魔王幼女【後編】




「遠いところから、わざわざご足労いただきありがとうございます、わたしが魔王です」





 …………幼女だった。


 見た目は十歳にもなっていない、子供の姿で……。



 大き過ぎる椅子に腰かけ、足をぶらぶらとさせている。

 裸足、に目が向いた。履いていた靴は脱げ、床の上に倒れていた。履き直すのが面倒になったのだろうか……、どうせ足は床に着かないし、とでも思っているのだろう。


 勇者は背負っていた剣に手をかけていたが、無意識に外してしまっていた……、もしも目の前の魔王が幻影で、油断を機に、攻撃を仕掛けられていたら――勇者は避けることができなかっただろう……迂闊だった。


 しかし、はっとした勇者は自身の命が奪われていないことを知る。

 胸に手を当て、無事に心臓が動いていることを実感すると……、視線を魔王に向ける。


 にこ、と笑顔を見せられた――同時に魅了された。


 違うっ、激しい鼓動はその笑顔を見たから――ではない!


「勇者さまが望むのであれば、わたしも全力で戦いますが……どうしましょう?」


 細く白い人差し指を顎に添え、首を傾げてくる幼女……否、魔王。


 見た目がこんなでも、魔王である。

 魔力の量と質は、先代にも劣らない。


「いえいえ、先代には劣りますよ……、先代のランクが『A』とすれば、わたしは『F』とか……そのあたりだと思いますよ……?

 あ、ちなみにAの方が上です。Fは最低ランクと思ってくれて構いません。このあたりは人間さまの基準と一緒かもしれませんね」


「……どうして、一人なんだ……?

 部下は? そもそも城に、罠の一つもなかったのだが……」


「はい。仕掛けていませんし、わたしを慕ってくれている方々には、城から出るようにと命令しましたので。

 だって勇者さまがいらっしゃるのに、敵対心を剥き出しにしている魔族を立たせておくわけにはいかないでしょう?」


「……オレは、あんたを倒しにきたんだぞ?

 倒して……ッ、殺してッッ!! 世界平和を取り戻すつもりなんだぞッッ!?!?」


「はい。知っています。ですから、勇者さまが望むのであれば、わたしは逃げも隠れもいたしません。その剣を正面から堂々と、抱きしめるように受け入れましょう」


「……なんでだ。ッ、無防備な幼女を刺し殺せるわけ、ねえだろうッッ!?」


「でも、魔王ですよ?」


 頭では分かっているものの、見た目は幼女である。

 人間の子供とそう変わらない……、

 頭に生えた小さな二本の角が、あるのか否かの差でしかないのだ。


 ……子供を十人並べて、その内の一人を、『魔王だから』という理由で刺し殺せるのか?


 魔王らしい暴虐の振る舞いもなく、演技という風にも見えない……人間に寄り添った魔王らしからぬ考えを持ち……争いを好まない性格……。

 そして実際に、目の前の幼女は敵意を見せていない。魔族と人間の対立は続いているが、そこに魔王の意志が入っていなければ……、この子は無罪と言えるのではないか?


 魔王である、というだけで。


 その役目を、生まれた時から背負わされているだけで――こうして殺される?


 そんなの、理不尽だ。

 勇者の方が、魔王よりも『魔王らしい』ではないか!!


「勇者さま? 殺してくれて構いませんよ? 安心してください、痛みを遮断することができますし、その剣に刺されても苦しむことなく、わたしは倒されることができます。

 ……数年間は平和を取り戻すことができるでしょう。ただ、また魔王は代替わりをして、復活してしまうとは思いますが……。

 ごめんなさい、そればかりはわたしにはどうすることもできません」


 魔王とはそういうものだ。

 倒されれば復活する……。

 封印に耐性がある以上、倒すしか、魔王を世界から消す方法はない。


 その後、数年で復活してしまうが……、

 だからこそ勇者という実力者が、毎度毎度、魔王を倒す必要がある……。


 魔王を倒さなければ、常に世界に存在し続ける。

 もちろん魔王にも寿命はあるだろうが、人間よりは随分と長い。


 つまり、もしもここで彼女を見逃せば、百年以上は存命であると言えた。



「あんたは、低ランクの魔王なんだろう?」


「はい。自称、ですけどね。少なくとも、わたしは戦う気がありませんし、人望もありません。カリスマ性だって……――ですから、最低ランクの魔王と思っていただければ――」


「あんたを倒して、新しい魔王が数年後に誕生したとする……、その時に生まれてくる魔王は、あんたよりもランクは下なのか?」


「……それは、どうでしょう……、生まれてみないことには……。

 ですが、わたしが最も魔王らしくないと思いますので、わたしよりも『魔王』として振る舞える『存在』が誕生するのが濃厚でしょうね」


 だとしたら。


 彼女を倒し、新しい魔王へ移行させるよりも。


 彼女が君臨することで最小の脅威のまま、世界を維持することが平和なのではないか……?


 ただ、彼女に脅威がなくとも、独断で動く魔族はいるわけで……。

 今も多くの町が襲われ、死者も出ている……。

 魔王を倒さないということは、出ている被害を見て見ぬふりをする、ということでもある。


 勇者としての役目を放り出した男を責める声も多いだろう……。

 他の力自慢が魔王を討っても困る……だから魔王が『最低ランクを自称する幼女』であるということは、公言できないし、勇者は命からがら逃げ帰ってきた、と報告するしかない。


 今世代の勇者は彼だけである……、だから彼が勇者として魔王を討伐しなければ、彼女の安全は保証されているようなものだ――。


 勇者でもないバカが、魔王城へ乗り込まない限りは……。


「勇者さま?」


「……決めた、あんたを倒さない。

 魔族による被害はゼロではないが、あんたを倒して代替わりした魔王が『Aランク』以上だったりすると最悪だ。

 だったらあんたのまま、最小の被害を甘んじて受け入れる……、オレはあんたを倒さない。だからあんたも、寿命が続く限り、長生きしてくれ」


「……完全な平和は望まないのですね」


「ああ。不完全な平和でいい。それが長く続くなら。

 ……あんたの寿命が尽きて、次世代の魔王が生まれた頃には、勇者もまた別の人間に変わっている……、その時に、勇者の役目を背負う誰かがどうするか決めればいいんだ。

 今のオレの知ったことじゃない」


 問題は後回しだ。


 そして、後回しにしたその問題の解決は、もう今世代の人間にはできない。


 だから次世代へ丸投げである。


「……悪い勇者さまですね」


「良い勇者だと名乗った覚えはないぜ?」


 そして、勇者と魔王の、停戦協定が秘密裏に結ばれた。


 勇者が魔王を生かすことで、魔王も人間に手出しをしない、と約束をした(……魔王の支配下である魔族には周知済みだ……ただ、魔王に反抗する魔族については、抑止力はない)。


 契約書があるわけではなく、暗黙の了解のようなものだったが。

 勇者の彼が今世代の『勇者』でいる以上、魔王の安全は保証されている……、絶対に保証する、と勇者は約束したのだ。


 だがそれも、五十年が限界だった……。


 勇者も引き継がれる。


 次世代の勇者は、魔王を討つため、魔王城へ乗り込んでいき――、



 そして帰ってきた。



 五十年が経ち――、年老いた、かつて魔王と停戦協定を結んだ『勇者だった男』は、帰還した今世代の勇者へ、不敵な笑みを見せて問いかけた。


「で、どうすることにしたんだ?」


「あの子を殺すなんてことできますか!?

 僕には無理ですッ、というか全員、無理だと思いますよ!?」


 なら安心だ。


 恐らく魔王の彼女は、その命を使い果たすまで、平穏に暮らせるだろう。




「それで、どうだった? 彼女はまだ子供の姿なのか?」


「見た目は十歳程度の、女の子でしたけど……? 昔からあんな感じなんですか?

 あの子が言うには、髪が伸びました、と嬉しそうにしていましたが……」


 少しは大人っぽくなったのかもしれない。


 久しぶりに顔を見せようか、とかつての勇者が重い腰を上げた。


「こっちは腰が曲がったジジイだけどな……」


 過去の勇姿の見る影もないが――、その変貌に引く彼女ではないだろう。


「――おかえりなさい、勇者さま」、なんて、声をかけてくれそうだ。





 ―― 完 ――

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