怜人の想い人に不快な央香


「央香ちゃん、手を上げて」


「ん」

 トイレの個室で沙織に着替えをさせてもらっている中、央香は気のない返事をした。


「何かあんまり機嫌が良くないね? もしかして、試着室での件で怜兄に怒られたの? 私は気にしてないから大丈夫だよ」


「確かに怒られたが、そうではない」

 央香はムスッとして答えた。


「だったら何? お腹が空いたの?」

 心配そうに聞いてきた沙織に対し、央香は不貞腐れたままであったが、突如人がトイレに入ってきたのでそちらに意識を集中させた。


 というのも、入ってきた者達の声に聞き覚えがあったからである。


「それとも……」

 沙織が続きを話そうとしたので、央香はすかさず人差し指を口に当て、喋るなと合図をする。沙織は戸惑いの表情をしたが、央香の命令に従い口を閉じて動きも止めた。


「もう、愛衣あいのバカ。アイスがほっぺについちゃったじゃん」

 先程のように甘ったるい声色ではなく刺々しい感じであったが、央香は声の主が誰であるか直ぐにわかった。


 そう、怜人が惚れている、山中有希子とかいう小娘だ。


「だから、ごめんって言ってるじゃん」

 そう謝罪しているのは、山中の隣で帽子を被っていた小娘だった。


「ったく、下地から塗らなきゃいけないからメンドイんだよ。アイスを一旦渡してくれれば良かったのに、食べさせようとするからじゃん」

 山中は舌打ちし、責めるように言った。


 怜人がいた時の言葉遣いが嘘のようで、物凄く荒々しい。


「はいはい。ごめんなさい、ごめんなさい。手が滑ったんだよ」

 帽子の小娘が淡白に謝ると、山中はまた舌打ちをした。


「そういや、さっき会ったクラスメイトって普段から仲がいいの?」

 帽子の小娘が言った。


 恐らく、さっき会ったクラスメイトとは怜人のことであろうと央香は判断した。


「は? んなわけないでしょ。よくクラスの隅でアニメや漫画の話をしてる男子達の一人、陰キャだよ。キモイったらないわ。まぁ、勉強だけはできる奴だから、テスト前に仲良くする振りはしてるかな」

 山中がそう言って小馬鹿にするような笑い声を出すと、

「……うわぁ。つくづく、有希子の演技力には感心するわ」

 帽子の小娘は呆れ返っているようであった。


「私、将来は女優にでもなろうかしら」

 山中がフフッと笑うと、帽子の小娘は鼻息だけで答えていた。


「女優といえば、さっきの子が従妹って言ってた人、えげつないほど美人だったね。モデルじゃないらしいけど、女優とかやってんのかもね」


「えー、私はそんなにって感じだったけどなぁ」

 帽子の小娘が何気ない感じで言っているようだが、山中は嫌悪感が剥き出しであった。


「有希子がそう言ったくせに」

 と、帽子の小娘は納得がいかない様子だったが、


「そんなのお世辞に決まってるじゃん。ああいうタイプの女は、大抵自分が綺麗だとわかっているから性格が破綻しているのよ。私の嫌いなタイプ、ていうか大嫌い」

 バッサリと言ってのけた山中であった。


『お前、女性に嫌われるタイプだな』

 怜人の言葉が央香の脳裏によぎった。


 当たっているではないか。

 と 央香は声には出さず含み笑いをする。


 ちなみに、山中からは出会った瞬間に嫌な雰囲気を感じており、只今をもって央香も大嫌いになった。


「外見だけいいとか、同族嫌悪?」

 帽子の小娘が笑いながら言うと、

「うっさいな。私は愛想がいいし、内面もいいじゃない。バレなきゃいいのよ」

 山中は澄ました感じで返答した。


「こいつは、ほんま悪いやっちゃでぇ」

 帽子の小娘が鼻を鳴らして言ったが、山中から言葉は返ってこなかった。


 数秒後。


「ねぇ、愛衣。チーク貸して」

 山中が言った。


 ジッパーの音や、化粧品らしき物を取り出す音がトイレの中で響いた。


「まだかかりそう? 明菜あきなが早く来いってさ。令大付属の男子達も着いてるって」

 そう言った帽子の小娘は焦っているようであった。


「男子なんか待たせときゃいいんだって。それに、待たせた方が最初の印象は悪くなるけど、愛想を振り撒くと印象が悪かった分効果が高くなるのよ。男子って単純だからさ」

 一方、山中は焦りを全く感じさせない物言いで、非常に太々しい。


「毎度のことだけど、ホント恐れ入るわ」

 帽子の小娘が若干ウンザリしたように言ったが、

「てか、そもそも愛衣のせいだかんね?」

 山中はやはり動じる様子がなかった。


「はいはい、そうでしたね」

 帽子の小娘が生返事をしてから二、三分後、二人はトイレから出ていった。


 央香は沙織にもう大丈夫だと目配せをする。


「喋っちゃまずかった? もしかして。さっきの人達って央香ちゃんの知り合い?」


「まさか、あんなクズ共とわしが知り合いなわけがなかろう」

 沙織からの質問に対し、央香は不快感を顔いっぱいに出して答えた。


『今日は最高の日だよ』

 怜人が嬉しそうに言った姿を、央香は思い出した。


「どこが最高の日じゃ。厄日ではないか」

 央香は吐き捨てるように言った。

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