でっど(オア)あらいぶ

 ピッ、ピッ、と、心電図のグラフが上下を繰り返す。


 白い床、白い天井、白い部屋――病室。


 大量の機材に囲まれ、ベッドに横になっているのは父だった。


 父は病気だった。大金を積んで、時間もかけ、延命したけど……、でもこれ以上、手を尽くすことはできないとお医者様に言われた。

 これ以上の延命は、本人をただ苦しませるだけだと……。


 万全にならずに生きていることは地獄だと言ったのは本人だ。

 痛み、苦しみ、悲しみ、恐怖……、その全てを抱えてあと何年生きるのか……。

 考え出したらさらに体調が悪化する。父はもう殺してくれと呟いた……、どうせ生きていても、最愛のパートナーは既にこの世にはいないのだから。


 娘を抱え、私は父を見下ろす。

 痩せ細った体、指先は木の枝のようだった。

 細さもそうだけど、色合いが……、ゾッとする肌の色と、質感だった。


 もうそろそろだな、と分かる。


「……お時間、かもしれませんね」


 お医者様が言った。心電図はまだ揺れているけど、段々と弱くなっているのが分かる。

 いつ、途切れてもおかしくはない。


「これ以上の処置はやめておきましょう。

 本人の意思を尊重し、安らかに、眠らせてあげるのがよろしいかと思います」


「……はい」


「おじーちゃん、起きないの?」


 抱きしめる娘の頭を撫でながら、私は覚悟を決めた。


「うん、おじいちゃんはもう……ゆっくり、眠るんだよ」


 そして、ピッ、と鳴っていた高い音が――途切れる。



 ピ――――――――――――――――――――――――



 と、鼓動の停止を知らせた。


「ご臨終です」


 涙は出なかった。覚悟していたから、というのもあるし、できることを全てやった結果だったから……、悔しさはなかった。

 悲しさはあるけど、でも、お父さんが後悔するような死に方ではなかったはずだ。


「お医者様」

「席を外しましょうか?」


「いえ……、ありがとうございました」

「……もっと、我々の技術があれば、お父様を苦しませずに救うことも、」



 ピッ。


 ――――その音に、私たちは反射的に首を動かしていた。



 しかし、一回だけで、その後は再び、『ピ――――――』と音が響くだけ。


 お父さんの顔を見ても、満足そうな死に顔だった。


「……最後の挨拶に戻ってきたのかもしれませんね」


 なんて、冗談めかしてお医者様が言うと、


 ピッ、ピッ、と、心拍が戻った。


 今度はしばらく続き、停止する素振りも見せなかった。


 ……息を吹き返した?

 でも、お父さんは目を開けなかった。


「あ、あの……お父さんは生きて、るんですか……、死んでいるんですか……?」


「かろうじて生きている状態ですね。首の皮、一枚が繋がっているような状態です……、死にたいと言っていましたが、やはり戻ってきたのでしょうか。

 ……こんな経験、長年医者をやっていますが、初めての状況で……我々も戸惑っています」


 鼓動は今も続いている……、が、別れは突然やってくるものだった。


 三度、ピ――――、と心拍の停止を知らせてきた。

 だけど、部屋にいる全員が、ふう、と、肩の力を抜いたわけではない。

 そわそわしているのは胸の中の娘だ。


「つぎは、いつ起きるのかな」


「さすがにもう――」


 ピッ、ピッ、と心拍が戻り、間隔も短くなり、ピ――――と停止する。


 息を吹き返しては息を引き取る、を繰り返している父親にツッコミたくなる気持ちがあるけど、そこはうんと堪えて、成り行きを見守る。


 息を吹き返すということは、本人にその意思があるのだと思って……、完全に息の根を止めることは躊躇われる。自然に死んでいくならいいんだけど、こっちが手を出すのは……違う。


 娘に見せられるわけがなかった。


 お医者様も、席を立ち上がれなかった。

 生きるか死ぬかの境界線上で、仕事を放り出すわけにもいかない。

 生かすにせよ殺すにせよ、病室からお医者様がいなくなるのは避けたいところだった。


 ピッ、ピッ、ピ――――ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピピ――――――ピッ、ピ――ピッ、ピッ、ピッピ――――――――――――――――――――――――ピッ、ピ―――――――――



「(止まった……? ……やっと……)」


 ――――――――――――――――――――――ピッ



「いや、早く死ねよ」



「父親に向かって早く死ねよ、とはなんだ……、

 俺はまだ死ねんな……お前のその口の悪さが完全に直るまではな」


「……もう殺してくれと呟いたのはそっちでしょうに……」


「お前の猫被りにまんまと騙されたわ。

 俺の死に際に、お前の本性が出ると思った……、地獄から這い上がってきた甲斐があったぜ」


 起き上がったお父さんが、体に貼り付けられている機材を剥がす。


「え、その、あの……」


 お医者様が戸惑っているけど、私とお父さんは構わず続ける。


「地獄はどんなところでした?」

「さあな? お前も、堕ちてからのお楽しみだ」


「あら、私が死んで、地獄にいくと思いますか?」

「当然だろう? 子供を生む前のお前のおこないがリセットされたわけじゃない」


「小さく、たった一つの悪行で地獄へ堕ちるなら、天国へいける人なんて限られているのではないですか?」


「だと思うぜ。だから天国はスカスカなんじゃねえの? もしかしたら地獄へ堕ちた人間の体を積み上げて、天国へ届くのかもしれねえな」


 正気を取り戻したお医者様が、慌ててお父さんをベッドに寝かせようとする。


「起き上がらないでっ、安静です……っ!

 今は大丈夫かもしれませんが――あなたは癌だったんですよ!?」


「癌? ああ、そりゃあ……死んで治った」

「そんなわけがありますか!」


「医学の知識だけで否定してるのか? なら足りねえなあ、こういう奇跡だって起きたりもするんだよ――ま、気の持ちようで生死が変わるってことなんだろうぜ。

 とにかく、腹が減った……、病院食は飽きた、ジャンクフードを寄こせ」


「はいはい、じゃあ買ってくるから……その間に死んでてもいいからね?

 私とこの子で食べるから、安心して」


「やだね、死んでも戻ってきてやる」



 病室から出た後、娘が聞いてきた。


「おかーさん、おじーちゃん、いつ眠るの?」


「んー、いつ眠るんだろうねー、さっさと眠ってほしいよねー」


「うん! お昼寝、気持ちいいもんね!」



 たぶん、あれはしつこく生き続けるタイプだ……。


 まったく……でも。

 どうせ生き返るなら、娘が大人になるまで生きていてほしいものだ。




 ―― 完 ――

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