第140話 私はジーナのことが
ハイネの言葉にジーナは頷く。なるほどすると明日の朝には私は立派な罪人となって、この空高き塔から地低き牢獄へ転送されてしまうのかとジーナは想像した。もとよりそういう作戦であったのだろう、と。
「どんな話かと一言でいうと……ハイネを優しくした方が良いと言われてね」
「それはそうでしょうね。あなたは私に対して辛辣なところもありますし、もっと親切にしても罰は当たりませんよ」
全くだとこれで解決だと安心しながら首を縦に振ると手にハイネの掌の熱が上がったことを感じた。それはもっと中に入って来るという意思表示なように感じられて
「けれどもどうして彼らはそんなことを言ったのです? 私への同情ではありませんよね。彼らなりの予測や計算が働いてジーナにそんなことを吹き込んだ……違いますか? 次はこれです。どうぞ嘘や誤魔化しはやめて話してください。それと隠し事は駄目ですよ、ほら熱いですよね私の掌、分かります?」
言われんでも分かるわ、と言いたくなるぐらいの熱でありジーナは汗を流しだしていた。冷や汗ではあるが。一方でハイネの額は汗が滲み出ていない。ただ掌の湿り気が汗だとしたらかなりの汗をかいているとジーナには分かった。
「熱と湿気を凄い感じるが、ハイネって掌に汗をかくタイプ?」
「そうみたいですね。けどねぇジーナ」
ハイネは周りに誰もいないというのにこんな二人しかいない空間であるのに身体を乗り出しジーナの耳元に口を持っていき、囁く。
「そのことは誰にも言わないでくださいよ。あなたが知っているのは良いですけど」
反射的にジーナは掌強く握り返したがハイネは小さな悲鳴をあげ顔を元の位置に戻した。
「このように私達は今、一つになっているといっていいのです。こうして熱を共有し合っている。つまりはあなたと私はすごく近いところにいるということで、違和感は分かりますよ。あなたの言葉がそれが嘘だということも隠し事があるということも。私には全て分かっているとの想定のもとで、どうぞ次の言葉をください」
また掌の熱が上がりそれは火を思わせた。点火し燃え広がっていく。掌を通して血管から心臓へ。ゆっくりと火が広がり回り熱を帯び、一つになっていく。
「彼女は権力者だから優しくしなよ的な勧めですね」
「それはそうでしょうね。まだ隠していることがありますね。はい、どうぞ」
もはや隠すことができずにジーナは口を開こうとすると、あることを思った。それは自分はどうしてこのことをここまで隠そうとしているのかを。あり得ないことであるのだから話してもいいはずだ。
「あなたの婿になれば出世できると暗に勧められましたね」
「へーそうなんですか」
否定はせずにハイネは興味なさげに受け入れたように生返事をし、沈黙が来た。どうして黙る? 何故違うと言わない。掌の熱は引かずにそれどころか熱も冷たさも感じずに、そのまま同じ体温になるような感覚の中でジーナはその瞳を見る。
いつものような夕陽の輝きを、だがそれは陽が沈み消えゆく光というよりかは昇る光の生まれるような強さをむしろ感じさせた。
「つまりは、そのな、ハイネは私を近衛兵長になってもらうべく努力しているのだから、優しく親切にしていれば婿にして貰えるからそうしろと、まぁ冗談話だと思うがな」
そんなの冗談じゃありませんよ、といった拒絶の言葉を期待しながらジーナは言うも、同調する音はどこからも生まれなかった。
ハイネは微笑みの表情を寸分とも崩さずに笑みを湛えながらジーナの話に耳を傾け顔を見ていた。なんでいつものように馬鹿にしない? 能面にならず不機嫌にならない?
また二人の間で時間だけが流れた。言葉も音も意識さえ間には流れず、そのまま時の流れくままに何もかもを心を委ねている。次の言葉は、自分が言わないといけないのかとジーナはこの流れを変えるべく考え出すと、ハイネが先に口を開いた。
「あなたはなんと返しました?」
「それは、その、だ」
嫌だと、悪いだとの言葉が喉まで昇って来るがジーナはこれを言ったら最後だと直感する。
なにが最後であるのか? 瞬きを意識的に行い今一度ハイネを見る。まず嫌だなんて、言えない気持ちが来てから、悪いという言葉は……ハイネはこう答えるはずだと。
何も悪くありませんよ、と。その声が聞こえる、掌の熱を通して心に届いている。
そうなったとしたら私の答えは……ひとつだけに。
「あのジーナ?」
呼びかけられ思わず手を引くとハイネも引き寄せてさらに接近する形となった。
「すごく手が熱いですけど。なにを、考えていましたか?」
ハイネのその眼。こちらの心を見通しているような妖光を発し散りばめ、それは夕暮れ空の先に夜に煌めく星々のようでジーナの目は惹き込まれ心が離れられない。
ジーナは夜と光を見ながら自問する。分かっていて敢えて聞いていないか、と。ならその行為の意味は何だ、と。
だが答えは躊躇いもなくすぐに返って来る。それを言うのなら、あなたのそのだんまりにはいかなる意味があるのかと。もう私達は言わなければそれで済む、といった次元の関係ではありません。言葉よりも先に色々なことを通して心を交えています。今のこの行為だって皮膚の接触による心の交わりと何ら異なるところはありません。私だから、理解のある私が相手ですから、問題になっていないに過ぎません。だからこの際に言います。あなたの口先のみの抵抗は無意味であり、これを抵抗だとして受け入れてあげているのが私です。ですからしたければ、どうぞ。もっと私に抵抗をして、苦しい表情を私を見せてください。そうしたら、許してあげますから……
星々の光りによる語りにジーナは心中で聞くも首を振る。無意味な抵抗? それは違う、と。ここだけを守れれば、ここさえ防げれば私は……
「言いたく、無い」
感情を込めずに簡単に言うとハイネは小刻みに頷いた。
「ふーん……分かりました。それはそれでいいのですけど、いまのはブリアンさんとノイスさんの言葉ですよね? あの二人ならいかにも言いそう」
あっさりと引き下がったのを不気味に思いながらジーナはそうだと答える。そうでしかないのだから。
「ならルーゲン様は私についてなにを言いました?」
不意にルーゲンの声を思い出すとジーナの心が衝撃で跳ねた。
「あっジーナ、今、凄い反応した。私の中に伝わってきましたよ。こんなに感じてしまって……」
今度はハイネの方が手を強く握り返しながら言った。
「教えてください」
「ルーゲン師は、ハイネのことを」
魂を引っ張られている感覚の中でジーナは答えだした。
「私のことが、なんです」
「ルーゲン師が、ですよ」
「はい、わかっていますってば」
ジーナは見上げて見つめるハイネの顔から目を離せずに、いた。
その表情の美しさに死を、消滅する寸前の輝きを見ているような気がして。
「ルーゲン師がハイネさんのことが好きだと」
「はい、私もルーゲン様は好きですよ」
爆発する何かが内部の衝撃でジーナは手に渾身の力を込めて握り返した。
痛いはずであるのにハイネの恍惚の表情を浮かべており、ジーナは自分はいま炎をつかんでいると錯覚する。掌が燃え立っている。
「ジーナはルーゲン師のことが好きですよね?」
「あっああ、ルーゲン師のことは好きだが……」
その掌から炎を移って来るのを感じつつジーナが答えるとハイネは笑みに影が射しほの暗い闇で以って一歩、いや半歩足を近づける。黒いものが入り込もうとしてくる。
「私は?」
意図的な聞こえないぐらいのか細い声であるのにジーナには鐘の如く音で以って頭の中が打たれ身体がまた反応をする。これも伝わったのだろうかハイネの笑みが一段階歪み深まり今まで見せたことのなっていくなかで足がまた、動いた。どこまで近づいてくる?
それはもう半歩、間合いが無くなる距離、触れているのかいないのか分からなくなるその位置にハイネは移り、顔を大きくあげジーナを見つめる。
「私は」
唇だけ動かしているのに、声があとから聞こえた。さっきの問いではない言葉が、その先にくる言葉が何かをジーナには分かっていた。
だから言った。
「やめろ」
ハイネの笑みはより暗くより死に近い輝きに満たされるなかでジーナの抵抗を撥ね退け告げにいく。
「私はあなたのことが」
息を止め、男はハイネの唇を自分の唇で塞いだ。
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