第12話 本当はその名を呼んではならない

 あまりの異様さにジーナは焦り出す。


 私は間違えていたのか?でも本当に?思考が騒がしく乱れているのに遠方からの鳥の鳴き声がはっきりと聞こえ、それからハイネが瞬きをせずに言った。


「つまり、私がキルシュに昨日ことを話し、あの子がそれを以ってジーナさんを脅し、そのことをあなたは非難している、とこういうことでいいのですね?」


 そういうことでいいのですよ、と思うと同時にハイネはその表情を苦悶で歪ませ手で覆う。


「そんな酷い」


「待ってくれ。私はいま返事をしていない。というか人の心を読まないでくれ」


「分かりますよ……だって表情がそう言っていましたし……」


 今にも死にそうで消え入りそうな小声だというのにジーナは完全に聞くことができた。


 よく通る声だな。


 しかしこの感覚はどこか戦場を思い起こさせる。ハイネさんは戦場なのだろうか?

 

 ハイネは顔を上げてその泣き顔をジーナに晒すも、その大きな瞳に涙で潤み出してくるも、ジーナは見開きっぱなしだから乾燥を防ぐために涙が出てきたのかなとしか何故か思えなかった。


「私がそのような名誉に関することを簡単に他人に話すような人だと見られていただなんて……口の軽い女……軽薄な女……信用ならない女……嘘つき……あなたは私にはっきりとそう告げるのですね」


 ジーナは確かに自分はそう告げているかのような錯覚に陥り危うく頷きそうになるが、慌てて首を横に振った。


 告げていない、告げていない。大げさすぎる。

 

 あと心を読むんじゃない。


「誤魔化しや言い訳はやめてください。せっかくいいお友達になれると思っていたのに、こんなことを言われるなんて私耐えられません。そこまで言うのならもう結構です。私が着替えている更衣室に大急ぎで入ってきたと些細な脚色を添えキルシュのみならず私の友達全員を動員してこのことを広めます、では失礼します」


 言葉の勢いとは裏腹に緩慢な動作で立ち上がるハイネをジーナは慌ててその腕を掴んだ。


「離してください。離さないと力づくで口封じさせられたも追加で広めますよ」


「おっ落ち着いて落ち着いて!頼むから事態を悪化させないでくれ」


「返答次第で落ち着きます」


 なるほど理性的な答えだと妙な感心をしながらハイネを引き寄せると、案外素直にこちらを向いたので更によく分からなくなるもジーナは珍しく言葉を考え選びだした。 


 その間に時間が流れていくもハイネはなにも口を挟まずに黙って待っていた。

 悩み苦しむ男の顔を見物しながら。


「その、だ。その……ええー確証もないのにハイネさんがキルシュに話したと決めつけた言い方をしたのは、悪かった」


 言ってからジーナは顔を向けるとタイミングを合わせてハイネはそっぽを向きながらまた小声で尋ねた。


「私のことを……信用してくれますか?」


「しっ信用する」


 なにを信用するのか?

 ジーナは言ってから今の返事は反射的だったなと思うと、捕えられた。


「でも何を信用してくれるのですか?」


 そんなの知らないと心中で叫びそうになるもジーナはこうなった以上信じる他ないと決心し、もうめんどくさいのはいいとそっぽを向いたままのハイネの頬に手をやり自分の方に引き向かせる。

 驚いたハイネは意外そうな顔をしながらジーナを見て、それから言葉を聞く。

 

 その掌の熱を感じながら。


「ハイネさんが、二人の間で秘密にしておくことを、ばらすような人でないことを、私はここに信用する」


 そう伝えるとハイネは瞬きの回数を多くしながら黙ってジーナを見る。


 また変なことを言ったかなと焦りだすとハイネは噴き出した。


「やだジーナさん、話を大げさにしすぎですよ。こんなちょっとした冗談を真剣に返すなんて、からかってごめんなさい」


 そうなのかなぁとハイネの早口を聞きながらジーナは首を傾げた。


「でも約束しますよ。喋らないと、私を信用してくださいね。そもそもキルシュもジーナさんにハッタリを掛けた可能性がありますよ。隊長は戦場以外だといつもなにかおかしなミスをする、とあの子常々言っていましたし。私があとで強めに注意しておきますから気にしないでいいですよフフッ」


 胸を二度小突きながら笑顔で話をまとめようとするハイネを見ながらジーナは思う。


 これはもしかして誤魔化されたり弱みを握られたままなのでは?


「座りましょうか。まだお話はありますし」


 まだあるのか……と思いながらジーナは座りハイネも隣に座った。さっきよりもどうしてか距離が近い。やはり距離感がおかしい。


「とりあえず誤解は解け仲直りをし信頼関係を築けたので関係は順調ですね。これから私達は同僚となるのですから頑張っていきましょう」


 頑張りたくないと心の底からジーナは思うもそう言ってめんどくささを避けるため頑張って軽く頷いた。


「やる気があってよろしいです。でもジーナさんも不安もありますよね」


「ああ不安だよ」


 特にいま右にいる人に対して、と心の中で小さくつぶやくと肩に手がかかり聞こえたのかとジーナは身体が恐怖に包まれたがハイネは輝く瞳で見つめてきた。


「私を信頼してくれて、嬉しいです。ジーナさんみたいな強い戦士は何があっても不安なんてないとか怖いものなんてないと強がるのが常なのに。それなのに私みたいなか弱い女に不安と打ち明けてくれるなんて……真の戦士とはそのようなものであり、そして私を同僚として認めてくれたということですね」


 いま強がる理由もないしそれにか弱い?

 とジーナは思うも肩にかかるそのハイネの掌には重さがあったため黙った。


「実のところシオン様からお聞きしましてね。彼はあまりにも緊張していて他ならぬこの私を男性と間違えるぐらいあがっていたと。無知極まりなく何にも知らなくて心配だからハイネも彼とは折りをみて様々なことをレクチャーしてあげてと伝えられましてね。それにしても何処をどう見たらシオン様を男性と見なすんですかね。ああ面白い。目もお悪いのですね」


 も、とはなんだろう?も、とは?と疑問を抱きながらおかしそうに笑いだすハイネを見ながらジーナは思う。


 間違えたのはあなたの話を聞いたせいでといったらまた一悶着がありそうなのでジーナは言うのをやめた。


「まぁ中央やソグでは分からないが私の故郷だとあんなに髪が短い女は一人もいなかったな」

「そこですよね。こっちにだってシオン様以外はほぼいませんね。軍に所属しているとしても私のこの長さぐらいが限界です。あの短さにするためにシオン様は毎朝自らの手で整えているのですよ。でもあれは好きでやっているわけではなくて戦争が早く終わって欲しいとの願掛けというものであって、もともとはすごい長髪の御方です。学生のころは……ああそうです、私はシオン様の後輩でしてね。学校的な擬似姉妹関係ということで長い付き合いなのです」


 あの初日における二人の意味不明なやり取りはそういうことだったのかと少しジーナは理解しだした。


「でもハイネさんはあの髪型の方がカッコいいと言っていたから好きみたいだな」


「それはもう正直なところそうです。姉様って、あっシオン様のことです、学校時代は背が高いですし王子様だったのに今はもっと王子様になられていてファンが多いんですよ。でも男の方はジーナさんみたいに女には見えないと不評のようで。あっいいんです弁解とかはフフッ。シオン様は以前から婚約者がいますし他の男性から相手にされてもあまり仕方がないのでしてね。あのご存じですよねマイラ様のことは」


「いくらなんでも軍の指導者の一人の名前ぐらいは知っているよ。龍の一族でヘイム様の叔父にあたる方だろう?」


「あっすごいよくご存じで。そうです龍身……はいヘイム様の後見人と言える御方であると同時に、シオン様もご親戚にあたりまして。そうそうあの方々は家族みたいなものですね。ちなみに私もシオン様のお父様とは遠い遠い親戚になりまして一族の端っこで繋がっていましてね。

それでそのマイラ様とシオン様にヘイム様はこの龍の館にて本日は定例であるルーゲン師による勉強会が行われております」


 ルーゲン師か、とジーナは龍の間の方向に目をやり彼のことを思い起こす。


よくこんなやる気のない男に根気よく指導しているものだ、偉い男だと。


 無駄だというのに。


「もしかしてこの庭の緊急整備もその勉強会のためのものとか?」


「いえいえ、それとは関係ありませんね。これはですね龍身……ヘイム様のご希望です」


 まだ慣れないのかいちいち言い直しているハイネはあたりをちょっと伺ってから顔を近づけ声を潜めながら告げた。


「あのひとつ言っておきますが、本当はですよ、今現在ではあの以前のヘイム様とはお呼びしてはならなく、龍身様とお呼びしなければならないのですよ。そうでないと世界の秩序が乱れてしまいますので」

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