第145話 こいつ、間違えやがった!

 女の臭いを鼻で追って行っても辿り着いたのだろうなとシオンは階段を昇りながら思った。


 ハイネの臭いというか香水の匂いが階段に濃厚に残っておりそのことがシオンの心を痛ませる。


 あれは悪い男だ、とシオンは今日何度目かの呪詛を口の中で転がしながら昇っていく。


 バルツ将軍を一番苦しめる方法をとったり私の可愛い後輩を誘惑したりとろくでなしだと。


 よく今までその本性を自分の前では隠し通せたものと唸り、あの男を野に放してはならないとも考え出した。


 一緒に働いていた時はそんな男には見えなかった。多少の我儘や問題はあったもののここまで本格的な大事には発展しなかった。


 だがあの男の中の男たるバルツ将軍の下での反抗ぶりを思うとシオンは疑問にもなる。

 よく私の下では大きな事がなかったな、と。


 それはもしかして私の下にいたから? それとヘイムが傍にいたから? 案外女上司のほうが言うことを聞く?

 ジーナには意味不明な謎な部分だらけなところがあるものの、この点は中々に明確だなとシオンは一人合点しだした。


 このまま反抗し続けるのなら手元にまた戻す。そうすればヘイムだってよろこ……思考は終いまで行かずにシオンは足が止め思考を停める。


 何だいまの思考の展開は、と再び足を大きく動かした。まったくあの厄介者めがと内心で罵りながら階段をシオンは駆けていく。あの男のせいで面倒なことが多すぎると。


 つべこべ言わずに出席しなさいと頭ごなしに言って頷けば簡単だがそうはいくまい。


 ハイネの件もあるしなんなんのだろうあれは? いいですか? あなたのやるべきことはバルツ将軍を困らせたり、女の心を弄んだりすることではなくただひとえに、ヘイムのために戦うため……そうだこれだとシオンの心のつっかえ棒は取れ脚も心も軽くなった。実にシンプルで直進。


 この一点で行こうと思っているといつしか階段を昇り切り廊下を通過し、聞いた番号の扉を開いた。


 ここまで全て無音かつ無気配及びに無意識に。こう動くのは戦闘状態だと判断したからであり、シオンが部屋の中に入るとジーナはシオンに気付かずに一心不乱に筆を走らせている。


 その姿は将軍を悩ませ後輩を誑かしている男にはとても見えなかった。


 そういえばシオンはバザーの時や龍の館の敷地外におけるジーナというものを見たことが無いと思い出した。仕事以外の素顔を知らない。


 この男は戦場では素晴らしい戦士だがこの塔では反抗児の色魔だが龍の館では不快感のない優秀な助手と色々な顔があり、それは人間一般的なものであるがシオンにはそれが極端でありまるで人格が分裂しきっているように思えた。本当のあなたはどれであるのか?


 考えながらも息を止め足音を殺しながら背後に立つもジーナはまだ気づかないことにシオンは喜びが込み上がってきた。あのジーナの、一騎当千の強者の、戦場の英雄の背後をとれた。


 やはり私は強いなと優越感に満たされながらしばらくその頭のつむじを眺めもしていた。つむじ曲りだからかつむじが余計に曲がっているようにも見える……そんなどうでもいいことを思いながらもシオンはこのまま神の視点を楽しむことをやめ、これからはなにをするか考え出した。


 声を掛けるは簡単すぎるな。どうせなら自分の力とこの男の力を試してみたい。肩に手を置くというのどうだろう? こうしたら反射的にジーナは攻撃に移りこちらも対応する。確実に本気の力で来るのだから危険だが、こんなことは滅多にできることではない、善き経験となる。将来の何らかの役にも立とう。


 龍の騎士であり武人でもあるシオンは自らの命や怪我を軽々しく扱いながら、ジーナのその右肩に手を乗せると信じられないほどの速さで手を握られ、しまったと半ば観念しているシオンにジーナは尋ねた。


「ハイネ?」

「……おい」


 自然とシオンの口からは男みたいな声が出て振り返ったジーナと目が合う。


 シオンは驚き目を見開くジーナを見、ジーナは誰だかわからないぐらい歪みきったしかめっ面の女を見た。


 恐怖にジーナは女みたいな悲鳴をあげ腰を抜かしシオンはそのまま歪みを変えずにジーナを見下ろす。


 こいつら、いつも触れ合っているなと今の反応からシオンは聞かずとも確信した。

 しかも、間違えやがった! どす黒い怒りでシオンの頭は熱くなった。

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