第159話 その名

 バルツが各隊の番号を読み上げ彼らを壇上へと登らせ跪かせ、それから一段上に立つ龍身が左手をその頭上で振り、祝福と表彰状を与える。


 古来から続く形式であるが兵隊はみな緊張と感激によって陶酔状態となり、会場は音こそないけれど男達の心臓の熱く大きな鼓動が聞こえるようでありヘイムはそれを龍の左耳で聞いていた。


 龍にとって世界とはこういうところなのである、と。感じながら儀式は粛々と進んでいくなかでヘイムは隊の番号を数えていた。


 最後の隊までもう少し。第二隊は先の戦いにおいて功績が末尾というわけではなく上位の部類であったが、諸事情のために一番後ろに回されたのであるも、それはそれで光栄なことでもありヘイムも覚えやすかった。


 隊を表彰し、それから個人功績としてあのものを……やがてバルツが末尾の隊である第二隊への呼び声を掛けた時にそれが来た。


 会場の端から鈍い金属音が聞こえそれからそれを引きずるような音と底知れぬところから湧いてくる重低音が不快感と共に足元から昇ってくる。


 何かが来ると龍の耳は感じ目をやると龍身の眼は見えずともすぐにそれを捕えた。


 龍を討つものが目を合わせにきている。あの日一度だけ合わせに来たことのあるあの眼。そうだ、脅威がやってきた。


 静寂なる世界における不協和音が近づいてきている。それを知るのは自分とそれから、奴だけ。


 完全なる龍の世界であったのに今では二人の世界へと変わり龍身はジーナだけを見続け、第二隊のものたちが壇上に上がったことすら気づかずにいた。


 それを気取られないよう隊員に表彰と祝福を与え、そして最後の個人受賞へと移る途中で一際あの音が更に低くより高く混沌とした騒音をあげだした。


 その跪いているものが立ち上がり前に進むが、途中で立ち止まり下げていた目線をあげ、前を見る、龍身は見えずとも見る。


 もう音は足元から昇っては来ない。いまはもう体内に浸み込んだのか低い鼓動は鈍い痛みと共に身体中を駆け巡っている。


 ……本来はこれなのだろう、と龍身は理解した。ときたま見せる時もあるがここまでの段階になったのは初めて見ると。


 それは互いに遠くに離れたからか、または自身の龍化が進んだからか、またはその両方か。


 微かにバルツの声が聞こえてきた。聞こえるということは大声なのだろうか? 跪け、と。


 だがジーナは跪かずに前に一歩進むと今度は後方から声が聞こえる。シオンの呼ぶ声が聞こえる。


「龍身様? いかがなされましたか。表彰状が落ちておりますよ」


 その名を呼ぶ声で奥への扉がひとつ開きなかに入っていく感覚の中に龍身はいた。そうかお前はいまここまで入れてくれるのか……表彰状? そんなものは、どうでもよい。


 こいつにそのようなものは必要はない、と龍身もまた一歩前に出て二歩前に出る、あと半歩で間合いに入る。


 ジーナはまるで動かない、いや動けないのだと龍身には分かった。まだこの状態であるのならそれ以上は動けない、それがお前とお前らのルールなのだろう、と。


 そのまま突っ立っていろと龍身は左手の爪を立てるもジーナは見つめたまま何も動かない。


 光を感じないということはあれを放てずにおり、そうでない今のそれは濁った緑色の二つの瞳。


 黙ったまま立ち尽くし二人だけの無音の世界は未だ成立したまま龍身は己のすぐに跳ぶことができぬこの身を呪うも、この状況の好ましさに有り難さを感じた。


 二度とはない、と。いまのこの状況は、以後これだけだろう。だが今のこの身では……


 いや身体に抵抗があるのならこの杖を支点として跳べば……と龍身は閃いた。


 木偶の坊の如くに突っ立っているその身に身体をぶつけ首元にでも爪を食いこませれば……不可抗力的に。


 可能性を考えると同時に決断を降した龍身はすぐに杖を右手に持ち替え、大きく一歩右足を踏み込み、支点となる杖を床にたたき突けようとするその直前に右手がヘイムが杖を投げた。


 支点を急に失った龍身は段の上から前へと身体を前のめりに崩し宙に投げ出され床へと落ちていく流れ、にはならなかった。


 龍身は自分が落ちずに浮いていることがすぐには理解できなかった。いまは強かに床に叩きつけられているはずであるのに、そうではないと。


 時間が停止しているのではないかとも考えた、もしくはスローモーションがかかりいまは落下していく最中ではないのかとも。


 しかしどちらでもなかった。完全に宙で止まっているのだ、それも超自然的な現象でも意識下における錯覚でもないものであり、それは龍身としてはもっとも考えられない上に考えたくもないことを認識せざるをえないことであった。


 不愉快な手と腕の感覚が首と腰のところにあり、鼻には異臭と果実のにおいが混じり著しく不快であり、あらゆる意味で耐えがたいものであるなかでまた再び龍身が左手を動かそうとすると、その身を抱き留めていた男が叫び呼ぶ。


「ヘイム!」


 だから扉が閉まった。

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