第65話


 君も輝成と同じことを俺に言ったんだよ。と賢吾は苦笑し、言葉を続ける。


「コウを幸せにすることが、クズだった自分にとって、死んだ両親にとっての贖罪になっていくような気がしていた。実際に今もコウが自分の全てだと思ってるし、それはこれからも変わらない。俺は、コウのために生きて……生かされているんだよ」

 賢吾はここで一呼吸置き、険しい顔になった。


「だからこそ、妹の真利亜を殺し、コウの精神を破壊させた、鉄恭一は絶対に許せる存在ではない。君が鉄の娘だと知った時、激しい怒りと悲しみに狂った。そしてコウが君を庇護していたとわかった時は、更に頭がおかしくなりそうだった。事実を冷静に受け止められる状態ではなかった」

 賢吾が言い終えたと同時に、

「申し訳ありません」

 そう、楓が賢吾に頭を下げた。


「謝らないで欲しい。いや、謝っちゃダメだ。だって、君は何も悪くないんだからな」

 賢吾の言葉に、顔を上げた楓は戸惑いの表情であった。


「でも、私は鉄恭一の娘で……」


「君はそうなりたかったのか?」

 楓の言い分に対し、即座に賢吾は言葉を発した。


「……え?」

 楓が疑問の声を漏らすが、賢吾は引き続き真面目な表情で話す。


「日本史上最悪の犯罪者の娘として、生を受けたかったのか? 母の自殺を目にし、父の業を背負い無慈悲に蹂躙され続ける。まともな学生生活は送れずに、友達も作れない。そんな人生を歩みたいと思って生まれたのか?」

 賢吾の言葉に、楓は歯を食いしばり息を漏らしながら、大きく首を振った。


「当たり前なんだよ。子供は親を選べないんだ」

 賢吾が優しい口調で言うと、楓は唇を噛んでから俯いた。


「顔を上げろ! 胸を張れ! 堂々としろ!」

 賢吾は声を上げ、

「守屋楓は……立派な人間だ!」

 と言い放った。


 楓は顔を上げたが、苦しそうな表情のままであった。


 口を開けては閉じを繰り返し、楓は肩で呼吸をしていた。賢吾はその様子を黙って見つめていた。楓が落ち着くまで、賢吾は何も喋るつもりはなかった。


 呼吸が整ってきた楓は、賢吾と目が合うと咄嗟に逸らしたが、そのまま喋り始める。


「私、薄々気付いてはいたんです。ソリッドの創始者である波多野さんが、もしかしたら10.5の被害者なんじゃないか……って。片倉さんや橘さんは何も教えてくれないし、社内でもその手の話はタブーになっていますよね? だからこそ、余計に10.5だと思っていました。それなのに、私は仕事が楽しくて気付かない振りをしていました」


「話した時に言ったが、箝口令を敷いているからね。にしても、気付いていたのか? 洞察力が凄いなぁ」

 賢吾が笑いながら褒めると、

「茶化さないでください!」

 楓は賢吾を鋭い目つきで睨んだ。


「ずるい奴とでも言いたいのか?」

 賢吾の言葉に、楓は真面目な表情で頷いた。


「社長の家で波多野さんの遺影を見た時、素敵だと思う反面、口元が私の知っている大宮さんに似ていて嫌な予感がしました。宴会の動画を見て、波多野さんの声を聞き凍り付きました。波多野さん……私の全てだった恩人は父の悪行に苦しんだ方で、もうこの世にいないんだと理解した瞬間、全身が痙攣しました。やっぱり私なんかが……楽しんじゃいけなかったんです」

 奥底に沈んでいきそうな顔で、楓が言った。


「生い立ちが酷い分わからんでもないが、それにしても随分と被害妄想が捗るな」

 楓の姿とは対照的に、賢吾は呑気に鼻を弄っていた。


「父のせいで波多野さんは苦しみ、亡くなっている! 全部事実じゃないですか!」

 楓は再び賢吾をキッと睨み叫んだ。


「だから、事実だと言っている。守屋さん、事実を受け入れよう。鉄のせいでコウと俺は真利亜を失い、コウの心は病んだ。君は鉄の娘、残念だが変えられない事実だ。しかし、君は鉄の娘として生まれたかったわけではない。……何も悪くないだろう? 実際、君自身は非行に走らず悪事にも手を染めていない。鉄を憎んでいたコウに庇護されていたことも事実なんだ。それに、コウが死んだのは知っての通り交通事故で、鉄が原因じゃないんだよ。守屋さん、事実を受け入れてくれ。君は何も悪くない、今の自分を誇って欲しいな」


「……誇れませんよ」

 楓は憮然として呟いた。


『……私が……自分に自信を持つことはできませんよ』


 ……同じか。

 楓の言動を思い返し、賢吾はフーッと息を吐く。


「冷静に事実を受け止めろと言っておきながら、実は俺も数時間前にようやく受け入れられた。守屋さんがわからないと言った、その気持ちも理解はできる。だが、事実を認めて受け入れないと先には進まん」

 賢吾は笑みを浮かべ、諭すように言った。


 楓は渋い表情を崩さなかったが、賢吾の目と合わせては逸らし、合わせては逸らしを繰り返す。それが一分以上続いた後だった。


 楓は少しずつ表情を崩し、吐息を漏らした。


「なぜ……波多野さんは私なんかの面倒を見たのでしょうか?」

 ようやく進み始めたと、賢吾は少し口元を緩める。


「君を幸せにしたかったからだろう」


「仇の娘ですよ? 10.5と関係のない人でさえ私を攻撃するのに……おかしいですよ? そんなことはあり得ない! 考えられません!」

 賢吾の答えに、楓は大袈裟に首を振った。否定する楓を見て、自分もこうやって受け入れられずに否定していたのだな。そう、賢吾は自虐的に笑った。


「俺もそう思っていたよ」

 賢吾は鞄の中にしまっていた猫の面を取り出し、

「その文字を見るまではな」

 と、裏返して楓に渡した。


 書いてある文字は賢吾が見た物と全く同じだ。



 楓は何も悪くない。

 楓は幸せにならなくてはならない。



 楓は両手で面を持ちながら、全身を震わせ始めた。


「……はっ……はっ……は……」

 荒れた呼吸をし始めた楓に、

「コウの字だ? わかるだろう?」

 賢吾はそっと聞く。楓は噛み締めるように頷いていた。


「……はっ……あ……やっぱり……会いに来てくれた……」

 楓は呼吸を乱しながら呟き、泣き笑いであった。

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