第107話 どのくらい脱いでくれるのですか?

 ハイネは笑った。やはりこの男はおかしい、と。だがそれでいい。


「もう没落貴族で酷いですがみんなそうですよ。だって、あなた、あの龍の騎士であり将来宰相となるマイラ卿の婚約者でもあり、宰相夫人となることが確定的なシオン様に対して、実力ゆえに呼び捨てに出来る立場があることは世も末だと思いません? いくら時代が時代だからといってこのようなことは、あなただから許されるのですかね」


 気持ちよさげに皮肉やら冗談を飛ばすハイネの顔を見てジーナは気づき思った、ハイネはどうしてヘイムの名前をどこか省略するのだろうか、と。


 そう思うもハイネがなにか気持ち良さげに話している最中にその名を出すのはどこか憚られた。


 ジーナもまたいまのこの空間の雰囲気に心地良さを感じていた。それが何を意味するのかは、知らないまでも。


「そうなんだ。このハイネにもそういう悩みがあるとは想像もできなかったな」


「ガッカリしました?」


「そんなことは思わない。ただハイネもそう言った苦労を背負っているのだなと」


 声の響きに慈しみが手の力加減に労りが伝わってくるとハイネはもうそれだけで十分な気持ちなるも、もっと欲しがった。もっともっと欲しい。


「これぐらいなんてまだまだですよ。けど私の場合は大丈夫ですよ。このまま私達の方が中央に返り咲きますので、新旧貴族の一新がありますもの。私の今の地位でしたら実家の領地ぐらいはすぐに取り戻せますが、そこは向うの出方次第ですね。何はともあれ勝って戻れば今までの嫌なことは全部清算できますから私は頑張れるってわけですよ」


「なるほど前向きだ。実家に戻るのもでき新しいなにかにもなれると」


「そういうことで、まぁ結局は二つのうちのどちらかになるわけですが」


 欲と心地良さに流されるままのハイネの心はもっと広いところへと流れつき深いところへと落ちて行く。


「二つというのは私の場合は誰かのお嫁さんになるか誰かをお婿さんにするのかを選択出来るというわけです。このまま帰れれば実家と親戚からうるさく言われる立場ではなくなりますし」


 自身の心が水の中に潜っている感覚の中で来いとハイネは願う、来てと、来なさい、と。


 掌から合図のように強張りが伝わってくるとハイネは口を開いた。


「やっぱりいまいる友達の中の誰かのお嫁さんにでもなりましょうかね。沢山の方から誘われていますし」


 一瞬手に強い力が加わるのをハイネは不意打ちでなく望んだ痛みだと感じ快楽の中に落ち、握り返すという返事をするか迷うことにもまた、愉悦を味わっていた。


 このまま奪い去られてどこか遠くへ行くのも、とあらぬ妄想の果てを夢見ていると、予期せぬ声が耳を叩いてきた。


「なるほど。あの友達の方々は将来の二種類の候補者でもあるのか」


 夢から覚めるようにハイネは瞼を数度瞬いた。その声の響きはなんなのか? あの手の反応とまるで違う、声。いつもの声でありそこには無理矢理感がなく、作り声ではないそのままの声でその言葉。


 ありえないそんなことができるはずがない。


 超人的な意思力? 違う、これはそういうことではなく別の何かがこの人の中にある、とハイネは今更ながら深いところまで来たことに慌てて水面から顔を出すために、意識的に手を握り返しながらジーナ方を向き伝えた。


「そうでない方もいますけどね。どのみち私は自分が選んだ人としか、結婚しませんから。そういった意味では私は自由ですよ」


「自由すぎる感じもあるかもな」


 そのジーナの声にハイネは寂しさを感じまたその瞳には羨望の光りが微かに宿ったのを見たような気がしたが、すぐに消えた。


「では次はジーナの番ですよ。こっちは相当話し過ぎて上着一枚どころか二枚三枚脱いだかもしれませんね。今日は厚着で良かった」


「あのハイネ、ちょっとその表現は人聞きが」


「だからここには私達しかいませんって。私がここまで脱いだのですからジーナは男らしくどのくらい脱いでくれるのですか?」


 自分だけに話させるはずがないとハイネの高揚感が手に力が入りその身を近づけさせた。


 この人はどこから話すのだろうか? 自分に対していったいどんなことを伝えてくれるのだろう?


 想像を膨らませるハイネはもう余計なことを口にせず話すのを待つことにすると、掌に緊張感が伝わり力が入った。


「……いま頭に浮かんで話せるものとしたらツィロという幼馴染のことだけど、それでいいのなら」


「それでいいですよ。誰にも話したことがないものなら」


 ハイネはそう言いなおも固いジーナの心をほぐそうとした。


「私にだけ、お話しください」


 ジーナは顔を上げ窓の外を見つめる。その方向は西なのか? ハイネも同じ方向を見るも、灰色の空ばかりが続いていた。


「私の故郷は以前話したかもしれないが、西の砂漠を越えた先にある山にある。何の変哲もない村で私は生まれ育ち、物心がつく前から一人の同い年の友がいた。それがツィロでね、村長の息子なんだ。うちは父親が村のちょっとした有力者であったためになにかと交流があって自然に私達と彼はいつも一緒の仲になってね」


 記憶を語るジーナの声と言葉にハイネは即座に引っ掛かりを覚え心の中でメモをした。何の変哲もない、その前置詞は必要あるのか? それから私と彼ではなく、私達と彼とは? 本当に二人だけ?


 素早く心に刻むとハイネは話の腰を折らずに柔らかい相槌を打ち先を促すと、ジーナはそれこそ何の変哲もない少年時代の話から始めたがハイネには不思議とつまらなくはなく、むしろもっともっと聞きたい気持ちが湧いてくるのが分かるも、やはり拭いきれない違和感がずっと頭の中を掠め続けた。


 彼とツィロの二人を語りの中心に据えているはずなのに誰かがその近くにいる、と。


 二人の話ではなく彼は三人の話をしているのではないのか?


 隠していることがあるはずだ、と本能的に思うと同時に理性的に矛盾したことをハイネは考える。


 彼は、ジーナは果たしてそんな高等技術ができるだろうか? こんなにごく自然に無防備によどみなく語る彼が隠蔽しながら話すとしたらこんなに朗々とできるか?


 語り口通りに二人の話なのだろう、だが、とメモを取らずとも心に深く刻まれたこの違和感であったが、語りの途中でジーナの口が躓き出し、止まる。考えている。


 そうだこの人は誤魔化すといったことが苦手なのだとハイネは重々承知しており、その心を信じてはいた。


 そうであるからこそ、無意識に完璧に何かを隠していそうなその語りにまだ触れてはならない闇をハイネは感じるしかなかった。


「あっすまない。こんなオチ無しヤマ無しな昔話をダラダラしてしまってつまらなかっただろうに」


「いいえそんなことありませんよ」


 本心から言うも、ジーナは信じなかった。


「と返すのが外向きのハイネで内向きつまりは私に返すのは、あなたも普通の男らしくつまらない自分語りを延々とするのですね、ではないのか?」


「まぁ話の内容は確かにつまりませんけれど、あなたが私に気持ちよさそうに語っているのが楽しいですよ。あなたもそんな風に語れることができるのですね」


 そう言うとジーナは恥ずかしそうにしハイネはその表情に貴重なもとだとして目に焼き付けた。


「なんだか今日はやけに話やすい」


「私が聞き上手なおかげですね」


「かもしれない。普段は話の全身を折りにかかって来るのに異様に大人しいな」


「いまのこの時だけ淑女然として聞いていますからご安心を。ふふっ面白いですね。それでジーナは親友のツィロさん達がいる村を出ましたのはどうしてでしょう?」


 今この瞬間にだけ生まれた油断と無警戒の間をすり抜け通るハイネの手がジーナの心の奥底の扉にかかり言葉で以って、開かれた。


『俺は後継者になれなかったんだ』

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