第61話
それから数十分後のことである。
遠くから誰かの足音が聞こえた。住職か他のお参りに来た人だろうと賢吾は思っていたが、足音は近付いてきて丁度賢吾がいる場所で止まった。賢吾は不審に思って顔を上げたが、そこには見知った人間が立っていた。
喪服をまとい、白と黄色の花束を持った橘だった。
橘は賢吾に目を合わせると、深々と頭を下げた。
「この日は大宮さんだけが墓参りをする、特別な日だということは理解しています。失礼は承知でしたが、ここなら大宮さんに会えると思って参りました」
「……自分にですか?」
賢吾は眉をピクッと動かした。
「はい。あの、話の前に私もよろしいでしょうか?」
橘はそう言って、持っていた花束の包みを剥がし始めた。
賢吾は立ち上がり、橘が持参してくれた花を墓へと供える。橘は線香に火をつけ供えると、一歩後ろに下がり両手を合わせていた。
「瀬戸さんから守屋さんの件を聞きました。今知っているのは、瀬戸さん夫妻と片倉君、私の四人だけです」
橘は手を下ろし、前を向いたまま喋り始めた。
ここまで来たのは楓のためか。と賢吾は察した。
「守屋さんがいなくなるのは、橘さん的にも痛いですよね?」
「波多野君の会社を日本一にしたい。その気持ちはソリッドに入社し、波多野君が亡くなった今も変わりません。会社のことを思うなら、確かに痛いです。メディタルは爆発的に伸びていますし、その要である守屋さんの代わりは誰にもできません」
予想通りの回答に、賢吾は苦笑した。
「ですが……」
橘は薄い笑みを浮かべ、
「大宮さんが決めてください」
と、賢吾に真っ直ぐな眼差しを向けた。
思いもよらない答えに、賢吾の口は半開きになった。その様子に橘はクスッと笑う。
「新アプリ再企画会議の時、大宮さんは私に運用の全権を委ねましたよね? ……正直、面を食らいました」
橘は清々しい表情で空を眺めた。
「波多野君という特別な人間に、邪魔な荷物があるなと蔑んでいました。波多野君が大宮さんを喜ばそうとしていることに、全く同感できず怒りがわきました。心底疎ましいと思っていました」
「デカや石橋さんにも言われましたよ。未だにコウがスカウトした方々は、俺のことを快く思っていないでしょう。別にいいです、気にしていませんよ」
賢吾は頭をかきながら、フッと笑った。
「あなたがいなくなれば、ソリッドはもっと高みにいけると思っていました。それが波多野君のためになる、だからこそ排他しようと必死になりました。しかしその結果が、再企画会議の大宮さんの言葉に至ったわけです」
橘は真顔になり正面を向いた。
「大宮さんがどの社員よりも負けていないことが一つだけあると、片倉君が言っていました。それは……波多野君への思いの深さです。聞いた時は片倉君が壊れたのかと思いましたが、再企画会議を終えた後に得心しました」
橘は賢吾に顔を向けると微笑み、
「大宮さん、あなたは正真正銘ソリッドの社長です。守屋さんの件は、好きなようにしてください。私も……社長の決定に従います」
そう言い切った。
橘から初めて社長と呼ばれ、賢吾は固まっていた。
「あ、すみません。一つだけわがままというか、お願いを聞いてもらえませんか?」
微動だにしない賢吾に、橘が笑いかけた。
賢吾は我に返り、
「いいですよ。何ですか?」
と同じく笑みで返した。
「妻の実家が愛知の岡崎にありまして、帰省の際に炭焼きレストランすこやかというハンバーグ屋に寄るんですが、そこのこぶしハンバーグが凄く美味しいんですよ。ですから、今から食べに行ってくれませんか? まだ午前六時四十分ですし時間はありますよね?」
橘は、最後に腕時計で時間を確認しつつ言った。
「今から愛知にですか?」
「すこやかは静岡県内にしかない店です。私達の場合は、東名高速を浜松西インターで降りて行っています」
あ……なるほど。楓が浜松にいるかもしれない、その口実か。と賢吾は瞬時に理解し、
「……浜松に行けと?」
不服そうに言い返した。
だが、橘は大きく首を振る。
「いいえ、純粋に食べに行っていただきたいだけです。横浜からだと御殿場インター店が一番近いと思いますが、混むと思うので早めに向かった方がよろしいかと。ちなみに、私はオニオンソース派です。是非ご賞味ください」
橘の態度から他意はないと伝わったが、賢吾は渋い顔だった。
「そうだ、言い忘れていました。もうご存知かもしれませんが、昨日社長へFlameで撮影した動画を送っていますよね。ああいうのはちょっと自分の本分ではないので、今後は勘弁してください」
橘は困った表情で言った後、
「では、また明日」
と一礼し去っていった。
……Flameの動画だと?
賢吾は眉間にしわを寄せ、持ってきていた携帯電話を取り出しFlameを起動した。すると、橘の言う通り昨日自分宛てに動画が届いていた。ここ二日、全く携帯電話を使用していなかったので、賢吾は気付いていなかったのである。
賢吾はFlameの動画を再生させた。
動画の撮影者は片倉だった。
内容は、主要社員が現状について喋ったり、楓を心配するような発言であったり、簡潔にすると楓への応援動画だった。
動画を見終えた賢吾は、両手で顔を覆ってから大きく息を吸い、顔を上げると大きく息を吐いた。また、顔を正面に戻した後も、深呼吸をした。
「さすが、コウが育てただけはあるわな」
賢吾はそう呟き、僅かに口角を上げた。
『恩人が見つかったら勝負しようぜ。互いに良いとこ言い合って、これは無理だなと思った方が負けね』
『わかりました、それでやりましょう。こっちも負けませんからね』
楓の自信に満ちた言動が脳裏をよぎった。
「相手が同じだと、勝負ができねぇじゃん」
賢吾は苦笑し、独りでに言った。
言った後、みるみるうちに賢吾の顔が弛緩していく。
賢吾は輝成と真利亜が眠る墓に手を当て、自分を納得させるように何度も頷いた。
そして、呟く。
「ちょっと、ハンバーグ食ってくるわ」
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