活の基盤がフランス・パリにあり、後1ヶ月もすれば又戻るという。日本にはこっちの不動産の整理に帰って来たと言った。

「私と一緒にパリで暮らしませんか?この3年間、あなたの事を忘れた日なんて一日も無かったわ」 と告白された。ユウキは迷っていた。今の自分の仕事を手放し、彼女とフランスへ行くのも悪くはなかったが、アパレル業界の事など何も判らなかった。彼女の生活の負担、足枷(あしかせ)になるのだけは避けたかった。

ユウキの住まいも賃貸マンションから分譲マンションへ代っており、いわゆる億ションで、調度品も一流の物が揃えてある。タワーマンションの最上階に位置し、それぞれの部屋のベランダからは、都内を全貌出来そうな程だった。1年に一度か二度、スモッグか、霧か、黄砂だかわからないが、"靄(モヤ)”がかかると、まるで天空の城に居るようで幻想的だった。

フランスレストランを出て真っ直ぐマンションへ向かった。100万円を超えている給料明細と、9桁の数字が列んでいる預金通帳を見せて、

「貴女を愛している気持ちは、誰にも負けません」 と言ったが二人共、背負う物が大きくなり過ぎていた。彼女にここで一緒に暮らして欲しいと言ったが、フランスでの事業は彼女が居ないと全く機能しないらしく、従業員の生活が脅かされる為、無理だと涙を流した。今回の帰省は最後だと言う。向こうで永住権を取り骨を埋める覚悟だとも言った。その時ユウキは、あのまま雀荘で毎日勝負して暮らしていれば、すぐにでもフランスへ行けたのにと思った。1ヶ月近く彼女とマンションで暮した。彼女は時を重ねる度(たび)、洗練されて行く様な女性だった。もう彼女無しでは生きている意味が無い様にさえ思える。休みの日には映画に行ったり、他国系の料理店にも行った。

「結構外国の殿方から御食事に招待されるから、色んな国の味を知っておかないと恥掻いちゃうでしょ」 と言って進んで食べに行った。中にはユウキの口に合わない物も結構あったが、彼女の為になるならと、文句一つ言う事は無かった。鎌倉へ行ったり、京都のお寺や神戸の異人館へも幾度となく旅行した。

料理店へ行くのと同じように、ブティックや百貨店のテナントに入ってる服なんかを、二人でよく見て廻ったものだった。遊んでいるようで彼女は常に向上心を持っている。女性としての魅力を内面からも醸し出し、輝きを解き放っていた。朝起きれば彼女が隣で小さな寝息を立てている。こんな幸せが····

毎日が夢のようで人生の絶頂期だろうと思った。至福の数週間が風のように去って行く。彼女がフランスへ旅立つ前の夜、一番最初に行った居酒屋に行き乾杯した。あの頃の事が鮮明に脳裏に蘇る。走馬灯の様に、現れては消えて行った。明日全てを捨ててパリに行けたら、この人と死ぬまで一緒にいられたら、きっと穏やかで、死ぬ時には素晴らしい人生だったと思えるだろう。時計の針の刻みが、もう10時間程しかない別れの時を、刻んでいくのが憎らしかった。日本酒を1杯飲むたび涙が溢れてきた。涙で彼女の顔が見えなくなる。あんなに美しいと想った彼女の姿が。ユウキはこれからの人生、何を目標に生きて行けばいいのか判らなくなり、又悲しくなって、涙が滴り落ちた。時の流れは二人には止められず、既に別々の道を歩き出している。もう彼女が最後の女性だと思った。この先彼女よりも素敵な女性に出会える事など100%無いだろう。           これからの人生は味気のない寒々しい日々を過ごす事になって行く気がした。朝になれば彼女は旅立っていく。来てほしくない朝が俺の人生にもあったのかと、ユウキは思い知らされたのだった。その夜マンションに帰り、朝まで抱き合った。そして朝、彼女には空港へは見送りに行かないと言った。

「この部屋で貴方の出て行く背中を見る事で、又貴方が帰ってきてくれると信じたいから」 とユウキは彼女に告げ、そして、

「貴方を永久に待ち続けます、この部屋で。例え貴方が忘れて欲しいと言っても、僕が勝手に待っているだけだから、いいですよね」

と、最後になるかも知れない彼女との会話が終わった。ユウキの目からは、止めども無く涙が溢れて続けていた。

薄ピンクの口紅の上に軽くキスすると、サヨナラも云わず、ユウキを長く見つめたあと、彼女は朝日の射し込むドアーからスーツケースを転がしながら出て行った。

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