【3】背を押す言葉たち

「まったくもう! ハンナ、あんた何年この屋敷に勤めているんだい!?」

メイド長のアントニアさんは、怒った顔でそう言った。


「いい加減、旦那さまのお気持ちに答えてあげたらどうなんだい。エリシア奥様が亡くなって、もう5年も経つんだよ? いつまでも旦那さまを独り身でいさせるなんて、可哀そうだと思わないのかい?」


そう言うと、アントニアさんは私の肩をそっと叩いた。


「……いい加減、あんたも幸せになっていいんだよ? ハンナ、あんたはいつも十分に頑張って来たんだから」


   **


「ハンナって、意外と失礼だよね」

メイド仲間のケイトは、冷めた目をしてそう言った。


「……『平民生まれの自分には、エドワード様のそばにいる資格はない』って? なにそれ。この屋敷の使用人はみんな平民だけど? あんた、平民のことゴミみたいに思ってる?」


私が慌てて否定すると、ケイトは意地悪っぽく笑った。


「わかってる、わかってるって。エリシア様の夫を横取りするみたいで、気まずいんでしょ? でも、この屋敷には誰もあんたをそんな目で見る人はいないよ。あー、よその貴族は知らないよ? いじわるなこと言ってくるかもね! ……でも、エドワード様は絶対あんたを守ると思う」


早くエドワード様を捕まえちゃいなよ、グズグズしてると、よその女に横取りされちゃうかもしれないよ? ――と、ケイトは笑った。


   **




私が質問に答えると、エドワード様はいつも困った顔をする。


「ハンナ。エリシアの思い出を聞かせてくれて、ありがとう。……だが、今は君自身の話を聞きたいのだが」



私自身の思い出話なんて惨めなものしかないし、話す価値のある話題はお姉様と過ごしたときのことばかり。私の好きなものは、お姉様との思い出のあるものばかり。


……だから何を聞かれても、いつのまにかお姉様の話題になってしまう。

恐縮して頭を下げる私に、エドワード様は優しくおっしゃった。


「ならば君の好きな花を聞きたい。言葉を飾らなくていい、君自身の好きな花だ」


……たんぽぽとスミレと答えた。高価な花は、私には似合わない。



   ***


「あんたは私の娘なのに、どうしてそんなにブスなのかしらねぇ」

久しぶりに、母の夢を見た。

子供のころに毎日言われたセリフを、夢の中の母にも言われてしまった。


しかし、今日の母はいつもと違う一言を添えた。


「でも、ブスのほうが良いわよ。顔しか見ない男なんて、ロクな奴がいないもの。ねぇ、ハンナ……もしまっとうな生き方ができそうなら、あんたはちゃんとした男を選びなさいよ」




母が侯爵家の後妻として迎えられたとき、私もいっしょに侯爵家の『令嬢』になった。でも、しばらくすると母は、私を避けるようになった。


どうして私を無視するの!? と責めたら、あきれた顔で母は笑った。


「だって、あんた、エリシア様に気に入られてるでしょ? 私が絡んだら、エリシア様が遠慮して、あんたに近寄れなくなっちゃうじゃない。……金持ちお嬢様にうまく取り入って、せいぜい可愛がってもらいなさいよ。這い上がりなさい。あんたブスなんだから、頭を使わなきゃダメよ」


なんてヒドイ言い方をするんだろう、と当時の私は母を軽蔑していたけれど。……あれは母なりの優しさだったのだと、いまなら分かる。



   ***


「ハンナのばか!!」

5歳になったライエル様は、ぷんぷんと怒っていた。



「どうして僕だけ遊びに行っちゃいけないの?」

子爵階級の夫人が集まるサロンでは、それぞれの家門の子息子女が呼ばれて、ちょっとした遊びの席が設けられているらしい。


ウォード子爵家には夫人がいないから、ライエル様は遊びの席に参加できないのだ。

私がそう伝えると、

「ハンナがお母さまだよ! ハンナがいるのに、なんでダメなの?」


ライエル様は、最近よく私を「お母さま」と呼びたがる。絵本に出てくる優しい「お母さま」を見て、自分もほしくなったのかもしれない。



私はライエル様の手を引いて、屋敷の一つの部屋へと入った。

この部屋には、エリシアお姉様の肖像画が飾られている。


ウォード子爵家に嫁いだ直後の、まだ元気だったころのお姉様。

宗教画の天使のように美しい、エリシアお姉様の姿だ。



私は初めて、この肖像画をライエル様に見せた。

こちらの方が、あなたのお母さまですよ、と私は伝えた。



「……天使さまだ」

ぽかんとしながらライエル様はつぶやいた。


「ぼくの夢に、いつも出てくる天使さまだよ! 優しくしてくれて、たくさん抱きしめてくれるんだ」


頬を染めてそう叫んだライエル様を見て、涙がこぼれた。

やっぱりエリシアお姉様は、天使だったのかもしれない。ライエル様を、見守っているに違いない。


泣いている私に、いきなりライエル様が飛びついてきた。

「……でも、僕のお母さまは、ハンナがいい」


   **


懺悔室の壁の向こうで、司祭様がこう言った。

「神があなたに赦しと平穏をお与えくださいますように――」



私は、今日も懺悔をしていた。屋敷のみんなの優しさや、ライエル様、エドワードさまの温かさがとても苦しいのだと。私なんかがエドワードさまの妻になってよいはずがないのに、……心の奥では、彼のものになりたいと望んでしまう。


長い長い懺悔を終えた私は、深く礼をしてから懺悔室を出ようとした。

そのとき。


普段は何も言わない司祭様が、唐突に呼びかけてきた。


「神に赦しを乞うより先に、あなたがあなた自身を許しなさい」


――え?


理解できずに、首をかしげる。

壁の向こうで、司祭様が苦笑しているようだった。


「……本当は、こういう余計なことは絶対に言ってはいけないんだが。私は生臭坊主なので、たまには不信心な口出しをしたくなってしまうんだ。……あなたは自分の心の声を、きちんと聴きなさい。答えはもう、出ているはずだ」


彼のものになりたいと。私は、強く願っている。


言葉を失って、私は教会から飛び出した。

そこに立っていたのは――


「ハンナ」


エドワード様が、教会の前で私を待っていた。小さな花束を私に差し出し、そっとひざまずく。


「君がもし私を受け入れてくれるのならば。どうか、私と生涯を共にしてほしい――」


彼が差し出してきた花束は、たんぽぽやスミレなどの野草を束ねて造られた、慎ましくも可憐な花束だった。


私は、ふるえながらうなずいていた。




「私はエドワード様の奥様に……ライエル様のお母さまに、なりたいです」



私の願いは、いつもそれだった。







    *****


侯爵家の屋敷で暮らしていたあの頃。

エリシアお姉様は、私に貴族のマナーや教養をこっそりと学ばせてくれた。


難しい勉強なんて苦痛だったし、「私には何の役にも立たないからやめてほしい」と拒んだのだけれど。お姉様は、めずらしく頑固な態度で私の教育をし続けていた。


「ハンナ。いつか必ず、あなたの役に立つはずだから」……そう言っていた。



お姉様の言葉は、本当に正しかった。



ウォード子爵家の新たな夫人となった私は、夫のエドワード様の妻として様々な社交場に出席している。


エリシアお姉様に教えてもらったマナーと教養が、今日も私を助けてくれた。




やっぱり、お姉様は天使だったに違いない。

だから、私を導いてくれた。



エドワード様と並んで見上げた星空に、お姉様の声が聞こえた気がした。


『…………私をかいかぶりすぎよ、ハンナ』


エリシアお姉様が、笑ってくれたような気がした。

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