第29話 益荒男と手弱女




 はなの片腕にはよもぎの乗ったざるがある。空いた片手を強引にゆうぜんに捕まれ引かれ、道々聞かされたのはお相手の如何に素晴らしいかという事だった。


 羽柴秀長の方が但馬の国守である事ははなも知っている。だからそれに抵抗している国人というのは、土地の者とは言え反逆している側という絵面になるのだ。そしてお相手というのは、その羽柴様の御家来であるらしい。


「戦に立つたびに武勲を上げてこられた、今や三千三百石の大大身じゃ。身体の頑健な事もあるが滅法強い。そして欲が薄い」

「欲がうすい」

「身内や御家来にぽんぽん碌を分け与えてしまうような気前のよさでな。御家来の方から返上を申し出るのに聞かず、増えた碌をまた分けてしまうような豪気豪快な男でな。いや儂が女なら是非とも嫁に行きたいところじゃが、そもそもそちらの欲も薄いのか、女っ気がまるでない」

「はあ、じゃあ嫁はいらぬのでは?」

「いや、じゃからこそ周りが心配して口を挟むのじゃて。そろそろ地元にござる家族も呼び寄せて、身を固めてもらいたいとな、大将がいつまでも独り身では家中の座りが悪いのよ」

「ああ、そういう……」

「家内が大きゅうなれば、考えねばならん。しかしあの御仁、若いのに腰が重くてな」

「はあ」

 気付けば二人はゆうぜんの屋敷の門をくぐっていた。


「じゃからもう添わせてしまえば話は早かろうと」

「はい?」


 さすがにそれはなかろうと思っている内に、ゆうぜんは左に折れて庭を突っ切ってゆく。


「お待ちください栃尾様。それでは、そのお相手様は嫁取りのお話しをご承諾なさってらっしゃらないのでは?」

「ああ、さっきまとめてくると言いおいて、久芳殿の御養父殿に話を通して、そのままお迎えに上がったからな。屋敷で待つよう言うておいてきた」

「そんな殺生な」


 はなに対しても十分に無体である。嫁に行けと送り出されて、その先でやっぱり要らぬと言われたら立つ瀬も浮かぶ瀬もないではないか。


「大丈夫じゃ! 気質は太陽の如くからりと明るい、よきおのこじゃ。なに、形を整えてしまえば大事にしてくれる。何よりふところに飛び込んでしまうのが肝要じゃ」


 どちらかといえばしっとりじめっとした自分とは真逆ではないかと久芳は思ったが口にはしなかった。

 ゆうぜんはどんどんと奥へ先へと進んでゆく。そこで久芳もはたと気付いた。


「お、お待ちください、栃尾様あの」


 しかし時すでに遅し、二人は家屋の前に立っている。


「ここじゃここじゃ」

「あのっ」


 ゆうぜんは聞かずがらりと引き戸を開け放った。


「待たせたなー、いやちゃんと待っておったな!」

「あの、せめてお名前をっ」


 敷居をまたいで屋内につんのめるように踏み込む。土間で転ぶなどもってのほか、片手には相変わらずざるよもぎ。なんとか踏み止まって顔を上げた。



 その先に、大きな大きな山があった。



 否、山ではない。人だ。生きている。男だ。若武者だ。ぽかんと口を開けてこちらを見ている。座敷の囲炉裏端、ぐさの丸座布団の上で胡坐をかいていた。

 大柄なわりに童顔で、しかしわずかばかり何を考えているのか分からないような、仏様のような眼をしていた。


「名前……」


 男がぽつりとそうこぼす。茶碗を掴んだ手は宙に浮いて固まったままだった。やはりまだ――久芳を凝視していた。


「これは――うむ、そう、か」


 それだけ言うのが精一杯かのよう、若武者はあんぐりと口を開けたまま固まった。横にいた同じく若い男が、「なんちゅう顔をしとるんじゃだらしのねぇ」とケラケラ笑いながら手を伸ばしてぱくんと口を閉じさせる。

 そこでわずかばかり正気に戻ったらしい。若武者は「ああ、うん」と唸り声のような声で頷きながら、なおも久芳を凝視し続けた。


「名、名だな。うん。名は、ああ、聞く前に儂から名乗らんとならんか」

「ええ、ええ。紹介ぐらい儂がやりますがな」


 久芳をひっぱってきた祐善がにやにやと笑う。


「久芳殿。こちら藤堂とうどう高虎たかとら殿じゃ。藤堂殿。こちら一色の久芳殿じゃ。どこからどう見ても、似合いのよき益荒男ますらお手弱女たおやめじゃろう。文句など出る角があるまいよ」


 祐善は更にからからと満足げに笑った。


「いやしかし――」


 高虎、と紹介された大男は、再び口をぱっくりと開け、しばらく固まってから「はあ」と大きな溜息だか唸りだから分からぬような声を零して、ぽそりとこうつぶやいた。


「――驚いた。久芳殿は、当代随一のしんの美形じゃな」




 この時、このまさかの言葉を受けたはなの衝撃ははなはだしかった。

 初対面でこれから夫となる男は、筋骨隆々とした如何いかにも武人らしい大男であった。その口から最初に出た自分への評が、まさかの美醜への言及になろうとは思いもしなかったのである。しかも絶賛。

 息を詰まらせた久芳の顔が表情いろを失い、更には紅顔ではなく白くなった事により、次いで高虎の覚えた久芳への所感は「この女は美しく、白白しらじらと冷静で動揺が薄い」だった事は、つまり大いなる誤謬ごびゅうだったのである。



 高虎が羽柴秀長の命で但馬たじまに入り、小代大膳ら在地勢力と戦い始めてから、既に四年が経過していた。

 其の前年、高虎は銃将となっていたが、一本槍な気質は相も変わらず。味方の為ならば自ら率先して切り込む戦法が代わる事はなかった。


 人並外れた体躯。理に聡く情に厚く、自らの身をもって動く。そして笑顔が大きく、はったりが効いて、人心と意図の読み解きが的確。

 上からも下からも慕われる男というのは、こういうものか。


 それがはなから見た夫、藤堂とうどう高虎たかとらという人物の為人ひととなりだった。



 時に天正九年。春。

 高虎たかとら二十六。はな十九。

 日差しはあたたかく、鳥のさえずりは軽やか。

 二人の間を吹き抜ける風には、涼やかな冬の名残なごりと、甘やかな花の芳香ほうこうが乗り合わせていた。




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