第38話 無粋



     *


 畔柳くろやなぎが表のプレートを引っくり返して戻って来た。今頃は『骨休ほねやすメ』となっているはずだ。


 これで店内は貸し切りになる。


 松岡まつおかは紅茶の入ったカップを片手に小上がりの定席へ、リンドウとむらは引き続きカウンターに並んで座している。


 姫夜村が首筋に絡んでいた後れ毛を背後に流した。と、畔柳が即座にその背後に回って「師匠」と声をかける。姫夜村は「ん」とわずかに俯いた。それを受けて畔柳が姫夜村の髪をまとめていたかんざしを引き抜く。しゅるりと音を立てて抜き取った簪を畔柳は当たり前のように自身の唇にくわえた。癖のついたままのウェーブのきつい彼女の黒髪を、零れ落ちていた分も含めて、さっと両手でねじり上げる。瞬く間に持ち上げられた髪は、再び――否、先般よりも余程丁寧に艶やかにまとめ上げられた。


「仲良しですねぇ」


 リンドウの言葉に、姫夜村は自らの髪の状態を指先で確認しながら「うふふ」と笑った。


「この子、器用なのよ、こう言う事だけは」

「こう言う事だけは余計です、師匠」

「でも、男性に髪を触らせるって、相当気を赦してないとできなくないですか?」


 リンドウが小首を傾げると、姫夜村は肩をすくめた。


「子ども達にも散々やらせてきてるから。一緒よ一緒。子どもって長い髪触るの好きでしょ?」


 「う」とリンドウが畔柳くろやなぎに視線をやれば、無残なまでに眼の光が死んでいる。あまりにあからさまな絶望の顔なのに、姫夜村は本当に畔柳の思いに気付いていないらしい。中々酷な状況を自らの失言によって招いてしまったと悟り、リンドウは内心畔柳に謝罪した。

 と、


「リンドウ氏だって、未だに久我くが氏に髪をまとめさせているのだろうに?」


 小上がりからの松岡の指摘に、リンドウは「いやそれは」と眉間に皺をよせた。


たもつは、兄ですし……それは、子どもの頃からですから」


 リンドウの反論に、松岡は「ふうむ」と座卓で頬杖をついた。


「それも、まだらのことを思えば、最早詭弁きべんに聞こえるのだがなぁ」


 松岡の言葉に、リンドウはぐっと詰まる。

 松岡の言うのはもっともだ。リンドウ自身、自分と保との間にある関係のいびつさと状況については思うところがないでもない。


 まだらの伴侶の「人」の候補として、異母兄である保が名乗りを上げ、それが受諾された事は、リンドウにとってすれば当然青天の霹靂へきれきであった。保は、ただ「決まった」としか言わなかったし、リンドウも「そう」としか返さなかった。


 保の本意は――未だ掴み切れていない。

 と、隣から姫夜村が「こら」と松岡に向けてにらみを向ける。


「あんたちょっと無粋よ、冬青そよご

「師匠の無粋も相当だぞ」

「やだ、それどういう意味よ」

「男の純情をむ技量が薄っぺらいと言っている」

「なんですって⁉」


 松岡のげんの意味は、さしものリンドウも察する。畔柳が彼女に寄せる感情に、姫夜村が全く気付いていないという事実を含めての当てこすりだ。それが分かるだけに、リンドウは内心複雑だった。


「僕は、久我氏は何の含みもなくリンドウ氏を妻にと考えていると思うがな」

「いやだから、あんたセンシティブに踏み込みすぎって」

「いい加減、明瞭はっきりさせたほうがいいと言っているだけだ、僕は」


 松岡がこちらへ向き直った。胡坐を解き、小上がりから足をおろして床につける。


「じゃあ、リンドウ氏は、伴侶を誰にするんだ?」

「それは……」


 松岡は、もともと細いその眼を更に細めてリンドウを見据えた。


「――僕も事情は聴いている。リンドウ氏が明らかに選んだと思われていた藤堂氏を二年前に拒絶した理由も。その理由を藤堂氏が知らされていないという事も」


 思わず――リンドウは膝の上で拳を握りしめた。

 松岡の溜息が店内に響く。


「久我氏が実兄であるから選ばぬと言うならば、リンドウ氏はげん様を選ぶか?」

「――それは……」

「今の法則に照らし合わせるならば、玄武様を選べば生まれるのは「人」だ。正直な話、僕らとしてはその方がありがたいが、そうすると、今度こそ「神」を産ませようと画策している「伊勢いせ」が黙って引きはしないだろう」


 避けては通れぬ事実の指摘に、リンドウは俯く。


「――そうね。「伊勢」は、まもなく正式に藤堂氏に接触すると思うわ」


 隣からそう告げたのは姫夜村だ。腕と脚を組みながら、きしりと椅子の上で背を丸める。

 それは間違いないだろう。「伊勢」が保から手を引くと宣言した事を、リンドウは当の保から聞かされている。その先に「伊勢」がどう動くかは言わずと知れた事だ。


「私は……」


 俯いたままだったリンドウは、暫時ざんじ逡巡しゅんじゅんしてのち、ゆっくりと息を吐きだした。


「コダマノツラネを、とにかく解穢かいえして仕舞いたいんです」

「それが、藤堂氏の奥さんの――はなさんの遺したものだから?」


 静かで、どこかやさしい姫夜村の言葉に、リンドウはこらえ切れない吐息を漏らした。


「あれが――」


 ぐっと、リンドウの胸の奥がきしんだ。


「あれが解穢かいえできない限り、藤堂が前世の行いで集めたぞうねん怨念おんねんは、いつか、あれにかえらないとも限らないのでしょう?」

「そうね」


 姫夜村の肯定に、リンドウは顔をしかめた。


「歴史を簡単に紐解ひもといただけでも、藤堂氏の生み出した怨みが大きいのは明白だわ。磯野いその羽柴はしば徳川とくがわと渡り歩いて、考えうる限りの出世をし、人望も集めはしたけれど、それはつまり倒し怨まれた敵も多いという事よ。特に、藤堂氏は自ら率先して一番槍として戦いに赴いた武人だからね。数多あまたの城を築いて人柱も埋めている。更には国内に留まらず――」


 姫夜村の視線と、畔柳の視線が絡む。しかし、俯いていたリンドウはそれを観なかった。


「朝鮮水軍の兵も、多く海中に沈めたし、半島でも激しい戦を行った」



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