第06話
楓がいなくなり、張っていた空気が弛緩する。
「援交かね?」
溜め息まじりに賢吾が片倉に聞いた。
「いや……違うと思います。猫の面を被っているってだけで気色が悪いのに、それを全く違和感なく話しているんですよ。そもそも、何年も前の援交相手をわざわざ探しますか? 援交相手なら連絡先は教えるはずでしょうし、会う場所も相手の家だけにしますかね?」
「愛人みたいなもんだったんじゃないのか? そして裏切られたから復讐したいとかさ」
「それだったら自分で探さず、警察へ行くでしょう。援交は犯罪なわけですから、相手を陥れたいなら真っ先にそうしているはずです」
「自分で始末したいのかもしれないじゃん?」
「話している様子から負のイメージは感じませんでしたが、演技がむちゃくちゃ上手いのであれば……なくはない話ですね」
落ち着いた様子で言い返してきた片倉は、楓の話を信じているように思えた。反面、飲み込みきれない賢吾は眉をひそめて追及する。
「彼女の妄想、話自体が嘘かもしれないじゃん? 大体、都合のいいタイミングで現れて、見返りもなく生活費や環境を工面するなんて、そんな奴いるか? その上、彼女が困ったら勝手にやってくるんだぜ?」
「普通はいませんよ」
おかしな話だと自分でもわかっているのであろう、片倉は笑い飛ばした。
「ですが、彼女は中学三年生で天涯孤独となり、酷く貧しかったと言っていました。思春期にその体験をしたのは、かなり過酷だったはずです。したがって、恩人の異様さをも恐れと感じない、麻痺状態だった可能性も考えられます。彼女の話は突拍子もないですが、僕には嘘を言っているようには見えませんでしたね」
一転して真顔で前を見据え、片倉は言った。
あの輝成が人事を一任させたほどの男である。その片倉が言い切ったのであればと、賢吾も疑念が徐々に薄れていった。
「天涯孤独か」
何気なく賢吾が呟いた。
天涯孤独。輝成も似たような境遇だったな、と賢吾は感慨にふけっていた。
「なぁ、デカ。あの子採用してみない?」
思う前に、賢吾の口から勝手に出た。
憐れみというわけではないが、輝成の命日に現れた輝成と似た境遇の人物。賢吾は純粋に興味が沸いた。
「社長が進言するなんて珍しいですね? 惚れたんですか? これだから童貞は……」
「おい」
禁止ワードが出たので賢吾が片倉に軽く肩パン。片倉は薄く笑みを浮かべた後、
「ですが、社長にしては慧眼ですね。僕も大賛成です」
表情を引き締め直しそう言った。
数秒後、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
片倉の返事に、
「話の最中に失礼いたしました」
入室してきた楓は深々と頭を下げた。
その後また、片倉の合図を待ってから座った。楓が着席し、再び片倉から会話が始まる。
「半年近く探しているとのことですが、今回のようにネットで探してという感じですか?」
「はい、インターネットやSNSが主です。ネットで名前を検索すればわかる、俺はそういうところで働いているからと言っていたので、直ぐに見つかり会いに行けると思っていたんですけどね。中々……見つからないんです。大学やバイトもありますし、それほど時間が取れないこともありますが、その他の時間は全て捜索に使っています」
「今まで何人と会えたんですか?」
「二人です。今回のを合わせると三人ですね。一人はお爺さんで、もう一人は三十歳くらいの男性でしたがやはり別人でした」
「変なことされなかった? 危なくね?」
賢吾が唐突に参加した。
「……聞き方」
片倉は呆れた様子で賢吾を諫めた。
「いえ、平気です。お爺さんはただ話し相手になっただけでしたが、仰る通りもう一人の方は執拗に迫ってくる感じだったので逃げました」
気にする素振りもなく微笑む楓に、賢吾は安堵した。
「興信所とかに頼んだ方がいいんじゃない?」
「一旦、相談には行ってみたのですが、わかるのは名前と声と口元だけ、猫の面を被っていた時の写真もありません。ちなみに、私の家の賃貸借契約書には借主が大宮賢吾としっかり記載されているのですが、不動産屋に確認したところ担当者が辞めているためわからないとのことで、賃貸借契約書も手掛かりにはなりませんでした。それでは情報が少なすぎて厳しい、調査時間を大分要すると興信所から言われました。また、提示された金額は今の私が到底払えるものではありませんでした」
説明し終えると、楓は沈んだ姿になっていった。その様に、提案した賢吾は唸る。
「あの、恐縮なんですが。大宮さんの頬は大丈夫ですか? 無理をして来ていただいたのであれば本当に申し訳ないです」
唸り声の中に、突如紛れ込む慈悲ある言葉。賢吾はキョトンとしたが、竜次に殴られた跡かと察する。優しい子だなと思い、賢吾は平気だと言おうとした。
が、
「ハハッ、気にしなくていいですよ。これは、いい歳したおっさん同士が青春ごっこしていただけなんで」
と片倉に失笑されたので、
「おいてめぇ」
ヤンキー時代の顔で睨み付ける賢吾であった。
フフッという声が聞こえ、微笑んでいる楓が賢吾の目に入る。何か気が抜けてしまい、賢吾は右手で頬杖をついた。
「守屋さんのお話、非常に興味深かったです。ありがとうございました。状況を踏まえると、今はお一人で学費や生活費を工面されているんですか?」
「はい、バイトを二つ掛け持ちしています」
片倉の質問に、楓は背筋を伸ばして答えた。
「失礼ですが、月にいくら稼いでいますか?」
「概ね、十万前後です。それだけでは足りないので、大宮賢吾さん……恩人からいただいたお金で工面しています」
「恩人からもらったお金で、興信所には頼まないんですか?」
「いえ、いただいたお金は残り僅かです。恩人からお金をいただいた時、アルバイトをしながらやれば大学まで卒業できる。考えて使うようにと言われていたので、そのようにしています」
楓は凛として述べた。だが、賢吾の右眉がピクッと動く。
「何か、その恩人は親みたいな奴だな。あしながおじさんやりたいだけなら、もっと金をあげたら良かったのに」
生返事のように賢吾は言った。
「いえ、私の恩人は素晴らしい方です」
楓は不快感をあらわにして言い切った。
「すまん、悪意があったわけじゃない」
気圧され、賢吾は自然と頬杖を解除した。
「こちらこそすみません。ですが、私のことならまだしも、あの方を咎めるようなことだけは我慢できないので……」
楓は謝罪の意を述べたが、顔は謝っていなかった。
賢吾は地雷を踏んでしまったことに後悔しつつも、何も言い返せなかった。そんな賢吾を見て片倉が嘆息する。
「それだけ、いい人。素晴らしい方だったんですね」
片倉は微笑を浮かべ肯定すると、
「はい。あの方なくして今の私はありません」
楓は張り詰めていた気を少し和らげた。
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