第七章

第29話

 市街地では、日に日に聖闘技祭せいとうぎさいを記念した商品が増えていった。宮廷へと続く大きな通りも、和平を祝ってガーテリアとアッバス両国の旗がかかげられる。

 どの騎士が最高位を手にするのか。隠れた有力騎士は出てくるのか。巷のパブは毎夜、聖闘技祭せいとうぎさいの話題で持ちきりだ。

 そして今日から三日間。王都の中心地から少し外れた闘技場に、聖闘技祭せいとうぎさいの期間しか打ち上がらない魔花まかの花火が打ち上がる——



 ロイは来賓室のカーテンを少しだけ開け、空から降ってくる色とりどりの花びらを目で追う。煌めく花弁かべんたちは、これから戦いが繰り広げられる会場を彩った。

 闘技場は楕円形のすり鉢状の底に乾いた地面があるせいで、ひどく埃っぽい。すでに観覧席は埋まっており、狂気的な人々の熱気にロイは顔をしかめた。

 (人が傷つけ合うのがそんなに面白いか)

 やはり武力は好きになれない。話し合いができない低脳の集まりだと思ってしまう。そんな欲望の渦巻く中心地に、イアンが放り込まれるのかと考えるだけで、ロイは眩暈がした。

 「ロイ様。それ以上開けますと、民衆にお顔が見えてしまいますよ」

 たしかに来賓室は観客席から張り出し、一番見晴らしがいい位置に作られている。そのためロイに向けられた忠告は正しかったが、距離を感じる言い方が気に食わなかった。

 「……イアン、まだ誰も来ていない。そんな話し方しなくてもいいだろう」

 「いえ、扉の外に聞こえてはまずいですから」

 後ろを振り返りイアンを見る。華奢な体に合わせて仕立て直した軍服は、イアンの細く引き締まった体に驚くほど合わさっており、洗練された美しさを引き出している。

 それだけでも心配になるほどかっこいいのに、あとで中に着ている新素材の服が晒されるのかと思うと、ロイは頭も痛くなってきた。

 「お前、今度から仕立て直すのやめろ」

 「それは……できかねます」

 イアンは困惑して眉を八の字にする。そのいじらしい表情も、聖闘技祭せいとうぎさい後に真実を話したら見られないかもしれない。

 (いや、絶対に見れないだろうな。真実を知ったら、俺の元から離れるのは間違いない)

 ここ一ヶ月、ロイはそのことばかり考えていた。何をするにも、これがイアンと過ごす、最後の日々なのだと。だから休みもとって、できるだけイアンの鍛錬を見学しにいった。

 (それも今日を入れて、あと三日で終わりか……)

 せめてもと思い、ロイは最後の軍服姿を目に焼き付ける。イアンが普段着ている騎士団のシャツも、それはそれで似合ってはいたが、軍服だとより自分の近衛騎士なのだと実感できていい。次に整えてある髪を見るために視線を上げると、イアンの顔は林檎のように真っ赤になっていた。

 「お前体調悪いのか?」

 「な、なんでもございません。ロイ様の心配に及ぶようなことは何も」

 ぱっと目を逸らされたことに、ロイは寂しさを覚える。最近イアンはこうやって目線を外すときがあるが、理由は不明だった。

 しかし『なんで目を逸らすんだ? 悲しいだろう』なんてわざわざ問い詰めない。問い詰めたところで、イアンはまた眉を八の字にするだけだ。

 (でもそういえば、さっきみたいに頬が赤いことも増えたな……)

 剣の稽古をしていて、息が上がっているからと思っていたが、それ以外のときもこうして赤く染まるときがある。馬車に乗ってるときや、服の採寸なんかをしたときだ。風邪を引いている様子でもないし、何かあったのだろうか……?

 「ロイ様……」

 物思いにふけっていたら、顔の赤みが引いたイアンが胸に手を当て片膝をつく。

 「この度は我が身に余る大役を拝命いただき、心より感謝申し上げます」

 首を垂れ、主君に忠誠を誓う姿は、自分にしか向けられない。それが何よりも嬉しく、何よりも虚しいと思う。示される主従の関係を、自分は踏み越えられない。

 「必ずや、勝利を我が君に」

 そんなものはいらない。

 勝利よりもお前が欲しい。

 しかしロイは情欲を押し殺し、イアンへ毅然とした声を出す。

 「顔を上げよ」

 ラピスラズリの煌めく瞳とぶつかる。そこに獣はおらず、第三王子ロイ・ガーテリアとしての自分が反射した。

 「私からの命令はただ一つ」

 肩にかかる重いマントを翻し、右手を突き出す。

 「悔いなく戦え」

 深青の目が、見開いた。

 「勝てとは言わない。多少の怪我は研究室の回復薬で治してやる……だから存分にお前の実力を見せつけてこい」

 薄く微笑むと、イアンも口角を上げた。

 「……イエス・マイロード」

 差し出した右手を、イアンは恭しく取る。

 壊れ物を扱うかのような優しい手つきで、薄い桃色の唇を手の甲に重ねた。

 決して強い口づけではない。まばたきをしていたら、見逃してしまいそうなくらいに。

 しかし、ロイの心臓はどくどくと脈打つ。イアンの示す忠誠心が、柔らかな痺れを伴って、全身へと広がった。

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