第63話


 車を走らせること三時間弱。


 一度も休憩を入れずに運転していた甲斐もあり、思っていたより早く浜松に着いた。


 賢吾は東名高速道路を降りた後、コンビニエンスストアの駐車場に停車し、鞄から楓の資料を取り出した。


 楓の実家をカーナビに入力し、液晶画面に経路が示される。楓の実家は、どうやら海に近いようだ。と賢吾は認識したと同時に、山下公園で楓が言っていた通りだと思い出していた。


 賢吾は運転を再開し、道幅が広い四車線道路に戻った。カーナビの音声に従って進み、三十分ほどで目的地である楓の実家、守屋家に着いた。


 車から降りた賢吾に、海からの冷風が襲いかかる。賢吾はブルッと身を震わせた。


 賢吾の家も海から近いが山の上であるため、そこまで潮の香りはしないし、冷たい風もこない。神奈川県内だと、茅ヶ崎や逗子に行った時の感覚に似ている。と賢吾は思った。


 楓の実家である守屋家は、住宅街の中で一際浮いており、賢吾は思いっきり不快感を顔に出した。


 賢吾が不愉快になった理由は、隣家や他の家と比べると立派な日本家屋なのに、家の至るところが崩され壊されていたり、死ねクズ悪魔の家などの罵詈雑言が落書きされていたり、異様な廃屋のように見えたからである。


 賢吾は顔をしかめたままインターホンを押した。だが、何も反応はなかった。それから賢吾は何度かインターホンを押し、木製の扉をノックしていた。


「……うわ」

 という声が後ろから聞こえ、賢吾は振り返った。女子学生の三人組だった。賢吾の視線に気付いた三人組は、気まずそうな顔をして逃げた。


 更に、

「お母さん、悪魔の家に誰か来てるよ」

「こらっ。見ちゃいけません」

 男児と母親からも心無い言葉が放たれ、母親は男児の手を引っ張り駆け足で去った。


 うん……しっかりと浸透している。人間は恐ろしい。自分も楓に対して憤り蔑んでいたが、その様を赤の他人にやられると心を抉られるな。そう思い、賢吾が嘆息した時だった。


「ちょっとあんた……ここで何をしている?」

 賢吾は老婆に話し掛けられた。


 老婆は百五十センチくらいの身長に、白髪だらけのショートカットで眼鏡を掛けており、緑色の服の上から黄土色のエプロンを着用していた。


 老婆の顔つきは険しく、賢吾はまた腫れ物扱いされるのかと思ったが、ジッと睨み付けてくるだけであった。


 先程までの人達とは雰囲気が異なると感じた賢吾は、鞄から携帯電話を取り出し社員の集合写真を選択する。その中に映っている楓を拡大し、

「あの、すみません。この方を見ませんでしたか?」

 老婆に見せて聞いた。


 老婆は訝しげな顔で写真を見ていたが、

「知らないね。……ん? もしかして楓ちゃんかい?」

 否定した後、老婆は目を見開き賢吾へ確認した。


「そうです」


「あんた! いい歳をした大人が! まだほじくりまわしてんのかい!」

 賢吾の返答に老婆は般若のような顔つきとなり、怒鳴り散らした。


 どうやら、まともな人間もいたようである。賢吾は老婆からの怒号に安心感を覚え、薄く笑った。


「誤解です。楓さんは我が社の社員なんです。いなくなってしまい、探しているんです」


「は? あんたの会社に楓ちゃんが働いてんの? イジメに来たわけじゃないん?」


「はい」

 賢吾は財布から自分の名刺を取り出し、老婆に渡した。


「あの失礼ですが、楓さんのことをご存知なんですか?」


「私は三上。この家の隣に住んでる。楓ちゃんの祖母にあたる妙子ちゃんとは親友だに。全く、真奈美ちゃんが鉄なんかと結婚したから……あの子は何も悪くないのに!」

 そう話す老婆こと三上みかみは、苦い表情を浮かべていた。訛りがあるにも関わらず、全く気にならず賢吾の胸へスッと入ってくる。というのも、三上の表情が真実だと物語っていたからだ。


「見るからにしてわかりますが、酷い有様だったようですね」


「あんたに何がわかる! あの子はねぇ……悪くない! 何にも悪くないんだよ! なのにあの子はいつもボロボロだった。助けようと思ったけど旦那には関わるなと言われ、妙子ちゃんにも気持ちだけで充分だって……」

 何もできなかった己を悔いているのか、三上は涙ぐんで震えていた。


「俺は、鉄に妹を殺されました」

 賢吾がそう言うと、三上は絶句して動きを止めた。


「でも、あなたと同じ気持ちです。楓さんを気遣っていただきありがとうございます」

 賢吾は柔和な笑みを浮かべ、頭を下げた。それから表情を引き締め直し、

「楓さんは実家に戻っているかと思ったんですが……」

 と呟いた。


「それはないら。家に出入りがあれば、隣家の私が必ず気付く。楓ちゃんは中学を卒業してから、変な男に連れられていなくなったに。それからは全く見ていない」

 三上が事情や状況を説明してくれた。


 変な男とは輝成のことか、と賢吾は察した。


 しかしながら、三上の言い分だとここには楓がいないことになる。手掛かりがなくなってしまったと、賢吾は苦渋の表情であった。


「どこか行きそうな場所とかわかりませんか?」

 少しでも手掛かりをと思いつつ賢吾が聞くと、

「……あ……遠州灘」

 三上は思い出したかのように言葉を発した。


「……遠州灘?」

 賢吾は眉を動かし聞き返した。


「中田島砂丘だに。中学の頃、よく楓ちゃんが海を見に行っているって、妙子ちゃんが言っていたら」

 三上が頷いて答えた。


 なるほど、潮の香りがするから近くに浜辺があるはず。そこにいるのかと賢吾は思い、

「ありがとうございます」

 情報を提供してくれた三上に一礼した。


「あんたには酷な話かもしれないけど、もう楓ちゃんを傷つけないで……お願いだに」

 車のドアを開けた賢吾に、三上は泣き顔で頭を下げてきた。その様に賢吾は微笑みで返し、車の中へ入った。


 カーナビを操作し、中田島砂丘を入力すると、一キロ圏内にあることがわかった。歩いてもいけそうだが、駐車場もあるみたいなので賢吾は車で向かうことにした。


 そして楓の実家から、ものの数分で中田島砂丘に到着した。


 賢吾は無料パーキングエリアに駐車し、中田島砂丘の中へと入った。

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