第24話 地偉智とは





 杉内の視線が、ちらとリンドウの背後へ向けられる。否。背後というより頭部か。


「それで、その数珠から抜いた石で、リンドウさんのそのかんざしこしらえられた、と?」


 リンドウは伏し目がちに「――ええ」と首肯する。


「こちらの石粒は仕舞いの終えたものなので、分けた方がよいという事だったそうです。仕舞われる度に数珠からよけておいたらしいのですが、物が物ですので処分もならず。それで溜まったものを今回まとめてかんざしに仕立てていただく事に……」


 リンドウは、口の端に吐息をにじませ、そっと目を伏せた。

 杉内の目は、未だリンドウのかんざしに注がれている。見れば、ブラックダイヤモンドが垂れ下がる根元に、一粒の金緑石があった。雫型のそれは、簪の先端に調金された花の華芯にあしらわれている。

 花は――桔梗である。


 杉内は自身の頬を撫でさすりながら「ふぅむ」と小首を傾げる。


「これはえらい仕事ですよ。仕舞いにも時間がかかったでしょうに。――ああ、仕舞いをしている人と、拵えをした人はまた別ですか。それはそうか」


 勝手に納得したものか、杉内は「ふんふん」と一人頷く。頷いてから、ちらと鋭く白い眼差しをリンドウへ向けた。


「どなたの仕事です?」


 杉内の問いに、リンドウは思わず口籠くちごもる。


「――それは」


 しかし杉内はさすがである。言えぬものと察するのが早い。「ああ、いや結構」と、自らの乾いた頬をでさすりながら、口元をへの字に曲げつつその両目を見開いた。丸きり歌舞伎の見得のような面相だが、芝居観賞もまた彼の息の長い趣味であるが故である。


「大丈夫ですよリンドウさん。またお話しいただける時でかまいません」

「ありがとうございます」


 リンドウは、深く頭を下げた。


「さあて、では早速こちらはあずからせていただいて、桑名に着き次第おきなに渡すとしましょう。どれ程のお預かりになるかは分からんでしょうから、あれにもできそうなら仕舞わせておきます」

「助かります。私には、石や物に宿る御魂みたまの強さなんかは分かりますが、込められた雑気や怨念、悪意などを抜く事はできかねるので……」

「それはそうだ。マダラである貴女に出来るのは肉と魂の移動なのだからね」


 杉内の言葉に、リンドウは、うっすらと苦い諦観ていかんの笑みを浮かべた。

 リンドウは、その額に赤い光を頂いている。生まれながらのものであり、ヒトには視えない。しかし鬼どもには視えている。

 その赤光しゃっこうで魂寄せをする。つまり魂を抜きとれるのだ。思うがまま、自由自在に肉から抜いては別の肉へと運び入れることができる。リンドウがその気になれば、今この場でたもつ杉内すぎうちの肉体と魂を入れ替えることも可能だ。


 これは本邦の史類を紐解いても、マダラにのみ可能な異能である。

 しかし、マダラの異能とは、ただそれだけの物なのだ。


 リンドウは、杉内の手にある数珠をじっと見つめた。

 じわりと滲み出る、薄暗い陰がある。湧き立つようなものがある。

 全く、いつになれば終わるのか……。

 リンドウは静かに歯噛みした。

 この状態では、まだこの石には直接触れられない。この石だからこそ保っていた、とも言える。他の石ではとうに砕けていただろう。

 よくここまで薄めてくれたものだとは思うが……先の長さに目が暗くなるのもまた本音だった。


「恐らくこれで間違いないとは思いますが、桑名の翁に見ていただいて、これが真実コダマノツラネであると判明しましたらその時には……」


 杉内はゆっくり大きく頷く。


「わかっております。仕舞いの支度が整うまでは、桑名の下で預からせていただきましょう」


 杉内は、巾着の紐を引いて、緋色の縮緬の中に数珠を閉じ込めた。


「本当にありがとうございます。助かります」


 リンドウがこうべを垂れることで話の片は付いた。二人はふうと安堵の溜め息を漏らす。

 杉内は、「それにしても」と、再びその乾いた頬に手をやった。するするとさする。


「お預かりするのが私と翁でよろしかったのですか? 藤堂とうどう地偉ぢいには何と言ったのです?」


 藤堂の名が出た途端、リンドウは物凄く厭な顔をした。


「あれには見せたくありません」

「ほう」


 リンドウは遅れ毛を耳にかけながら、眉間に皺を寄せた。


「モノがモノです。情に引き摺られて地脈を乱されては迷惑ですよ」


 実際は、先般の小手毬こでまり姫の件の折に、あの鬼がやらかした事を引き摺っての怒りが治まっていないのと、羞恥による複雑な意地張りでもあるのだが、これは杉内の知らぬ事である。


「ほほう、迷惑、ですか」

「藤堂は、私なんぞより余程人くさいのです。ヒトではない己は鬼だ、人であったことなんぞ忘れた――というわりに、激しく人であったことに拘泥している。……あれに明確な自覚はありませんが」


 忌々しげに呟くリンドウに、杉内はからからと声を立てて笑った。


「仮にも地偉智をあれ呼ばわりできるのは、貴女ぐらいのものでしょうなぁ。――マダラの特権ですか」

「特権、ではないでしょう。それに、地偉智を使役できる先生と私では格が違う。からかわないでください」


 ふ、とリンドウの表情に影が過る。


「地偉智の混乱は、土地にとってただ害悪でしかありません。あれには努めて穏便に、……そして末永くその任にあってもらいたいのです、わたしは」

「お話しに割って入ってすいません……」


 リンドウのキリマンジャロ、杉内のブレンドを運んできた店主が、ふいに口をはさんだ。


「前々から気になってたんですが、その地偉智というのは、藤堂の名前じゃないんですか?」


 リンドウと杉内は顔を見合わせ、今更ながらに、「ああそう言えば」と思い至った。


「そうかそうか、たもつさんはご存知ではなかったか」

「改めてそれが何かなんて説明したこともなかったしね」


 リンドウは悪戯げな目で笑った。


「保さん。地偉智は固有名詞ではないんです。むしろ、尊称に近いものかな」

「尊称、ですか?」

「はい。ここ畿内近辺の鬼どもあやかしどもの間で地偉智と呼ばれるのは、桑名の翁か、先までは伏見のはくおう。――そして、なばりの藤堂の三者に限られたんですよ」

「――あいつが、伯王様や翁様と並ぶようなモノなんですか?」


 嫌そうな顔でつぶやく店主に、リンドウはくつくつと肩を震わせて笑った。杉内も事情を知ってか笑っている。


「地に根付き、地の智を一手にする、地神地仙の中でも最高位に位置するものを、そう呼ぶのです。ただし、鬼やら何やらの、人ではないものにとって、然程遠い存在ではないんですよ。だから尊称のようなもの――なのです」

「あいつ確か、じいとか、じいちゃんとかも呼ばれてましたよね」

「そうそう。藤堂の地偉智は、馴染みやすい性質ですから」

「――なんか嫌だな。まるで仁徳があるような響きだ」

「保は本当に藤堂が嫌いだものね」


 リンドウが揶揄やゆするのに、保は顔をしかめて「ああ嫌いだよ」と肩をすくめて見せた。それに杉内はなおの事笑う。


「商家のご内儀をごりょんさんと呼ぶようなものですよ。あなたが店長さんと呼ばれるのと大差ありません」


 事情を知る数少ない人の一人である杉内は、からからと笑って、目の前の若い二人のやり取りを見守った。






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