第65話 なんだか少し怪しくないこれ
「それでなんと書いてあったんだ?」
出撃準備のために早退したジーナは兵舎に戻りアルに渡していた例の手紙の内容を尋ねた。
「その前に隊長はどうしてあれに最低のものを買わなかったのですか? あれは高いものですよね、手紙に値段が書いてありましたよ」
あからさまに不満な顔となったアルに対しジーナは言い訳しだしたが、何故彼にこんな風に言い訳せねばならないのか? ジーナは我ながら不思議がった。
「叔父も商売ですからできるだけ高いのを売りたいのは当然ですが、隊長は自分がお大尽様とでもなったおつもりで? 相当な金額ですよ」
ここで更に心配になりジーナは金額を聞くも、それは駄目と言われ反論しようとするとアルが制止する。
「ひとつお伺いいたします。この手紙は開封のあとがありますが、これは隊長でしょうか? 隊長には見せるなと書いてあるのですけど」
「あっやっぱり分かったかそれは私ではないが、誰かは言えない」
こんなの通じないよなと諦めながら言ったところアルはすんなりと受け入れた。
「それならいいのですが、その方はこの手紙のおかしなところは何かは伝えましたか?」
いいやと首を振るとアルがまた頷いた。
「なら読む必要はございませんね。もしも異様な記述と常識外れな金額が書かれていましたら、そのことを指摘するはずですし」
指摘するのかなぁ? と思いつつもジーナはあの時の様子を思い浮かべながらならまぁ大丈夫かなと思い始めるとアルが続けた。
「御代金は隊長の毎月の給料の三割引を十二回払いです。お安いとお思いでしょうが勘違いはまだお早いですよ。これはあの女のぶんの、です」
「高い!」
反射的に大声を出すとアルがにやりと笑った。これは罠に嵌ったのか?
「ですよね。その通りで高いですが、宝石というのはそういうものです。値段については市場価格並みなのでそこは堪えて貰いたいのですが、ここからが本題でして、そのもう一つの宝石はお渡しになりましたか?」
いいやまだと手を振るとアルが少し近寄ってきた。なんだか怖い笑顔である。
「返却という形にするのなら僕から叔父に持っていきますよ。もちろん御代金の支払いは無効となります。伯父だって急に金が必要なわけではないのですからしばらくは待ってくれましょう。どうでしょう? 是非そうした方が良いと思うのですよね。いやそうするしかないです」
月給三割を一年、しかもそれでも白光に比べたら安いとしたら、白光の方は四割から五割下手したら六割となり月給の半分以上が指輪代として毎月差し引かれそれが一年! 予想外の事態にお先が真っ暗と考え出すとアルが優しく肩に手を乗せてきた。
その手は語る。そこまで苦労する価値なんてありませんよ、と。
「変わりに違うのを渡せばいいのですって、どうせ分かりなんかしませんから。偽物でも紛い物でも、良いのですって」
そうして貰ったらどれだけ助かるのか……だがそれは、やはりそれは……と宝石の色を思い浮かべるとそれはそのままハイネの色であり、離れられない。
「申し出はありがたいが、買ったことはもう伝えてしまったんだ。ここで取り変えるとかは、嘘つきになる。それは避けたい」
「残念です。でもまぁそう言うとは思っていましたよ。あんな女のせいで男としての心の誠実さを汚すのも馬鹿らしいことですしね。では返却は無しということで、もう一つの白いものですが」
遂に本番が来たなとジーナは背筋を伸びた。金額を聞いたら腰を抜かしてしまう恐れがあるため気合いを入れた。せめて一割だけでも残れば、ついでに期間も短ければ。
「隊長の選択肢次第です、ふたつのうちどちらかをお選びください。一つ目は月給八割を一年間支払うか」
「無理だ。というか茜光を諦めてもその値段は無理だったんじゃないか?」
「僕もそう思いますし叔父もそう思っておりますよ。そうですからあの手付金に加えて僕がこの戦争を生き残れたら無料です」
アルが顔を思いっきり見上げてジーナを見つめた。
「僕が途中で死んだとしたらこの手紙を読んで返済方法を知ってください。どちらにいたしますか?」
「実質ただとなる方を選ぶに決まっているだろ。そうかそうくるか。アルの叔父さんも中々の人情家だな」
「隊長は自分は生き残るという自信がおありでしょうが、僕はそこまで言い切れませんよ」
ここでようやく背嚢に自分の荷物を積み終えたジーナが立ち上がり戸棚を閉めた。
「逆だよアル。私より先にお前は死なないよ。なんたって立ち位置が前後なのだからな。だからお前は死なない」
出発の準備が整いジーナの隊は目的地であるソグ山の麓にある草原地帯を目指すこととなった。案内役は地方視察の任務を携えたソグ僧の隊とそれに加えて龍の側近も来たわけだが……
「……ではいいですね第二隊隊長さん。麓の村までの地図を渡しましたので指定された時間までには到着してください、私からは以上です」
目を一切合わせず早口で急いで言い切ったハイネは駆け足でジーナのもとを去っていった。
足の速い女だとジーナは感心した。
「ハイネは怒ってんよ隊長さん」
行軍途中の休憩時間中にキルシュが茶をもって近づいて来て事情を話しだした。
「この前の任務から帰ってきてからイライラしてさ、話を聞くと隊長が任務中に勝手なことをして迷惑をかけたというじゃないか。いったいなにをしたんだい?」
全然興味なさ気な様子で聞いてくるもののジーナにはキルシュの眼が三白眼であるのに爛々と輝いていると見えたため、言葉を抑えた。
「ただ単純に地元の人達の調子を合わせてしまってね。ちょっとお祭り騒動となったのが私のミスだったな。彼女には悪いことをしてしまったよ」
ふーんと深くは追求せずにキルシュは言葉を切ったが実際話をどこまで知っているのだろうかとそこが分からずに一緒に黙った。
「実はさこの件はちょっとした箝口令みたいなものがひかれているらしくてさ、関係者がみんなあまり話してくれないんだよね」
初耳な上にそれであるなら昨日のシオンの謎の態度も納得できるのだが、誰がそれを?
「だからさ、よっぽと隊長がとびっきりのミスをしたかどうかが私すごく気になって聞いたんだよ。そうしたらそうかお祭りか。南ソグの連中ってイベント時に若い男女の組みを見るとお祝いしたくなるんだよな、するとそれって、もしかして」
ますますその瞳が怪しげに光って来るのを見てジーナは焦って口を塞ぎたくなり立ち上がった。こいつは名探偵か。
「おっと大丈夫だよ隊長。それといまの話もそれで満足さ。あたしはとても口が堅い女だし大恩ある隊長を窮地に陥れるようなことはしないから安心して。ただあたしはね、事情が知りたいだけなのよ事情がさ。そういうのが一番楽しいし安心するんだからさ」
ゴシップ好きかとキルシュの好奇心に満ちた顔を見ながらジーナは笑うとここでようやく茶を差し出され受け取った。
「けれどもここでひとつ疑問が浮かび上がったね。まずこの様子では隊長には箝口令が届いていない」
「全然。シオン様やハイネさんの様子はおかしいと思っていたけど」
「これは当の本人には知らせていないためだとしたら変だし、おまけにそれでこのタイミングで偵察と……妙だね。あのソグ僧団も先に行っているなんて今まで聞いたことないよ、ねぇ隊長。なんだか少し怪しくないこれ」
不思議といえばルーゲン師との長話からそうであり昨日から今日はおかしなことがずっと続いているという自覚はあった。
しかし怪しいのかと言えばそれは違って……
「戦場的な意味での危機感というものは、感じられないな」
「最近の隊長は戦ってないじゃないのさ。それにお仕事は主に龍身様の付き添いでさ」
「待て待て私は戦っているぞ。勘を張り巡らして龍の館で毎日のように命懸けでさ」
「命懸けって大袈裟だね。まっ隊長にその気配が感じられないなら先ずはそっちを信じるけど気をつけようね。天に祈ったりしてさ、ということでこれを渡すよ」
キルシュから手渡しされたそれは見覚えのないもの……こちらでは懐に入れるものらしい御守りというものであった。
「龍身様がさ、これは隊長の忘れものだから届けるようにって仰られてね。でもさぁ
キルシュの眼から疑いの光りが放たれるのをジーナは見た。
「隊長ってそういうものを持つ趣味が合ったかなって、あたしは思うんだよね」
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