第十章

第40話

 一か月前のことは悔やんでも悔やみきれない。

 白詰草宮殿の控室で、イアンは鏡に映る己の姿を、物憂げに見つめた。

 最高位クラウンだけが着れる純白の軍服。その胸にきらりと光る金の勲章。どれも輝かしい功績なはずなのに、今は全く嬉しくなかった。

 一ヶ月前のあの日。聖闘技祭せいとうぎさいの次の日。ジャックはすぐに援軍を連れて大学へとやってきた。一番驚いたのはジャックの旧友がアーロだったということ。二人は同じ師範の弟子だったらしく、ジャックがたまに騎士団で師範を勤めているのは、そういう経緯があったのかと納得した。

 おかげでノアの策略はレオに発覚し、厳正な処罰が下され、今は別の人物が騎士団長を勤めている。

 しかしイアンは当日の記憶が途中から無かった。目が覚めたら離宮の私室に寝かされており、二年前のオメガになった日のように、ジャックから事の詳細を聞いて絶望した。

 ロイが言うにはイアンが意識を失ってすぐにジャックが来たという。だとしても、主人が危険に晒されているのに寝ていたなんて、近衛騎士として失格だ。

 ベッドの中でうなだれるイアンを責める人は誰もいなかった。それどころか発情期ヒートのフェロモンに争い、主人を守ったと褒められてしまった。

 (そうじゃない……! もっと、もっと怒ってくれ!)

 何をやっていたんだと責められていたら、まだ気持ちも救われただろう。けれどイアンの思いとは裏腹に、周りの目が尊敬に満ちているのがよけいに辛かった。

 「イアンさん。そう暗い顔をしないでください」

 鏡越しに困り顔のジャックが映る。白詰草宮殿の控室は離宮とは違い、天井が高く華やかで、ジャックと二人なのが寂しく思えた。

 「だって……大事なときに意識を失ってた近衛騎士が最高位クラウンって……笑いものですよ」

 イアンは胸につけた勲章を引っ張る。これも自分がつけるべきではないと感じていた。

 今日までに何度かロイやアーロに辞退の提案をしたが、誰もまともに取り合ってくれなかった。「何を言ってるんだ。優勝したのはお前だぞ」「はは、イアン辞退だなんて嘘だろう?」とあしらわれ、結局最高位クラウンの叙任式当日——今日という日を迎えることになってしまったのだ。

 「そんなことはございません。発情期ヒートの中あそこまで動ける方がおかしいのですから」

 「……うう。そうですか?」

 「ええ。オメガ初の最高位近衞騎士として胸を張ってください。でないとロイ様の近衛騎士として恥ずかしいですよ?」

 ジャックが気合を入れるように肩をたたいた。痛くはなかったが、おかげでイアンの背筋はぴんっと伸びる。

 ジャックの言う通り、暗い顔をしていたらロイの近衛騎士としてふさわしくないだろう。それにせっかく自分で掴み取った晴れ舞台……悩むよりきりっと前を向いた方が、ふさわしいのは間違いない。

 イアンは覚悟を決めパンと軽く頬を叩き、暗い顔を遠くへ追いやった。

 「イアン・エバンズ様、お支度が整いましたら、入場の準備を」

 「はい。わかりました」

 迷いはもうない。自分を最高位クラウンと認めてくれる人たちがいる。なら堂々と胸を張らなければ。

 心の中に、凛と咲く紺瑠璃花ネイビー・ラピスラズリを思い浮かべる。彼女のようにすっと澄み渡った姿で挑みたい。それが最高位クラウンに叙任される騎士として、正しい振る舞いだと思うから。

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