第144話 奴の首をかっさらいお盆の上に置く

 答えるとシオンはハイネの頭を抱きかかえて愛おしげにその頭と髪を撫ではじめた。


「可哀想にハイネ……頭を打ってしまったせいであんな男に誑かされてしまうだなんて。でも大丈夫ですからね、私がこれから成敗しに行きますから」


 大袈裟な芝居がかった台詞にハイネはくすりと笑い顔を更に近づけさせ唇を首筋に触れさせて喋る。


「姉様どうかそうしてくださいまし。私あの男の傍にいるとなんだか頭がおかしくなってしまって」


「なるほどあの男は顔に似合わずに妖術を使うということか。なに大丈夫、私が一呼吸もおかずに奴の首をかっさらいお盆の上に置くとするよ」


「姉様……私は別に首が欲しいわけではありませんよ」


「いいや。死と共に君に覆うあやかしは晴れる、恋と言う幻というものがな」


 シオンはそこまで言うと笑い出しハイネも腕の中で釣られて笑い出した。その笑い声に不自然さを感じなかったのでシオンはハイネの背中を撫でながら囁いた。


「そうです少し冷静になりましょう。あなたは昔から人に好かれるタイプだから良い男の子に囲まれているけれど、たまに近寄って来る悪い男に騙されてしまうこともありましたね。それに一度そうと思い込んだらのっぴきならないところまで思い詰める傾向があります。今回の件は一緒にいて親切にしているからあなたはそう勘違いして、奴もその優しさにつけ込んできてこうなってしまったはずです。そうあなたは被害者なのです。ジーナという悪党の犠牲者。ですから少し距離を置き彼の名を口に出すのを封印しなさい。そうすれば頭も正常に戻りもとに戻ります。ひどい?  いいえ違います。彼は私の部下でもありますがあなたの方がずっと大事ですから」


 芝居口調はやめて真剣に説得したはずなのに腕の中のハイネはまたくすくすと笑い出していた。


「とてつもない女垂らしみたいに語りますね。なんだか逆に姉様はジーナを買い被っているように見えますよ」


「それはそうですよ。あの男ですからね、あれはやりますよ」


 なにをやったのだ? またシオンは自分の言葉に疑問を抱き改めてジーナのことを思い出す。


 そこまでの価値のある男ではないのだが。まずあんな顔だし。岩みたいな男で西のゴリゴリの保守主義者であるものの、真面目に仕事はするしその場にいてもあまり邪魔にならない存在感が貴重で……違う、今はそこを評価している場合ではない。


 考えているとハイネがまた緊張した面持ちでこちらを眺めている。その顔はやめなさい。


「たしかにあなたの言うように私は買い被っているでしょうが、あれは男です、油断は禁物です。やはり少し懲らしめに行きましょう」


「そこは私も反対しませんけど、姉様……私はそんなに不幸だとは思っていませんよ」


「騙されている女はみんなそう言うのですよ。悲劇に身も心も委ね自己陶酔に浸りながらにです」


 シオンはハイネを優しく引き剥がしてからその前髪の乱れを直した。


「ひとまずこの話はこれまでにしておきましょう。距離感についてはあとでゆっくりと話し合いまして」


「いいえ、この後に話す必要はありません。どのみち私達は徐々に距離が置かれます。彼は前線に行き私は後方です。いまだけですよ今だけ、だからどうかお許しください」


 シオンは溜息をついた、重症だと。今はこれ以上言っても無駄なためにシオンは頭を切り替えた、どうであれこれからあのジーナはやっつける対象であるのだから。奴を討たねばならない。


「彼の部屋は何階ですか?」


「あの私がご案内を」


「結構です。あなたは本業に戻りなさい」


 ハイネは不満げな表情になるもシオンは容赦なくもう一度伝える。


「あなたのことですから持てる時間を割いてここの階段を昇ったのでしょうけれど、今日この時から必要最低限の時間しか割いてはなりません」


「あの姉様それは」


「姉様と言うのなら私に従いなさい。彼が表彰式に出ないというのも、あなたがそれを甘やかして容認しているのもあるのでしょう。それはいけませんよ」


 ここまで言うもハイネの表情からは抵抗の色がまだ濃かった。よほどの入れ込みようだとシオンは苛立ち、余計なことを言ってしまう。


「表彰式には出させます。それをヘイム様はお望みでしょうし」


 言った途端にハイネの光る瞳の輝きにシオンは怯んだ。それは今まで見たことのない他人の目の光りであった。


 まるで戦場で敵を探し見つけた時のもののようでありシオンは思う。


 ハイネはいま、誰に対してそれを向けたのか? 私に? それはなにか違った、それは端的に視線が合わなかったからである。


 今のは私の見間違えかそれとも、と目をこするとハイネは正面を向きぎこちなく首を縦に振った。


 その際の瞳の色はいつもの色であった。だからシオンは自分に言い聞かせる、あれは見間違えだと。自分にはそういう目の錯覚や幻聴が多い体質なんだと。


「つい彼の主張を容れてしまい申し訳ありません」


「目を覚まし反省するのなら良いのです。なら私が彼を説得しても構いませんよね」


「私になど何の拒否権もございません。どうぞシオン様は彼の説得におあたりください……ただ」


 声に重音が絡み足の裏から響き肉から骨にまで伝わって来る感じがした。この子はたまにこうなってこうなるのよねとシオンは慣れたもので引かずに足底に力を込めて次の言葉を待った。


 瞬きを一つそこから瞼を閉じながらハイネは言った。


「私は彼とヘイム様がお会いすることに賛成いたしません」


 何故とも理由ともシオンは尋ねなかった。ハイネの瞼は閉じ何も見ていない、視線と言葉を拒絶している。


 そうである以上聞くこともないと同時にシオンは自身の心にこの場合であってもその言葉に対する反発は生まれなかった。


 心の片隅から囁き声が聞こえる、それに賛成せよ、と。お前がその階段を昇らなければ、何も起こらないのだ。


 ルーゲンとハイネの判断に……あの男は捨て置け……そうすれば問題は何も起こらない……龍もそれを望んでいる……お前だって気づいているはずだ、分かっているはずだ、お前の行動はただ……あの小娘のためだけの……


「いいえ、私は賛成いたしません。それでハイネ教えなさい。彼は何階の部屋にいるのですか?」


 ハイネの瞼を上げずに口を開け数字を述べる。それは開いてはいけない扉についた封印のごとき番号であった。

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