ギャンブルと彼女 

和山(かずさ)

第1話  ビルの屋上

残暑も過ぎ、いい気候になってきたであろうか、郊外では植物たちの葉も色付こうとしている季節の変わり目。青く晴れた秋空の昼過ぎに、これから寝ようとしている若者がいる。ここはビルの4階の屋上に置かれたプレハブの中。その物体は戦争の空襲から被害を免れ、奇跡的に建っていたビルで、もう80年は経っているだろうか、古ぼけたものだった。元々は白色だったのか、でも今は薄汚れた茶褐色で、決して気持ちの良いものではなかった。しかしライフラインというものの費用が0円で、都会の真ん中で一晩過ごせるのだから、考えようによっては優良物件の様な感じにもさせられる。この屋上は殺風景で、ただ単に寝るだけのために時折帰ってくる、そんな場所だった。ここは非常階段から直接ここまで上がって来れるようになっており、非常階段の鍵を持っていればいつでも入って来ることが出来る。入る時は鍵がいるが、出る時はサムターンを廻せば出られるのだ。若者の名はユウキ、ギャンブラーである。このプレハブは元々ビルのオーナーが物置小屋として使っていた物を譲り受けたものである。とはいっても借金の代わりに押し売りされた物で、彼としてはあまり喜ばしい物でもなかった。建物自体はボロボロで、雨漏りのシミがあってすきま風も吹き込んでくる。春と秋はいいんだが、夏は数ヶ月近寄りがたく、冬は極寒の中寝るのは厳しい、そんな物件だった。勿論電気が無いのでエアコンが設置されておらず、テレビすら見れないし、トイレも無い、したくなれば一階の喫茶店で用を足す。喫茶店が閉まっているときは100m程の離れた公園の便所を使い歯を磨く、そんな生活がもう2年近くになるのである。昨日は徹夜麻雀で25時間程打っていただろうか、数十万円の現金がシャツのポケットに無造作に入れられていた。

レートは巷(ちまた)でしている雀荘のほぼ10倍となっている。そんなレートでしょっちゅう場が立つこともなく、普段は街の雀荘で静かに打っているのである。彼の持ち物は、運転免許証とキャッシュカード3枚、財布、時計、携帯電話、少しの着替とプレハブの南京錠の鍵と非常階段の鍵、それだけ。キャッシュカードはお金を下ろす為のものではなく入金する為のもので、ここ2年半程ATMから現金を出したことはなかった。ズボンとシャツ上衣類はたまに行くサウナで洗濯し、下着類は使い捨て、下着なんかは今どき100円ショップで売っているから苦労はないんだ。プレハブの中には布団が、酒屋のビールケースが一面に置かれた上に敷かれている。そのビールケースもこの屋上に放置されていたものを拝借し、足らないものは街の酒屋さんから頂いた物である。横4個縦7個のビールケースが10畳程のプレハブの中に並べられ、その上に高価な羽毛布団が置かれていた。寝る時にいい布団に包まれていると、今日の寂しい事の癒やしや、明日からの活力が湧いてくるから、いい布団といい枕を使っているのだった。夏はここで寝ないのだから問題はないんだ。ペットボトルやおにぎりは持ち込むことはあってもそれ以上は無い。小便なら屋上の排水管にすればいいし、そんなに住みにくい事はないように思えた。彼のホームグランドの雀荘は、向いのビルの3階で、ここからはよく見えた。夜の12時までならカーテンを閉めないから何卓稼働し、誰が打っているのかがよくわかる。気心しれた相手と打つのも好きだった。その雀荘は15卓はあったろうか、よく行く雀荘の中でも規模の大きい店だった。優良店で1000点100円と裏ドラ500円、1000点50円と裏ドラ100円の2種類しかなく、殆どが1000点100円のレートを打っていた。もっとも4人連れの学生がやる1000点30円や、ちょっとヤバそうな人相のお兄さん達のポンリーと呼ばれる変則的な麻雀も、時折セットで行われていた。

ユウキは十分睡眠を取り、目覚めも良かった。時計は19時を廻っていた。

"そろそろ出勤するかな"

もう外はすっかり暮れ、部屋には電気が無いのでこっちも真っ暗である。足元の靴を探りながら履いてプレハブから外へ出ると、街の灯りで足元はなんとか見えた。街は活気に溢れ、まだまだ寝そうにない人々の往来で賑やかだった。鍵らしき南京錠をかけたが、盗られる物などなにも無かった。手摺の腐りかけた非常階段を降りて、1階の喫茶店でナポリタンとコーヒーを注文して食事を済まそうと思っていた。喫茶店には中年のカップルと、若い男が二人いた。中年の方は夫婦でも無いような感じで、しかし親しそうにお互い目を見つめ合いながら、微笑みを浮かべてゆっくり話こんでいた。まだホテルに行くには時間が早いのか、チェックインを待っている様にも伺える。二人共まだ新しそうなスーツに身を包み、お互い価値を上げようとしている様にも見える。不倫だなと、ユウキは思った。廻りを時折見ては、誰にも見られていないのを安心したかのように、また女を見つめる。今すぐにでも女の体に触れてみたいのを我慢して居るようにも見受けられる。            男二人はこれからナンパしに、何処かの飲み屋へ行く相談が聞き取れる。人それぞれに色んな目的があって、こんな都会にいればこそだなと、思うのであった。

ここの喫茶店にはかわいいウエイトレスがいて、名前を容子と言った。彼女は背がスラリと伸びて、痩せているのに出るとこは出ていてグラマーな女性だった。以前から食事とか映画に誘っているんだがいい返事が貰えない。博打打ちが嫌いだそうだ。その昔、父親がギャンブルに嵌まり一家離散寸前までいったとか。

“仕方ねえや”

そうつぶやきながら道路を渡り、向いのビルのエレベーターのボタンを押す。

雀荘に入ると、中は活気に溢れ7卓稼働していた。今日は金曜日だから徹夜する客も多い。メンバーがおしぼりを持ってきた。

「ユウキさんいらっしゃいませ、今メンバーの卓、オーラスやってますのですぐにご案内出来ます」

そう言われてユウキは7卓全員の顔を見渡すと、女性が2人混じっていた。2人とも以前同卓したことのある人だった。一人はナナと言っていたが中国人だった。苦手そうな日本語を話し、電話で知り合いと喋っている時はいつも喧嘩しているような口調で話す。中国語とはそんなものなのかと思っていた。ちょっと小太りでユウキの好みではなく、雀荘の中だけでしか会話はなかった。

もう一人は名前は知らない。普通トップを取ると店側が

「○○さん優勝おめでとうございます」

というんだがユウキが同卓の時、その彼女はトップを取ったことが無かった。だから名前を知らないのだ。いつも胸のちょっとはだけたブラウスをまとい、ブラの紐が見えていた。左の鎖骨辺りにタトゥーが見え隠れし、柄は判らなかったが、ちょっとやばい女かもと思っていた。麻雀というものは不思議なもので10時間20時間、体が触れ合う程の距離に居ても名前くらいしか知らない、俗世間では考えられない事だろう。それが1年、2年であっても。この彼女にしてみれば名前はおろか、話さえしたことが無かった。その彼女が今日は調子がいいという。金曜日の夜といっても日雇い労働者や派遣社員なんかは土曜日も仕事があり23時頃には帰っていく。 24時を過ぎる頃には4卓くらいになっているだろう。ナナさんは朝まで打って化粧も剥がれ、見られたもんじゃないが、愛想はいいんだ。もう一人の女性は徹夜はしない、年の頃なら30手前といったところか。透き通るような綺麗な肌、整えられた眉、品のいいくらいの薄ピンクの口紅と薄化粧、肩の辺りでカールされた髪、縦にストライプの入った膝くらいの丈の紺のスーツ、ロレックスのボーイズの時計、シャネルのバッグ、ここの客みんなが興味を持ち憧れていそうだったが、鎖骨のタトウーが、みんなの恋心を無くさせているんだろう。メンバーが呼びに来た

「ユウキさんお待たせしました」

ナナさんの卓でも彼女の卓でもでもなかった。その二人はいつも居る常連客だった。もう一人は初老の人物で初めての顔合わせだった。メンバーがご新規さんです、よろしくお願いしますと紹介してきた。普段なら自己紹介などしないのだがその初老の人物は名を名乗ってきた。

「浅田と言います、よろしくおねがいします。」

この店は初来店であったが堂々としており場馴れしている感じがした。


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