第128話 『帰ってこいよ兄弟』
暗がりのなか、いつまでも晴れることない霧の中を馬車は砂漠の果てを目指してひたすらに進んでいった。
「これはもしかしてもしかしてだぞ」
アリバはまるで自分が行商に行くかのように興奮をし出していた。砂漠には様々な伝説があり、その一つにはここが砂漠になる以前は霧が発生する地帯であったという伝説である。
こんな伝説は誰一人として真剣に聞こうとも信じようともしなかったが、砂漠に最も近い村落の古老は以前にアリバ達に語った。
「オレの爺様の爺様はここいらに沼があったと言っていた。証拠に古い沼釣りの用の釣竿もある」
突然砂漠地帯となった西と東の境界線。死の砂漠地帯。荷は十分にある、来年の適期であるのなら確実に超えられるだろう。アリバと自分なら。
だがこの季節は、との懸念など霧の中でそのまま胡散霧消していっていた。馬車の速度は緩まずどこまでも進んでいく、どこまでも?
「アリバさん。もうここってもしかして」
「そのもしかしてだ!砂漠の入り口に入ったぞ」
慌てて男が馬車から顔を出すとそこは紛れもなく砂漠地帯であった。しかし霧のために辺りが暗く、こんなに視界の悪い砂漠は初めてだと思えた。
いつもの抹殺するかのような光はどこかに隠れたまま、砂がどうしてか湿り固まり馬車の車輪を快速に回転させていく。
「ちっくしょうめ! ワシがお前に代わって東に行きたいぐらいだ」
腹の底から悔しそうにしているアリバを見て男は笑った。きっとこの人の頭の中はこの馬車に商品を積んでいたらいくら儲けたのか? と皮算用がはじまっているに違いない。
「それにしてもなんだこのタイミングは? 昨日まではいつも通りだったのに昨晩から突然霧がくるなんてな。ひょっとしてお前のためか? なぁお前の旅立ちのためだろうな!」
アリバは男の左頬を見ながら叫んだ。
印の力が? そんなとてつもない力があるというのか? だが男には印からは何も感じることは無かった。
そうなるとこれは東のなにかがこちらの動きを察知し呼応しているのでは? 誰かが呼んでいるとでも? 馬車は入り口付近を悠々と踏破しその先へ、あの岩の付近へと。
「アリバさん、ここで止めてください」
「あっそうか、そうだったな」
何をしに来たのか半分以上忘れていたアリバが慌てて馬車を止めると後続から来る馬車を待つことにした。
「速度を出し過ぎたなガハハッ。いやチャンスだと思ってついな」
どんなチャンスなんだよと思いながら男は目的のものを見た。霧で濡れ黒くなったジュシ岩とその下にあるしゃれこうべを。
男はナイフを手にし岩へと近づき小さな線を一筋刻む。
「岩よジュシ岩よ。お前にこの名を預ける。俺が返ってくるまでにだ」
「ガハハッ儀式か?それだったらそこのしゃれこうべに預けた方がいいんじゃないのか?」
しゃれこうべは濡れても白さを維持しまるで死して永遠さを現しているように見えた。
「縁起が悪いというのか? でもそいつはここまで独力で来たんだぞ。お前は帰ってくるときにせめてここまではどうしても来い。定期的に見回りに来てやる」
男が驚いてアリバを見返すとその手にしゃれこうべが握られていた。
「骸骨が二体となったら、ああお前が来たんだなと分かるからそれでいいだろう。干物状態でもいいぞ。水をかけてやる。まっ綺麗な死体のままならなおいいがな。そうしろ」
「ハハッ生きて帰って来るということは考えないのですか?」
「帰って来るから、こう言ってんだぞ。そうだろ」
男はアリバを見上げた。身長は自分よりも低いというのにアリバがとてつもなく大きく見えそれが腕を広げた。
「帰ってこいよ兄弟」
その腕の中に吸い込まれながら男は言った。
「名を名付けてくれてありがとうございました」
「そこを礼するのか。それで今はわしはお前を何と呼べばいいんだ?」
「俺はあなたの前ではいつだってその名のものです」
後続の馬車がやってくる。早く、急かすように車輪の音を立てていると男には聞こえた。
「そうか分かった。では行って来いジュシ。使命を果たしたあとの人生があるということを忘れるなよ」
男は一人砂馬を操り馬車で以って東を目指す。砂馬はこれ以上に無く快適に砂漠を走り続けた。霧は晴れることなく砂を黒く湿らせ男を東へと導いていく。夜が明け朝が訪れても、霧はそのままであり昼夜を問わず男は馬車を走らせる。導かれるように東へまた東へ。
予定よりもずっと早く砂漠を踏破し東の世界へと男は足を踏んだ。半年ぶり四度目の踏破。知らない東の季節の色がそこにはあった。
アリバ越えだと無駄なことを考えながら最寄りの町まで数日を掛けて進むが、遠くから騒然とした雰囲気が伝わってくる。
街に近づくにつれて何台もの馬車がすれ違っていく。荷をたくさん積め引っ越しというよりもその必死の形相は夜逃げに見える。
「失礼。なにがあったのですか?」
まだ口に馴染めぬ硬い東の言葉を使い尋ねても、人々は同じ顔をし通り過ぎていく。男は何人にも聞いて無視されていくなかようやく一人が怒鳴り返してきた。
「知らないのか戦争だよ戦争。中央軍と草原の連中がやり合ってこっちに近づいて来てるんだぞ、逃げろ!」
シアフィルと聞き男はアリバの客の名前を思い出した。シアフィル連合の長であるバルツ。
去年は相当量の武器を買ったが遂になにか事を起こしたのかこのことをアルバに知らせたいと思いつつ、ごった返す街の寂しげな酒場に入り、諦めて街に残るものたちに対して情報収集を始めた。西から龍が来なかったか、と。
「入ってきて早々酔ってんのか? まぁこのご時世は酔ってなきゃむしろおかしいぐらいだからな。何を言っている? お前こそ何を言ってるんだ? 内乱だろ内乱。しかも互いに龍の護軍を自称して戦ってんだから、もう末世ここに極まれりだ。龍はひとつだと決まっているというのによ!」
バルツによる政治運動どころの話ではなくなっていた。正真正銘の内乱がはじまっている。
噂を整理するとこうなる。中央の皇子による上からのクーデタが発生し、その一族粛清によってある意味で真王朝とも言える中央が成立。
それに抵抗するのが主に粛清から逃れられた皇女がシアフィル連合が手を組み成立し中央の軍と戦い続ける龍の護軍と各地抵抗勢力。
この二大勢力による内乱が最近勃発したとのことを聞き、男の頭にひとつの天啓に導かれた。
「これだ……あの毒龍はこの地域の国を奪おうとしている」
こちらの出来事とその時機にそれほどのズレが生じていないところから男はこの結論の上に推論を重ねることにした。
「あの龍が砂漠を突破したのならば、そのままどちらかの陣営の龍となった」
毒龍がこの地に。怪我を負った状態であの過酷な砂漠の旅を経てこの世界に到着した。
「更に仮定する。東の地に辿り着けた毒龍が乱を起こし、その対抗として元々いる龍の一族が龍を称したことが内乱の原因だとする。そうだな、この可能性が最も高いとしよう。だとしたらどちらに龍が行ったのかと言えば……」
そこまで想像力が必要でないことに対して男は結論付ける前に、どうしてか躊躇った。逆の場合はどうだ? とどこかから声が聞こえてきた。
逆? と男は少し考えてみたものの一笑に付した。それは妙な話になるなということで男はさっきの躊躇など忘れて結論に到達した。
「毒龍の奴は中央の龍の一族を乗っ取り上からのクーデタを決行し元からいた龍の一族を粛清し、この東の地で龍となり支配者になろうとしたが、幸い生き残った一人が戦いを挑みだし内乱へ、か。よし」
とりあえず仮定による全貌を把握したと確信した男は立ち上がり馬車に乗った。どこへ向かうことはもう決まっていた。
もしも、と男は馬車に揺れながらまた思考しだした。もしもこの推論が誤りであったとしたら……つまり毒龍でない方を討ったとしたら?
男はその考えを鼻で笑う。考えるもバカらしいと簡単に解決する。両方討てばいいだけの話だと。
自分とはそういう存在なのであるのだから。止りなく迷いなく自分にはできる。この身体にはあの弱い魂はもう宿ってはいないのだから。
私にはできる……いや、やらなければならないのだ。男は戦闘地へと入っていった。
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