第16話
とりあえず結界を強化しよう。そう話がまとまりかけていたとき、ふとロイはオリヴァーに、言わなければいけないことを思い出した。
「そういえば髪、ありがとうな」
「え? あ、いや、まぁ
素直なお礼が意外だったのだろう。瓶底眼鏡の奥で目が大きく開いた。
「おかげでイアンに嫌われずに済んだ」
ロイはプランターの間で
「全然気づかなかった。ロイがそんなにイアン君に嫌われたくなかったなんて」
「……」
オリヴァーの意外そうな声音に、ロイは押し黙る。
嫌われたくないどころではなかった。本当は好きになってもらいたい。募る恋心はイアンがベータの頃から拗らせている。
◇◆◇◆◇
今思えば、好きになるのは必然だった。
「ロイ、ここまで来たら大丈夫だよ」
幼いロイを安心させるように、イアンはよく微笑んだ。最初に出会った頃は、イアンもまだ十三歳。近衛騎士の経験が浅いなか、一人で子供を守るのは大変だっただろうに。辛い顔一つしなかった。
(こいつは馬鹿だな)
ロイのイアンへの第一印象は、失礼極まりないものだった。
(冷遇されている俺なんて、真剣に守っても出世なんかしない。損得で考えたら損だ。いつかこいつも現実を知って、どこかに消えるだろ)
客観的にそう判断したのに、予想は大きく裏切られることになる。
「やめろっ!」
と声に出して抵抗すれば、イアンは必ず現れた。ドンっと相手を突き飛ばし、ロイの手をとって駆け出してゆく。そんなことが何度も何度も行われ、イアンへの印象は蔑みから困惑へと変わっていく。
(なんで俺を守るんだ? 意味がわからない。わからないのに……なぜかイアンに守られるたび、胸のあたりがむずむずする……)
それは初めての経験だった。誰からも必要とされず、愛に飢えていた心が、満たされるような感覚。王室では無用の存在でも、イアンといれば、主人として大事にされた。
(イアンのそばは、なぜか居心地がいい……)
最初はそんな、曖昧な感情だった。それがいつしか、イアンの示す忠義を独り占めしたくなり、思春期に入って、イアンが夢に出でくるようになった。そのとき感じる体の熱で、己の気持ちが、純粋なものだけでは無いことを自覚した。
ロイは自分でも馬鹿だなと思っている。イアンは近衛騎士としての務めを果たしただけだ。そこに愛はない。でも初めて優しくしてくれた人間に、惚れるなという方が難しかった。
イアンの手を握ると心臓が脈打つのは、随分前から煩わせている不治の病だ。
◇◆◇◆◇
「イアン君には、運命の番だって言わないの? そしたら髪を切らなくたって、嫌わられなかったんじゃない?」
「……言うわけないだろう。俺はあいつの番にふさわしくない」
ロイはため息まじりに答える。
オリヴァーの考えは合理的だ。強姦未遂の男が運命の番だなんて、イアンがかわいそうという考えが抜けている。たとえそれが無くとも、冷遇されている王子に想いを寄せられて、困るのはイアンの方だろう。
だからロイは、思いを告げるつもりはなかった。いままでも、これからも。
「ふーん」
オリヴァーはいまいちわかっていないようだ。彼なりに思考を巡らせているようだが、きっと答えは出ないだろう。
「ま、別に理解しなくていい」
人の感情に疎いオリヴァーに、ロイは説明する気も起きない。イアンへの想いはこれまで通り、そっと胸の内にしまう。
「そう? ならいいけど……でも今まで辞めたいって言われたことが無いなら、案外君のこ気に入ってるのかもよ?」
「それはどうだろうな……」
ガラスの向こうにいるイアンへ目を向ける。オリヴァーの言う通り、イアンは一度だって、辞めたいと言ったことが無い。
(でもずっと、ここを離れたいのかと思っていた……)
イアンはロイが
——
それがイアンの夢であり、目標だと思っていた。
けれど実際は……
『ロイが外国に行きたいって言ってたから、目指してたんだ』
イアンが語った夢の話が、頭の中でこだまする。
もし。もしそれが本当だとしたら。イアンは自分のために鍛錬していたことになる。冷遇されている第三王子の近衛騎士を辞め、上の役職に就くためじゃなくて。
「全く、想像もしていなかったな……」
外で花に埋もれるイアンを見ながら、小さく呟く。
遠い異国の地まで、一緒に来る覚悟があったなんて……初耳だ。そんなの、胸が弾まないわけがない。
「お前の夢は……俺が強姦した相手と知っても、変わらないか?」
そんなわけない。ガラスに反射した自分が、酷薄な笑みを浮かべて囁いた。
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